パラレルワールド理論、並行時空論に騙されるな | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日、パラレルワールド、並行宇宙というものについて言及したので、これについて考えてみよう。

このごろ、というか、だいぶ前からだが、精神世界、スピ系(スピリチュアル系のサイト)において、パラレルワールド、平行世界、並行宇宙、並行時空あるいはタイムシフト、タイムラインなどという言葉を使う人がいる。

まず、パラレルワールドについての定義だが、ウィキペディアによると、


パラレルワールドとは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。
「この現実とは別に、もう1つの現実が存在する」というアイディアは、「もしもこうだったらどうなっていたのか」という考察を作品の形にする上で都合がよく、パラレルワールドはSFにおいてポピュラーなアイディアとなっている。


となっている。

また、これと多元宇宙論を混同している人がいるが、並行時空論と多元宇宙論とは全く別のものである。
多元宇宙論をウィキペディアで調べると、


多元宇宙論(たげんうちゅうろん、英: multiverse)、マルチバース理論、とは、複数の宇宙の存在を仮定する仮説である。


と書かれてある。
これは私は一昨日、6月29日の記事に書いた、


>いや、この宇宙だけが特別ではない。
この宇宙の外側には、別の神が無数にいて、それぞれの神がこの作業を黙々と繰り返している。
しかし、神=宇宙同士には交流は無い。
大勢の子供が、それぞれ黙々とひとり粘土遊びに興じているようなものだ。


に相当するから、私は多元宇宙論は肯定する。
確かに「別の宇宙」は存在すると思う。
しかし、我々はこの宇宙に属しているのだから、この宇宙の外側には行けない。
行けないのだから、別の宇宙が存在していても関係無い。
「行けもしない、影響も受けない、影響も与えられない」、という全く関係の無い別の宇宙の話をこれ以上しても無駄である。


ところが、パラレルワールド、平行世界という理論を支持する人は、
「時空が途中で分岐していって、その分岐した時空がそれぞれそのまま並行して存在していく」
という意味で使っているので「この宇宙の中での話」なのである。

だから、並行宇宙というよりも並行時空と言った方が正しいだろう。
多元宇宙、複数宇宙を指すべき言葉である並行宇宙、平行宇宙を、並行時空の意味で使っているからごっちゃになって混乱しているのである。


平行世界支持者が考えていることを例にとって説明してみよう。


あなたが、観光旅行で行った初めての町をあてどなくぶらぶら散歩していったら交差点にぶつかった、とする。
それで、どの道を行こうか?と悩んだとする。
真っ直ぐ行こうか? 右の道を行こうか? 左の道を行こうか? それとも戻ろうか?
となると4っつの選択肢がある。
その中のどれかを選ばなければならない。

それで、あなたは右の道を行くことに決めて、右へ曲がった。
そして、散歩を終えてホテルに帰って、その後現在に至っている。
しかし、並行時空論を支持する人は、

この4っつの選択肢を選んだ時空がここで4っつに分岐して、それぞれ全部並行して存続していく」、と考える。

真っ直ぐに行った場合、左の道曲がった場合、ここで引き返した場合と、実際には選択しなかった3っつの選択肢を選択した、と仮定した時空が分岐して、並行して存続していく、
と考えるのだ。

例えば、あの時、右でなくて、左に曲がっていったとする。
そうしたら交通事故に遭って大怪我をして、後遺症が残ったとする。
すると、その後の人生は今の人生(右へ曲がった人生)とは大きく異なる。


平行世界支持者は、「この左へ曲がって大怪我を負った人生(時空)も平行して存続している」、と考えるのである。

「そんな馬鹿な。そんな事有り得ない。そんなことを考えてもしょうがないだろう」
と普通は思うはずだ。
ところが、パラレルワールド支持者、並行時空支持者は

「これがある、存在する」と大真面目に考えているのだ。


我々は日常生活で、
「今日はどの服を着ていこうか? どこに行こうか? 何を食べようか?」と常に選択を迫られている。
スーパーに買い物に行ったら、「何を買おうか? どれを選ぼうか? それとも買うのを止めようか? 」
ということを何十回と無数に選択を迫られて、そのつど瞬間的に選択している。
それが、選択に迷った時に、その都度時空が分岐していったら、1日に何十回も時空が分岐していくことになる。
しかも、「そんな個人的な選択による時空分岐に全世界の人が付き合っていくのか?」
という疑問がある。

これを全世界70億人の人が毎日やっていて、その都度時空が分岐していったら時空の分岐が無限になってしまい、きりがない。
収拾がつかないではないか。
「何でもあり」の世界になってしまう。
並行時空説では何でも説明できるが、非常に無責任な理論である。


確かに、我々も「ああ、あの時にああしたら良かったのに、ああすれば別の人生を歩んでいたかもしれなかったのに」
と昔の失敗を悔やむことはある。
しかし「もし、たられば」のことをいつまでも悔やんでいても仕方ない。


昔の時点には戻れないし、昔の時点に戻ってやり直すことはできない。
そんな女々しいことをいくら想像しても無駄である。

「並行時空という考え方、理論がある」というのは認めるが、

「別の並行時空には行けないのだから」これ以上考えても無駄である。


確かに、「並行時空は存在する、とも存在しない」、とも証明できないが、
百歩譲って、万一並行時空が存在していたとしても、別の並行時空には行けないのだから、そんなものを考えても無駄である。


私が考えている時空論は、昨日も説明したように「ビデオテープ再録画説=歴史変遷説」である。
時空(ビデオテープ)はあくまでも一本であり、それが何回も再録画されている、と考える。
ビデオテープは途中で枝分かれしていかない。

聖書にもノストラダムスにも、こう解釈できる記述、詩はいくつかある。
だが、並行時空説を唱えていると解釈できる預言は見当たらない。


さて、平行世界、並行時空を唱えているチャネラーの情報だが、
私はその全てを否定している訳ではない。
一部ではあるが、参考になる情報もある。


要するに「そのチャネラーの情報を全て鵜呑みにするのではなく、参考になる部分は採って、納得できない部分は採らない」、
という選択が重要である。