農耕神の兄カインは、弟の羊飼いのアベルを殺して呪われた。この作り話に込められた意図とは? | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

さて、このノストラダムスの第9章44番の詩の2行目


黄金のサトゥルヌスは鉄に変わるだろう
Saturne d'or en fer se changera,


のサトゥルヌスについて、もうひとつ気がついたことがあるので書いておこう
>サートゥルヌス(Sāturnus)は、ローマ神話に登場する農耕神。

とあった。


この農耕神、農耕の神というと聖書のある記述が思い浮かぶ。
それは、旧約聖書の創世記のカインとアベルの話である。
これがどうも関連しているように思えてならない。
少し長いが、その部分を載せる。


4:1人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。
4:2彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
4:4アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
4:5しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
4:6そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
4:7正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
4:8カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
4:9主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
4:10主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。
4:11今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
4:12あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。
4:13カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。
4:14あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
4:15主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。
4:16カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
(創世記)


カインは土を耕すものだから、農耕を営む者であり、アベルは羊を飼う者だった。
二人は、それぞれの供え物を主に捧げたが、主はカインの捧げ物を退けて、アベルの捧げ者(子羊)の方を喜んだ。
これを恨んだカインはアベルを殺してしまったのである。
これを見破った主はカインを追放した。
以後、カインは放浪者となるが、主は、誰もカインを殺すことの無いようにカインにしるしをつけた。

という話である。


勿論これは史実ではなくて神話、創作的預言である。
それに、この話には、
神は全能なのに、何故カインの弟殺しを前もって見抜けなかったのか?
「カインを見つける者が」とあるが、アダムとエバとカイン以外に何故人がいるのか?
などの矛盾、疑問があるが、
「細かいことはいいんだよ」
というのだろうか?


それよりも、聖書の真の作者がどういう意図でこの話を創作したのだろうか?
を考えるべきだろう。
歴史的検証よりも、この話の象徴的意味を探る方が大切である。


そうすると、まず、兄のカインは農耕を営む者だから、農耕神、サトゥルヌスを連想させるので、サターン、悪魔軍団の暗喩ではないか?
と考えられる。
それに対して弟のアベルは羊飼いだというから、良い羊飼い=キリストを連想させるので、天使軍団の暗喩だと考えられる。

羊の初仔を犠牲にして主に捧げた、というのもイエス・キリストを連想させる。
イエスは「犠牲の子羊、傷の無い雄の初仔(無原罪の神のひとり子)」に象徴されるからだ。
早くも、ここがイエス・キリストの予型、伏線になっているのではないか?
と思われる。

聖書の真の作者は天使だから、

悪魔軍団(に喩えたカイン~農耕神~サトゥルヌス)を嫌い、呪って、自分達天使軍団(に喩えたアベル~羊飼い~キリスト)を祝福する、

と書くのは当たり前である。

このように考えていくと、これはかなり、あからさまでミエミエの作り話である。

そして、カインは屈辱に憤って、アベルを殺してしまい、それが主に見つかって、追放、放浪という罰を受けた。

この話は、
地球人は、期限=1999年までに羊飼い(キリスト、天使軍団)の方を主人に選ばないと、酷い目にあって苦労しますよ、
という喩え話、教訓のように思われる。


さて、アダムはその後セツという男子をもうけ、セツの子孫が正統として話が続いていく。
主が祝福したアブラハムとその子孫であるイスラエル人はセツの系統である。
カインの子孫も続いてはいくようだが、正統からは外されてしまう。


ただし、途中でノアの箱舟の話の時に、「ノアの家族以外は全部洪水で死んでしまった」、
とあるので、カインの末裔もこの時に全部死んだはずになるが、この辺の細かい話や疑問はあまり考えなくていいのだろう。


さて、アベルはカイン(兄)に殺されてしまったが、主はアベルの供え物の方を顧みた、とあるので、主はアベル(弟)の方を祝福した、と考えられる。


それで、創世記をずっと読んでいくと、
イシュマエルとイサク
エサウとヤコブ
という男同士の兄弟がいる場合、

主、あるいは兄弟の父はことごとく兄を差し置いて弟の方を祝福していって、弟の子孫が正統になっていくのである。

この話は何を意味しているのか?
というと、

「兄は、先に未来から戻って来たグループ=悪魔軍団を
弟は、後から戻って来たグループ=天使軍団を指しているのではないか」、


と考えられる。
歴史の変遷からみると、地球にはまず悪魔軍団が現れて、それから天使軍団が現れるので、
悪魔軍団を兄に喩えて、天使軍団を弟に喩える、
というのは妥当なところだから納得がいく。


聖書の作者は天使だから、
「兄(悪魔軍団)よりも弟(天使軍団)の方が祝福された」
と書いたのは当然だし、これは、


「弟(天使軍団)の方に地球の相続権がある。
兄(悪魔軍団)が地球の覇権を奪っているのは、一時的な誤りであり、いつかは、弟(天使軍団)の方に相続権が移るべきだ。
弟(天使軍団)にはその権利がある。
それが、神の意図であり、神の正義である。
弟(天使軍団)は、この神から与えられた権能
を遂行する」

と主張、告知している、と考えられる。

特に創世記というのは完全な神話、作り話だから、このように考えていくと、天使の意図、創作過程が丸見えであり、バレバレだと思うのだが。