聖書の「裸の恥を見られないように」の意味、その3 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日の続きである。
今日は、次のイエスの喩え話の意味を考えよう。


22:1イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、
22:2「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
22:3王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。
22:4そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。
22:5しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、
22:6またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。
22:7そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
22:8それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
22:9だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
22:10そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。
22:11王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
22:12彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。
22:13そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
22:14招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。

(マタイによる福音書)


>22:2「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。


この「ひとりの王」とは、主、神を指している。
そして、「王子」とはイエス・キリスト、あるいは天使軍団全体を指している、と考えられるが、「王子~王の子~神の子~人類全部」、と考えることも可能である。


では、「婚礼」とは何の喩えだろうか?
聖書ではイエス(天使)を花婿に、地球人(義人)を花嫁に喩えている。
だから、結婚、婚礼とは「イエス(天使)と義人が結びつくこと、共同生活を始めること」を意味する。
それで、再臨(全体救済)の場合は天使軍団の地球復帰を、携挙(個人救済)の場合は義人救出を指している。
結婚、婚礼はこの再臨(全体救済)と携挙(個人救済)の両方の意味で使われているので、それぞれの預言では、臨機応変に区別して解釈していかなければならない。


では、何故、結婚、婚礼がこれらの喩えとして使われているのだろうか?
結婚というのは、「別々に生まれて、違った環境で育った男女が出会って共同生活を始めること」である。
そして、結婚するためには「お互いに相手を理解し、信頼し、尊重して愛し合うこと」が必要である。
だから、再臨(天使の地球復帰)にも携挙(義人救出)にもまことに相応しい喩えである。


今回、再臨(天使軍団の地球復帰)が失敗したのは、この「お互いに相手を理解し、信頼し、尊重して愛し合うこと」ができなかった、不充分だったからである。
だから、全体救済の可能性はもう無いのだが、個人救済の可能性はまだ残されている。
天使軍団と各個人の間で「お互いに相手を理解し、信頼し、尊重して愛し合うこと」ができると認められた場合は、天使はその個人(義人)を引き取って(携挙して)一緒に生活していこう、と申し出てくれている。


さて、この喩え話は一連の喩え話なのだが、よく読むと、8節までと9節以後の二部に分けられる。
関連はしているのだが、違う話になっているのだ。


まず、8節までをもう一度読んでみよう。


22:1イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、
22:2「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
22:3王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。
22:4そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。
22:5しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、
22:6またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。
22:7そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
22:8それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。


ここでは、

「王はある町の住人全員を婚宴に招待した。ところが、婚宴に呼ばれた人達は誰も婚宴に来ようとしなかった」

というのだ。
招待状を出した人達は全員この招待を無視したのである。
ここで


>王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、


とあるが、この僕(しもべ)というのは、「神、あるいは天使軍団からのメッセンジャーなので、イエスその人か、または、イエスの後継者を指している」
と考えられる。

それで、この喩え話の前半、8節までは、再臨、全体救済の話だと考えられる。
しかも、「招かれた人達(地球人)は全員、この招待を無視して、更にこの僕を侮辱して殺してしまった」
というのだから、地球人は(全体として)このせっかくの天使の申し出を断ってしまった=期限(1999年までに天使を呼ばなかった、となる。
天使の再臨、地上復帰が失敗してしまった、という話である。


>22:6またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。
 
というのは、イエスを十字架に架けて処刑してしまったことを指しているのか?
あるいは、1999年当時のノストラダムス・バッシングを指している、とも考えられる。

とにかく、ここまでは、今回のように、「地球人は全体として福音(預言書)の真意を理解できなかったので、期限までに天使軍団を呼ばなかった」、
という場合を想定しての話である。
では、その後、愚かな地球人はどうなったのだろうか?


>22:7そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。

 

この軍隊とは悪魔軍団を指している。
天使の地球復帰を拒んだ愚かな地球人はその後、悪魔軍団に侵略されて、覇権を奪われてその奴隷にされてしまったのである。

また、この「王(神)が軍隊(悪魔軍団)を送って愚かな地球人を滅ぼした」

という表現は

「悪魔軍団も地球人の一部(未来人)であり、『不完全なものを食い潰す、愚者を罰する』という役目を担っている」
ということを暗示している、と考えられる。
悪魔軍団も「神の計画」の中に組み込まれていて、存在意義があるのだ。

このように、8節までは、「1999年までの再臨、天使の地球復帰、地球人の全体救済の話であり、しかも、それが失敗した」
という話である。
だから、


>22:8それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。

 

で一旦、結論付けている。
「地球人が愚かだったので、天使と地球人は結婚=合体できなかった」という結論だ。

ここでこの喩え話が終わっていたら、それだけの意味である。
ところが、この喩え話はこれで終わりではない。
この後も続く。
続きを読んでいこう。


22:9だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
22:10そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。
22:11王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
22:12彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。
22:13そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
22:14招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。


「あれっ? 王はこの人殺しの悪人達を滅ぼし、町を焼き払ったんじゃないの?
まだ生き残った人がいたの?
おかしいじゃん。
それとも、これは別の町の話なの?」
読んでいくとこういう疑問が起きるだろう。
何気ないように話を続けているが、どうも接続がおかしい、不自然である。
まあ、確かにそうだが、ひとまず、「別の町の話」として考えていこう。

