ノストラダムス10-72の「7の月」は「再臨だけ」の預言か? その1 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

少し間が空いたが、ノストラダムスの10-72の詩の1行目、
1999年7の月、の「7の月」について考えてみよう。


先の記事の最後にこう書いた。
>ただ、「もうこれ以上は絶対にこの見解が変わらない」
とは言い切れないが。
もし、見解が変われば、解った時点でお知らせする。

 

こう書いたばっかりなのだが、もう見解が変わったかもしれない。

ただ、

 

>携挙の時に関しては10-72がラストの詩だと思われるので、
「2017年が携挙の年である」
と(ほぼ)断定してもいいのではないか?
と思える。

 

これに関しては(今のところ)変わらない。
変更が無い、というのは「携挙の年が2017年だ」という解釈についてである。
変わった(かもしれない)というのは、「2017年の中でいつ、何月に携挙があるのか?」
という問題だ。


これに関しては、
>「携挙は2017年の7月か9月にある」
というのが(今のところ)最終結論である。

 

「7月か9月に携挙がある」
という根拠は、

ノストラダムスの10-72の詩の1行目に出てくる「7の月、は7月か9月を表している」、
と考えたからだ。


まあ、「携挙が2017年にあるとしても、その後半、早くても7月以降だろう。6月以前にはない」
というのは変わらない。


急いで結論は出さなくてもよいのだが、その時期については、
「覚悟や気持ちの準備の問題もあるので、なるべく早く知っておきたい」
という人もいるだろう。


そういう気持ちもよく解るので、今日はこれについて考えよう。

 

これは、「ノストラダムスの10-72の詩の1行目の最後の2語、sept mois をどう解釈するか?」
という問題であるが、

これは、ノストラダムスからすると、


「ただ、『どう解釈するか?』、というだけでは駄目だ、作者(天使とノストラダムス)の側、その立場に立ってこの詩の創作過程を推理し、その意図を明らかにしていきなさい。そうでないと、この語の真の意味は解りませんよ」
ということである。
つまり、

「この詩やこの行だけを見るのではなく、他の預言や、悪魔軍団の企み、艱難開始の時期などのその周辺の時の状況を全部総合して考えなさい」
ということだ。

 

それで、まず、この「7の月」の解釈史を調べてみよう。
とは言っても、以下に書くのは、私が当時を思い出して、

「確かこうだったんじゃなかったっけ?」
というだけであり、正確かどうかは判らない。

 

この「7の月」という語であるが、1999年当時、あるいはその以前にこの詩が問題になって、いろいろな説が出されたので当時を知っている方はご存知だろう。

まず、1行目の、
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,


だが、これは、海外でも日本でもほとんどの研究家は、
「1999年の7月」と受け取っていたようだ。
日本で最も有名だった五島勉氏もずっと「1999年の7月」と考えて「大予言シリーズ」を書いていた(と思う)。
だから、当時の日本人はほとんどが sept mois=7月、と考えていた。

 

「7の月」の原典は、sept (7)mois (月)である。
これは、フランス語では普通は「7つの月=7ヶ月を意味する」、という。
だから、海外でも日本でもほとんどの研究家は、
「1999年の7ヵ月=1999年の7月」と考えていた。


だが、フランス語の7月は juillet である。
では、「ノストラダムスが7月を意味したかった」、

として、何故、juillet と書かなかったのか?
というとそれには理由がある。

この詩、10-72全体の原典を示そう。

 

L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra vn grand Roy d'effrayeur:
Resusciter le grand Roy d'Angolmois,
Auant apres Mars regner par bon-heur.

 

「カトラン、四行詩には1行目と3行目、2行目と4行目の脚韻を揃える」、

という決まりがある。
つまり ABAB という形式で書かれてあるのだ。
(ただ、カトランには、他に音節、韻律、発音などのもっと複雑な決まりがあるようだが、ひとまずここでは「ABABという脚韻を踏む」という決まりだけを考える)

 

以下は、ノストラダムスの立場に立って、この詩の創作過程を推測したものである。

 

この詩の場合、3行目の最後の語は d'Angolmois アンゴルモアである。
ノストラダムスがもし「7月を意味したかった」、として、フランス語の普通の7月の juillet と書いたら、3行目の d'Angolmois と語尾が揃わない。
脚韻が踏めない。
これでは、カトラン、4行詩としての形式に反する。


