ノストラダムス 10-91、1999年に地球人は自分達の主人に悪魔軍団を選んだ。その3 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日の続きである。
昨日の最後にこう書いた。


>この詩は「1999年に悪魔軍団が侵入してくる」
という意味の預言ではないからだ。

 

これを説明しよう。
この詩の1行目と3、4行目、

 

ローマの聖職者よ、千六百と九の年、

 

仲間から出た灰色と黒の中から、
かつてないほどの悪しき者が。

 

を読むと、一見、
「1999年に悪魔帝国誕生する、という預言ではないか?」
と思えるが、実際には1999年には悪魔帝国が誕生していない。
2016年の今でも、未だ悪魔軍団の侵略は始まっていない。


「では、この詩が意味することは何か?」
というと、その秘密は2行目、

その年の初めに、汝らは選挙を行うだろう。

に書かれてある。


この行がこの詩を解読するにあたってのポイントとなる。
「汝ら」と複数になっているが、これは天使からみて「お前達地球人は」、という意味だ。
「何だ、偉そうに、上から目線で」
と思えるが、実際に偉いんだから仕方ない。


では、
汝らは選挙を行うだろう。
とはどういう意味だろうか?


「はて、私達地球人は何か選挙をしただろうか?
何の選挙だろうか?」

と思うだろうが、この「選挙」とは、「地球人がどこかの国で政治家を選出する」、という意味の選挙ではない。
この言葉の伏線は聖書の次の記述だ。

 

 6:24だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。

あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

(マタイによる福音書)

 

これはイエスの言葉である。
ここではイエスは長々と説教しているが、この文は前後の脈略とは関係無く、唐突にこの言葉が挿入されている。
イエスはそもそも「私は全てを喩えで話す」と言っているように、喩え、ヒントだけを言っていて、

「その言葉の真意は各自で考えなさい」
とはぐらかしている。
イエスは自分で「解き明かし」をしないのだ。


それで、ここでは「富」と言っているが、これはマモンの神、とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A2%E3%83%B3


貪欲、富や財産への誘惑、執着、金銭欲、名誉欲、支配欲などから「悪魔を指す」と考えられている。

また、この「富」から、


19:23それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
19:24また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

 

という言葉も思い浮かんでくる。
こことも関連しているようだ。

つまり、「金持ち=富(悪魔)に仕える者は天国には入れない、救済されない」

というのだ。

 

それで、神学、教会、聖職者、クリスチャンは、この言葉(6-24)に対してもそれぞれが色々な「解釈」をしている。
この言葉にも様々な解釈が出されているが、、一般には、
「人は神と富(悪魔)の両方に仕えることはできない~自分の主人をどちらにするのかを各自で選択しなければならない~神を信じれば救済されるし、悪魔を崇拝すれば地獄に堕ちる」
というように、「各個人の信仰について述べている」、と解釈されているようだ。


だが、そうだろうか?
イエスはそういう各個人についての観念的、道徳的な信仰について述べたのだろうか?


いや、そうではない。
そんな観念的な道徳や信仰について述べたのではない。
ここでも教会もクリスチャンも勘違いしている。

 

この言葉は、もともとこのノストラダムスの詩の伏線、謎を解く鍵として述べられたのである。
「この神とは天使軍団を、富とは悪魔軍団を指している」、と考えていいだろう。

「あなたがた地球人は神(天使軍団)と富(悪魔軍団)との両方に仕えることはできない」
という意味だ。
つまり、

「天使軍団に仕えるのか? それとも悪魔軍団に仕えるのか? どちらに仕えるのかを(期限までに)決めなさい」
という意味だ。
よりはっきりと解り易く言うと、
「期限以後の未来において、あなたがた地球人は自分達の主人に天使軍団を選ぶのか?
それとも悪魔軍団を選ぶのか? を決めなさい」

ということだ。


二者択一である。
各個人についてではなくて、地球人全体について述べているのである。

(ただし、これは1999年の全体救済の時点での話である。
全体救済ができなかった場合は、個人救済(携挙)へと移行するが、

個人救済の場合は、この言葉は「それぞれの各個人に関して述べている」と考えてよい)

 

この詩の二行目、
その年の初めに、汝らは選挙を行うだろう。

 

とはこのイエスの言葉を伏線としている。
つまり、この「選挙」というのが、実は、
「期限=1999年以後の未来において、あなたがた地球人は自分達の主人に天使軍団を選ぶのか?
それとも悪魔軍団を選ぶのか?、を決めなさい」
という意味なのである。
この「選択、二者択一」を「選挙」と表現したのである。
「地球人が全体として、その総意の上でどちらにするのかを選択して決定しなさい」、というのだ。

 

しかも、ここでは、
その年の初めに、汝らは選挙を行うだろう。

とある。


では、「その年の初めに」、とはどういう意味だろうか?
その年とは、1行目と詩のナンバーで暗示されたように1999年を指す。
イエスの再臨の予定時=天使軍団の地球復帰の予定時は、10-72で明記されたように1999年の7月(8月)だった。


7月以後は「年の後半」である。
それで「その年の初め」とは「その年の前半~6月までに」と考えていいだろう。

7月というのは、もう結果が出る時である。
7月に「イエスよ来て下さい。天使軍団よ来て下さい」、
と地球人全体で呼ばなければイエスも天使も天から降りて来れない。
そして、7月に呼ぶためには、遅くとも、6月までに地球人全体で意向、総意をまとめておかなければならない。


天使を選ぶとしたら、地球人が全体として預言書の真意を理解して、一致団結して天使を呼ばなければならない。
地球人同士で戦争や紛争をしている暇なんて無いのだ。
1999年の初め、1月か2月には既にこのような状態になっていなければ、とても「天使を呼ぶ」なんてことはできない。


7月になってから選挙をして決議をしても遅いのだ。
つまり、6月までに選挙を済ませておかなければならない。
これを、
その年の初めに、汝らは選挙を行うだろう。

という言葉で表現したのである。


この「その年の初めに」、という表現は、
「7月に、ではなくて、7月までに、7月が期限だ」という意味を強調している、と考えられる。


このように考えると、この10-91の詩は10-72の詩(1999年7の月の詩)
とペアになっていて、更に、詳細に説明した詩、強調した詩である、と考えられる。

ただし、10-72と関連している詩は他にもいくつもある。
これらの関連している詩を繋ぎ合わせて、総合的に考えていくと、更に詳細が解るような仕組みになっているのだ。