バビロン捕囚は悪魔帝国の予型であり、神と天使に背いた罰、懲らしめである。 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日はノストラダムスの作品に出てくるキーワードのひとつとして「メソポタミア」を取り上げて、メソポタミアが出てくる詩を解説した。
それで、昨日、こう書いた。

メソポタミアは古代バビロニア王国があったところで、バビロニアというと聖書ではバビロン捕囚を連想する。
バビロン捕囚とは、悪魔帝国、悪魔軍団に地球の覇権を奪われて奴隷にされてしまった地球人の予型である。


予型というのは、雛型、前兆、予象、予兆などとも言われるが、

「時代は隔たっているが同じような現象が繰り返される」という思考における「前の現象」のことである。
時代が隔たっているから、見た目は一見違うようには見えても、その本質的意味が同じであれば予型とされる。
つまり、表面上の見た目よりも内容、本質的意味の方を重視するのである。


ここで、バビロン捕囚について調べてみよう。


ソロモンの死後、紀元前922年頃、王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。
しかし、紀元前722年に北王国はアッシリアに滅ぼされた。
その後ユダ王国はアッシリアに服属する形で存続していたが、紀元前609年にメギドの戦いの敗北によってエジプトの支配下に入り、紀元前605年にカルケミシュの戦いでエジプト第26王朝のネコ2世が新バビロニアのネブカドネザル2世に敗れ、最終的に紀元前597年に新バビロニアのネブカドネザル2世の前にユダ王国も屈した。
なおしばらくは独立国としての存在が許されていたが、結局エジプトと結んでバビロニアと対抗しようという企てが失敗し、紀元前586年にエルサレム全体とエルサレム神殿が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行されることになった。これをバビロン捕囚という。


概要
紀元前597年、ネブカドネザル王はエルサレム市街に入城し、住民のうちもっとも有力な若い者をユダヤ人の王エホヤキムとともに殺害し、約3,000人の有力者を捕虜としてバビロンに拉致した。
エホヤキムの息子のエホヤキンが王国を嗣いだが、ネブカドネザル王は謀反を恐れ、エホヤキンや王族をはじめとしてエルサレム市内の若者や職人たちのすべてをバビロンに連行させた。その数は10,832人に達したという。
エホヤキン王の叔父ゼデキヤが王位を継承したが、紀元前586年7月11日、エルサレムは破壊され、ゼデキヤ王以下ユダヤ人たちはバビロンへ連行された。
(ウィキペディアより)
とある。


これは、今から2600年も昔の話である。
「でも、これがどうして、悪魔帝国、悪魔軍団に地球の覇権を奪われて奴隷にされてしまった地球人の予型である、というの?

バビロン捕囚なんて、遠い昔のユダヤ人の話、中近東の一事件にしか過ぎないじゃん
という疑問があるだろう。2600年もの時代の差があれば、当然時代背景も違うし、見た目も全然違うだろう。


だが、
時代が隔たっているから、見た目は一見違うようには見えても、その本質的意味が同じであれば予型とされる。
つまり、表面上の見た目よりも内容、本質的意味の方を重視する。


と書いたことを思い出して欲しい。
北王国がアッシリアに、そしてユダ王国がバビロニアに滅ぼされた原因を聖書では、
「王と民が、イスラエルの神、主の教えから遠ざかり、預言者の警告を無視して他の神に仕えたこと」
としてあるのだ。
この王と民の背信に対して神が怒り、罰、懲らしめとして、王国を滅ぼして、バビロンに奴隷として連行していった、というのである。


これについて、エレミアは次のように預言している。


1:13主の言葉がふたたびわたしに臨んで言う、「あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「煮え立っているなべを見ます。北からこちらに向かっています」。
1:14主はわたしに言われた、「災が北から起って、この地に住むすべての者の上に臨む」。
1:15主は言われる、「見よ、わたしは北の国々のすべての民を呼ぶ。彼らは来て、エルサレムの門の入口と、周囲のすべての城壁、およびユダのすべての町々に向かって、おのおのその座を設ける。
1:16わたしは、彼らがわたしを捨てて、すべての悪事を行ったゆえに、わたしのさばきを彼らに告げる。彼らは他の神々に香をたき、自分の手で作った物を拝したのである。
(エレミア書)


エレミアはここで

わたしは、彼らがわたしを捨てて、すべての悪事を行ったゆえに、わたしのさばきを彼らに告げる。


と言った。

この「わたし」とは、主、イスラエルの神である。

エレミアは主からメッセージを預託されて預言したのである。

「ユダヤの王と民が主を捨てて悪事を行い、他の神に仕えたこと」

が原因で、それに対して神が怒り、裁き、罰と懲らしめを行ったのである。
神の裁きの結果が王国の滅亡と民の奴隷化なのである。
主がバビロニアをけしかけてユダ王国を滅ぼしたのである。
バビロニアは「懲らしめの鞭」だったのだ。
悪いのは主に背いたユダヤ人の方であり、この主の裁きは当然で、正しい、というのである。


では、これから間も無く2年後に起きる悪魔軍団の侵略、彼らよる地球人征服戦略としての疫病と大飢饉による艱難、人口削減と生き残った人達の奴隷化、
は何が原因か?というと、天使達は、
「天使がせっかく与えてあげた救済預言を無視し、その指示に従わなかったからだ」
と見ている。
「その天使の期待を裏切った背信の罰として、悪魔軍団に侵略されて蹂躙されて奴隷にされる。」
と考えているのだ。
悪いのは、天使を呼ばなかった地球人の方であり、これが当然の正しい裁きであり、悪魔軍団による奴隷化は、その罰、懲らしめだ、というのである。


「そんなことを勝手に上から目線で言われても困るよ。

天使は何様のつもりなんだ。

何で俺達を裁く権利があるんだ」

と思うかもしれない。


だが、未来人の方が地球人よりも遥かに力を持っている。

人数は少なくても軍事力も技術力も遥かに上回っているのだから仕方ない。

そういう仕組みになっているのである。


どうだろうか、バビロン捕囚も悪魔軍団による侵略と奴隷化も、
「神、天使に背いた罰、懲らしめである」
という本質的な意味は完全に一致している。
だから、「バビロン捕囚は、これから起きる悪魔帝国の予型である」
と言えるのだ。


では、「予型は何の為に存在しているのか?」

というと、

「同じ過ちを繰り返さないため。

過去を教訓として未来に活かすため」

である。


もし、地球人が預言書を理解して、その指示に従っていたら=期限(1999年)までに天使軍団を呼んでいたならば、この悪魔軍団による侵略という艱難は防げた(かもしれない)のである。

救済される方法は教えてあったのに、
救済される可能性はあったのに、
1999年当時の地球人は、せっかく差し伸べた救援の手を振り払ってしまった。


その意味もこれから起きる未来も解っていない。
天使から見たら、「救いようが無い馬鹿だ」としか言いようが無い。