ノストラダムス 第2章62番 マビュはすぐに死に、手無し、彗星が走る時。その2 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日の続きである。
ノストラダムスの第2章62番の詩を解説している。
昨日は4行目の「彗星が走る時」を解説したが、今日は1行目を解説しよう。
まず、1行目を昨日挙げた日本語訳で載せる。


Mabus puis tost alors mourra, viendra,


マビュはすぐ死に やがて訪れよう


そしてマビュスがその時すぐに死ぬと、到来するだろう、


マーブがきてまもなく死ぬだろう


1行目では、「マビュ、マビュス、マーブなどと訳されている Mabus という語が何を意味しているのか?」
が問題になる。
何と言ってもこの語がポイントである。
この詩、この語は、五島勉氏が大予言シリーズで取り上げたので有名になり、いろいろ議論されてきた。
ちなみに五島勉氏はこの詩を次のように訳していた。


やがてマビューがやってくる、それで結局、みんな死に絶える
人々も動物も恐ろしい解体
つづいて不意の報復攻撃
血と腕と渇きと飢え、その彗星(コメット)が空をめぐって飛びまわるとき

大予言Ⅴ P29


五島氏はこの詩を、

彗星を巡航ミサイル、Mabusをアナグラムで US-ABM(アメリカの核ミサイル防衛網)とし、近未来の米ソ核戦争の序盤を予言しているのではないか?

と解釈していた。

Mabus という語は普通のフランス語には無い。
それで、今までの研究家は、


この綴りに似た地名や人名はあるのでそれを指しているのだろうとか、

アナグラムとして別の語を導き出したり、

何かの語の省略ではないか?としてその語を考え出そうとしたり、
などとして様々な説、解釈を提出してきた。


私もいろいろな本で様々な説、解釈を読んできたが、どれも納得できる解釈は無かった。
ところが、ある時、ある本を読んだ時に、突然この語の真意が解ったのである。
その本は、


「ノストラダムスとルネサンス」
樺山紘一、高田勇、村上陽一郎 編  岩波書店 刊


である。
この本は2000年に出版された。
この本の123ページと288ページに次の記述がある。


ジャン・ド・ラ・ダグニエール 「虚妄の怪物(Le Monstre d’abus)」(ノストラダムス批判の書という。
「モンストルダビュ」というタイトル自体が、「ノストラダムス」のもじりとなっていることに注目)


エルキュール・ル・フランセ 「モンストラダムスに対する、エルキュール殿の最初の攻撃」リヨン、
~「カトリック側に好意的すぎるノストラダムスの予言に対する、プロテスタント著作家側の激しい攻撃」だと説明している。


ノストラダムス攻撃の最も激烈なものの一つは、「虚妄の怪物(モンストル・ダビュ)」ダグニエール著(1558年)であり、
「モンストル・ダビュ」は言うまでもなくノストラダムス(ノストラダミュ)の同音異義的アナグラムである。


恐らくこの頃の一般庶民はノストラダムスの語尾のSは発音せず、ノストラダミュと発音していたと思われる。
この書物はジュネーブで印刷されたものであり、
この種の作品はノストラダムスの作品ばかりか、人物そのものもヘブライ起源に遡って攻撃するのであった。


私はここに出てくる「虚妄の怪物(Le Monstre d’abus)」
という語を読んだ時に、何故か直ぐに、マビュという語が頭に浮かんだ。
Monstre の頭の M と、d’abus の終わりの abus が結びついて「マビュ」という語が浮かんできたのだ。 
「あっ、マビュだ。マビュってこれだったんだ。これがマビュに違いない」
と直感的に思ったのである。
その時にマビュを考えていた訳でもないし、マビュという語も忘れていたはずなのに。
とは言っても、昔読んだ記憶の中に仕舞い込まれていたのだろうから、それが突然思い出されて浮かび上がってきたのだろう。
それで、
「マビュってどういう綴りだったんだっけ?」
と思って調べると、マビュとは、Mabus という綴りだと判った。


それで、Mabus と Le Monstre d’abusを比べると、
Mabusは確かにこの語を省略、暗示した綴りに思える。
ここで、確信に繋がった。
Mabusとは、「虚妄の怪物(Le Monstre d’abus)を暗示していたのである。
つまり、ノストラダムスは、本当は、Le Monstre d’abus と書きたかったのだが、そのままズバリとは書けないので、
Mabus で Le Monstre d’abus を暗示したのである。