では、どうしたらよいだろうか?
とノストラダムスは考えた。
1行目と3行目の脚韻を揃えるには、
1行目の juillet(7月)に3行目の最後の語尾を揃えるか。
3行目の d'Angolmois に1行目の最後の語尾を揃えるか。
の二通りしかない。

 

ノストラダムスとしては、d'Angolmois という語は重要なので絶対に変えられない。
それで、後者の方法、3行目のd'Angolmois に1行目の最後の語尾を揃える、という方法を採ることにした。
それで、ノストラダムスは考えた、
「7月は juillet だが、これを『7カ月』の sept mois に変えよう。
そうすれば、1行目と3行目で脚韻が踏める。
形式に問題が無くなる」と、
また、「ほとんどの人は sept mois =7ヵ月、を7月と受け取るだろうから、
juillet を sept mois に変えても問題無いのではないか」、
とも考えただろう。

 

つまり、「ノストラダムスは7月 juillet と書きたがったが、これでは3行目の d'Angolmois と語尾が揃わない。
脚韻が踏めない。
だから、7月 juillet の代わりに sept mois と書いたのだろう。」
というのだ。

 

これで、理屈は通るし、説得力もある説明だ。だから、
「こういう理由で juillet(7月)を sept mois(7ヵ月)に変えたんでしょう。
別にそれ以外の理由は無いよ。
だから7月でいいじゃん。
他の説がどうのこうの、と詮索する人がいるけど、考え過ぎだよ」
と言ってしまえばそれまでだ。


それで、sept mois を7月と受け取るのが普通というか多数派だった。

しかし、1999年の7月過ぎても何も起きなかったので、世間では「ノストラダムスの予言は外れた」と判定する人が多かった。


だが、ここで、
「1999年の7月を過ぎても何も起きなかったが、安心するのはまだ早い、sept mois とは、7番目の月=9月を指しているかもしれないから、9月が終わるまでは安心できないぞ」
とsept mois=9月説を唱える人が出てきたのである。


「ノストラダムスは外していない」と考えたがるビリーバー、擁護派の人達で、諦めが悪い、というか未練たらしいと言われればそれまでであるが。
まあ、sept mois=9月説というのが、もっと前から出されていたのかもしれないが、とにかくsept mois=9月説というのは7月説に比べると圧倒的に少数派であ。


「9月説」にもそれなりの根拠がある。
英語では9月をセプテンバー(7番目の月)という。
これは、
古代ローマ歴では1年の始まりは春分だったので、3月が1月だった。
それで、7番目の月というと9月になる。
だから9月を7番目の月(セプテンバー)というのである。
これはローマ帝国の伝統を引き継いでいるヨーロッパ諸国では共通である。
フランス語でも9月は septembre という。

 

このように、9月説にもそれなりの理由があるので、間違いだ、とは言い切れない。
それで、sept mois には7月説と9月説があるのだ。
まあ、(同じ年の)7月説と9月説で考えると7月と9月では2か月しか違わないので大した違いはないと思われるのだが。
何百年という預言のスパンからみると2カ月の差なんて誤差にもならない。

 

それで、1999年の9月を過ぎても何も大したことが起きなかったので、
「どっちみちノストラダムスは外れた」
とされたのだが、ノストラダムス・ビリーバー、擁護派はまた別の説を言い出した。
それは、一行目、
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,

 

を「1999年と7ヵ月」つまり「1999年いっぱいプラス7ヵ月」と考えて、「これは2000年の7月を表している」
という解釈を出したのである。
それまでは、1行目を
「1999年の7ヵ月=1999年の7月」と考えていたのだが、これを、
「1999年と7ヵ月=1999年+7ヵ月=2000年の7月」
と解釈したのである。

日本語でいうと「の」と「と」の違いだが、これが1年間の違いになってしまう。


こじつけっぽいが、「そう言われると、そうも考えられるな」
とある程度は説得力がある。
だが、その時には既に一般大衆は「ノストラダムスの予言は外れた」と決めつけてたので、人々の関心はノストラダムスから離れていってしまっていた。
これが、大体の「sept mois 解釈史」である。

 

つまり、まとめると、1行目の、
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,

 

には、主なもので、


1999年の7ヵ月=1999年の7月、
1999年の7番目の月=1999年のセプテンバー=1999年の9月、
1999年と7ヵ月=2000年の7月、

 

という3通りの解釈があるのだ。