結論から言うと、9節以後は、個人救済=携挙の話なのである。
ただし、


>22:10そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。

 

の「悪人も婚宴に招かれた」という話は疑問に感じるが。
まあ、それは置いておいて、

この話のポイントは、
「礼服を着ている者はそのまま婚宴に参加できたが、礼服を着ていない者は婚宴の席から追い出された。しかも、手足を縛って外の暗闇に放り出された」
というところである。


まあ、普通に考えると「礼儀をわきまえない者、TPOをわきまえない無礼者を追い出して罰した話だ」
となる。
しかし、これだけでは、ただの道徳、マナーの教科書と同じだ。
これは、聖書の中の話、イエスの喩え話なのだから、もっと深い預言的な意味が隠されているはずだ。
それは、「これは、個人救済=携挙の話だ」と考えて初めて解るのだ。


ここで、「礼服」とあるが、これはただのいわゆる礼服を指しているのではない。
何か別の事項の喩えとして代用されているのだ。
だから、この「礼服」の象徴的意味を理解しないとこの話の真意は理解できない、となる。

だが、これは別の箇所で明かされているので、それは明日説明しよう。


さて、ここで、これは昨日のヨハネの黙示録、

>見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。


の続きとして取り上げて説明しているが、
「どこに盗人や裸が出て来るの?
盗人も裸も出てこないじゃん。
どう関連しているの?」
という疑問を持つかもしれない。


それに答えよう。
まず、盗人も婚礼(婚宴)も共に、再臨と携挙を暗示する語である。
だから、ここでは、盗人を婚礼に置き換えているのだ。

それと、黙示録では、

「裸の者は救済されないで、服を着ていた者だけが救済された(携挙された)」となっているが、
このイエスの喩え話では、

「礼服を着てない者は救済されなかったが、礼服を着ていた者は救済された(携挙された)」
という点が似ている、というか共通している。
ここがポイントというか重要なところである。

私は、


>しかし、預言の作者(天使)というのは非常に遊び心に溢れている、というかお茶目なところがあるので、少し捻っている、というかわざとずらしている場合もあるので一筋縄ではいきません。
解釈にも臨機応変な柔軟性が必要です。


と書いたが、まさにこれが実例である。

裸の者と服を着ている者、を、礼服を着ていない者と礼服を着ている者、に一段レベルを上げただけであり、本質的な意味は同じ話である。

ここを見破らないとならない。

だから、「盗人、裸」という語で聖書検索をしてもこの話はヒットしないから見つけられない。
天使はわざと見つけ難いようにカモフラージュしているのだ。
これもなかなか面白いテクニックだ。


さて、ひとまず、これは置いておいて、このイエスの喩え話にはもうひとつ重要な意味が隠されている。
「この話は8節までと9節以後に分けられていて、二つの話が続いている」
と言った。更に、
「8節までは再臨=全体救済の話、しかも、これが失敗した話で、9節以後は携挙=個人救済の話である」

と言った。
これはどういう意味か?
というと、


「期限=1999年までの再臨=天使の地上復帰=地球人の全体救済、が失敗した場合、その後は、携挙=個人救済へと移行しますよ」
というのであり、これが重要な意味なのだ。

天使(イエス)はこの意味を強調したいから、わざと区切らないで一連の話として続けているのだ。


そして、これは時空の構造と歴史の変遷を理解していないと理解できない。

私はこのブログで今まで何回も


「期限=1999年までの再臨=天使の地上復帰=地球人の全体救済、が失敗した場合、その後は、携挙=個人救済へと移行しますよ」

と書いてきた。
「でも、そんなこと預言書のどこに書いてあるんだよ。
解りやすい箇所を提示して説明してくれよ」
と思った人もいるかもしれないが、ここがその最も解り易い箇所である。
天使はその意図でこの喩え話を作成したのである。


では、これを理解できていないクリスチャン、キリスト教徒はどうなのだろうか?
彼らは再臨と携挙の区別もついていない。
「イエスは再臨の為に天から降りて来ると同時に携挙も行う(義人を天に引き上げる)」
というように中世に描かれた「最後の審判」のような絵が実際に行われる、と想像しているのではないか?
彼らは、再臨の予定時も携挙の予定期間も全然解らないし、艱難と携挙の時間的関係も解らないで混乱している。
イエスと天使の実態も解らない。
救済、携挙のプロセスと実態も解らない。

全てが漠然とごっちゃになり混乱している。


そして、解らないと神やイエスのイメージを持ってきて誤魔化そうとしている。
観念論、道徳論を説教し、ただ「神様やイエス様、聖母マリア様(のイメージ)に祈りなさい」
と洗脳しているだけだ。
そのあげくに「クリスチャンでないと救済されませんよ」と更に洗脳して脅迫する。
それを真に受けて、「脱会すると救済されないのではないか?」と恐れて棄教できない信者も多いだろう。


先の
「二人の主人に仕えてはいけない」という言葉について。
 
の記事でも書いたが、

「クリスチャンでないと救済されない」ではなくて本当は「クリスチャン(どこかの教会、宗派に属している者)だと救済されない」

というのが正しいのである。