では、これはどういう意味なのか? ノストラダムスは何を表したかったのか?
というと、
Le Monstre d’abus(虚妄の怪物) というのは、ノストラダムス当時の敵対者達が、ノストラダムスの名をもじって、批判、攻撃、嘲笑、揶揄した語である。

つまり、中傷者達は、
「ノストラダムス(聖母マリア)なんて偉そうに名乗って、大予言者だと自称しているが、奴の作品はただの虚妄の怪物、妄想を膨らませたものだ。
ノストラダムスじゃなくて、モンストル・ダビュと名乗った方がいいんじゃないのか?アハハハハ」
と揶揄したのである。

なお、これは、ネットでも確かめられる


ノストラダムス雑記帳
http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/index.html



というサイトの中の
同時代の敵対者の書誌
というページ、


http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/biblio/adv_biblio.htm



の中の5,6,7に出ている。

これを読むと、ノストラダムスの生存中から、彼に対して敵対し、批判、嘲笑、揶揄した評論家達がいかに多くて、その攻撃も激烈だったのか、が判る。
日本でも1999年直後に激しいノストラダムス・バッシングが起きたが、これはその時になってから始まったことではなく、ノストラダムスの生前から既に始まっていたのだ。


ノストラダムスの母国のフランス人達が全てノストラダムスを歓迎して彼を誇りに思っていた訳ではない。
ノストラダムス当時から彼の予知能力を疑い、彼の作品を激しく批判、嘲笑、揶揄した敵対勢力が相当数いたのである。
それについては、ノストラダムスも充分に承知していた。
ノストラダムスも国王アンリ二世への手紙の中でこう書いている。


これは天文学的手段その他、けっして誤ることなき聖書の記述にまで基づくものですから、各四行詩において時を明記しようと思えばそれも可能です。

しかし多くの人はそれを快く思わないでしょうから、陛下が私に全き権限を授けて下さるまでは、中傷者たちの攻撃を避けるためにも解釈さえもしようとは思わないのです。



もっと詳しい計算を記して各四行詩をたがいに適合させられるとよいのですが、しかし陛下、わが四行詩のなかには非難にさらされて厄介をひきおこすようなものもいくつかありますので、このあたりでペンをおいて夜の休息にはいろうかと思います。


ノストラダムスもそういう中傷者達、敵対勢力を嫌悪し、苦々しく思っていた。
そして、アンリ二世への手紙には、
「このような難解で誤解を招き易い預言書を公開できるのも陛下(アンリ二世)の庇護のおかげです。
私の作品を世に出せたのも陛下の理解と寛容と温情の賜物です」
というアンリ二世への感謝とも受け取れる記述がある。


ただし、アンリ二世自身はノストラダムスには関心が無く、ノストラダムスの予知能力に関心を持ち、彼を庇護したのは王妃のカトリーヌ・ド・メディシスだったようだが。


つまり、ノストラダムスは、王家公認(国家公認)、王室御用達の占星術師、予言者なのだから、敵対者達も、批判本の出版はできても、ノストラダムスにそれ以上の危害を加えたり、彼の存在と作品を潰すことはできまい、
というのである。


これまでの説明をまとめると、

結局、Mabus マビュ、というのは、
「ノストラダムスに対して批判、攻撃、嘲笑、揶揄などをするノストラダムスの中傷者達、敵対者達を指している」、

と解釈できる。
今でいうト学会のような人達、と考えてもらえばよいだろう。


なお、「虚妄の怪物(Le Monstre d’abus)」という反ノストラダムス本はジュネーヴで印刷、出版されたという。
ジュネーヴというと例の詩


ノストラダムス 第9章44番


逃げよ、逃げよ、すべてのジュネーブから逃げ出せ
黄金のサチュルヌは鉄に変わるだろう
巨大な光の反対のものがすべてを絶滅する
その前に大いなる空は前兆を示すだろうが

(五島勉氏訳)


のジュネーヴが思い起こされる。
もしかしたら、このジュネーヴは「ノストラダムスの敵対者達」を暗示していたのかな?
とも思える。
つまり、「ジュネーヴ(ノストラダムスの敵対者達)から逃げろ、離れなさい」
という忠告だ、とも解釈できる。