「1948年のイスラエル建国」はイエス再臨のしるし、予兆なのだろうか? その4 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日の続きである。
一般に「1948のイスラエル建国の預言だ」と解釈されている記述を検証している。
教会やクリスチャンに限らず全ての人がそう解釈する理由として挙げられているのは、


主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、
ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。
(イザヤ書11:12)


16:14主は言われる、それゆえ、見よ、こののち『イスラエルの民をエジプトの地から導き出した主は生きておられる』とは言わないで、
16:15『イスラエルの民を北の国と、そのすべて追いやられた国々から導き出した主は生きておられる』という日がくる。わたしが彼らを、その先祖に与えた彼らの地に導きかえすからである。
(エレミア書)


ここに「イスラエルの散らされた者」、「イスラエルの民」という表現が出てくるが、
「これはユダヤ人を指している」と考えているからだ。
昨日は載せなかったが、エゼキエル書にも出てくる。


37:21あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、
(エゼキエル書)


ここに「イスラエルの人々」と出てくるから、旧約聖書の三大預言書の全てに「イスラエルの~」と出てくる、となる。
天使の仕事は抜かりない。


では、この「イスラエルの人々」というのは「ユダヤ人を指しているのだろうか?」
という問題がある。

こういう質問をすると、神学者やクリスチャンは、
「はあ? そんなの当たり前じゃん。イスラエルの人々とユダヤ人ってイコールでしょう。そんなもの説明するまでもない常識じゃん」
というだろう。
「だから、これらの記述は1948年のイスラエル建国を預言したものだ」
と言うのだ。
解釈する余地も無い当たり前のことだ、としているのだ。


ところが、私の考えによると、そうではないのである。
私は、聖書に出てくるイスラエル人とユダヤ人とは違う、別物だ、と考えている。
特に、旧約聖書の基本であるモーセ五書とヨシュア記に出てくるイスラエル人、というのは、象徴としては天使軍団=天使的未来人を指している、と考えている。

これは、1999年に徳間書店から出版した「ノストラダムスは知っていた」の第5章と第6章で詳しく説明した。


http://www.amazon.co.jp/dp/toc/4198609772/ref=dp_toc?_encoding=UTF8&n=465392


モーセ5書とヨシュア記は「古代ユダヤ人の歴史書」という形式で書かれてあるが、あれらは史実ではない。
歴史書の形式で書かれた創作的預言である。
簡単に説明すると、


モーセの出エジプトというのは元史(元の歴史)の地球脱出の喩えである。
モーセに率いられたイスラエル人とは宇宙に脱出した人達であり、シナイの荒野とは宇宙の喩えである。
出エジプトを果たしたイスラエル人(宇宙に脱出した人達)は40年間シナイの荒野を彷徨い、その間に世代交代がなされた。
モーセの後継者はヨシュアだが、これはイエスのヘブライ名である。
同じ名前だから、実は同一人物である。
神が彼らの先祖のアブラハムに与えた約束の地、乳と蜜が流れるカナンの地とは地球の喩えである。
そこに住んでいて悪魔崇拝をしているカナン人とは地球人の喩えである。
ヨシュア(イエス)が率いる勇猛な神の戦士であるイスラエル人とは天使軍団=天使的未来人の喩えである。
彼らはシナイの荒野=宇宙で鍛えられて神の計画をしっかりと学習したのである。
それで、ヨシュア=イエスはイスラエル人達=天使軍団を率いてカナン=地球を征服していく。
ヨシュアに征服されて滅ぼされていく「呪われたカナン人」とは実は「今地球に住んでいる地球人」を指しているのだ。
しかし、そのカナン人の中でも、前もって降伏してヨシュアを助けたカナン人は救出されたが、これは、救済された義人を指している。


これがモーセ五書とヨシュア記の預言的象徴的意味である。
そして、これこそが真の作者である天使が地球人に伝えたかったことなのである。
だから、イスラエル人とは、ユダヤ人ではなくて天使軍団を指している、と考えるのだ。


旧約聖書の他の書はモーセ五書とヨシュア記を土台、基礎としてその上に積み上げられている。
新約聖書は更にその上に積み上げられている。
ノストラダムスの作品は更にその上に積み上げられている。

これらの全預言書の基礎となるモーセ五書とヨシュア記の基本的象徴的意味を理解できなければ、他の預言書やイエスの言葉を読んでも理解できる訳がない。
基礎を理解できなければ、いくら上に積み上げても直ぐに崩れてしまって無駄だ。


しかし、この基礎を理解できた人がいただろうか?
教会も、神学者も自称クリスチャンも、この基本的意味を何ひとつ理解できないで聖書を読んでいたのである。
それで「イエス様はこう言った、イエス様のこの言葉の意味は・・・」
ともっともらしく説明しても無駄、空虚である。


さて、これを踏まえた上で、1948年のイスラエル建国を預言したと解釈されてきた三大預言書の言葉をもう一度考えてみよう。
これらの記述には、イスラエルの散らされた者、イスラエルの民、イスラエルの人々、と書かれてある。
イザヤにしろ、エレミアにしろエゼキエルにしろ、彼ら自身は預言の真意は解らない。
ただ、神がかり状態になって、そういう言葉が浮かんできただけだ。
そして、預言者にテレパシーでメッセージを伝えたのは天使軍団(の中の預言作成班のメンバー)なのである。
だから、その真の作者である天使が「どういう意図で預言書にそう書かせたのか?」
ということが解らなければ、真に理解できた、とは言えない。


では、天使はこれらの記述にどういう意図を込めて作成したのだろうか?
「1948年のイスラエル建国を知らせたかったのだろうか?」
いや、そんなことは無い。
地球人にとっては「1948年のイスラエル建国」は大事件かもしれないが、天使にとっては大した事件ではない。
イスラエルが建国されていようがいまいが天使からしたら関係無い。


天使が預言書で伝えたかったのは、
「2016年から悪魔軍団の侵略が始まりますよ。だから、その前に天使を呼んでその侵略を阻止しなさい。
1999よりも前に天使を呼んで準備を始めなさい」
ということである。


1948年のイスラエル建国を知らせたかったのではない。
そんなものは預言の本質に関係無い。
「イスラエル建国の預言だという解釈」は預言ではなくて予言だ。
預言と言っているくせに預言と予言の区別がついていない。

私の解釈を理解してから、もう一度先の記述を読んでいただきたい。


主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、
ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。
(イザヤ書11:12)


36:24わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、
すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。


37:21あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、
(エゼキエル書)


16:14主は言われる、それゆえ、見よ、こののち『イスラエルの民をエジプトの地から導き出した主は生きておられる』とは言わないで、
16:15『イスラエルの民を北の国と、そのすべて追いやられた国々から導き出した主は生きておられる』という日がくる。わたしが彼らを、その先祖に与えた彼らの地に導きかえすからである。
(エレミア書)


どうだろうか?
これらの記述が、
「全宇宙へと離散していった未来人達が、(タイムマシンを手に入れたら)一斉に過去の地球、一番良い条件の時代への地球へと殺到して来る」
と読めないだろうか?


そして、これらの預言の主語は「主」である。
主、神が自らが人類になる前からこう計画していたことなのである。

これが解ると、「1948年のイスラエル建国の預言」だ、という解釈がいかに、低レベル、低次元なものなのかが理解できるだろう。