ロトのソドム脱出は携挙の予型だった その1 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

このスレは前の話の続きなのだが、旧約聖書の創世記のソドム滅亡に関しての話なので、「旧約聖書」というテーマを立てて、そこに分類する。

「預言の解説も、ノストラダムスから新約聖書の福音書へ、そして、ヨハネの黙示録へ、と飛んで、今度は旧約聖書の創世記か、
とあちこちへと、とりとめもなく、摘み食い的に話が飛びすぎだ」
と思うかもしれないが、これも前のスレで、


>預言書というのは、関連した記述、伏線とヒントになっている記述が非常に複雑に絡み合って構成されている。
これは、ノストラダムスの作品の中でもそうだし、ノストラダムスと聖書の間でもそうだし、そして、聖書の中でもそうである。


と書いた通りである。
預言書に書かれてある記述、話、言葉を辿っていくと芋蔓式にどんどん話が広がっていってしまう。
まあ、これも預言解読の面白さなのだが、単に面白いというだけではない。
これは、ただの寄り道ではなく、


「預言の真の作者である天使は、これらの関連している記述を全部意識して、念頭に置いて預言を作成した」

のである。
最初に取り上げたノストラダムスの1-80の詩にしても、これらの記述が全部伏線、予型になっている。
だから、1-80の詩を本当に理解する為には、これらの伏線、予型を全部理解していないとならないのである。
だから、ずっと発展してきているが、これらは、脱線でもなく、「とりとめもなく、摘み食い的に話を広げているの」でもない。
大きな流れで見ると、これらは全部ノストラダムスの1-80の詩の解説の続きなのである。
さて、前のスレで取り上げた黙示録の記述、


>3:20見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
(ヨハネの黙示録)


についてだが、この記述についての解釈に関してこう書いた。


>これは、1999年を期限とした全体救済についての話をしたのか?
というと、そうとは限らない。
「個人救済=携挙についての話である」、とも解釈できるのだ。
しかし、これは、これとリンクしている別の話を考慮したら、そうとも解釈できる、というのである。


では、この黙示録の記述とリンクしている話、これの伏線となっていて、その謎を解く鍵となっている話は聖書の中のどこにあるのだろうか?
というとそれは、旧約聖書の創世記の19章「ソドム滅亡」という話の中にある。
ソドム滅亡というのは、有名な話で、比較的短い話なのだが、
この話は丸ごと「義人の地球脱出=携挙の予型、雛形」になっている。
そして、このロトのソドム脱出の話を伏線、予型としていると思われる記述は聖書のあちこちに散在している。
これは、携挙の予型、基礎、基本となっている非常に重要な話である。


19:1そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、
19:2言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください」。彼らは言った、「いや、われわれは広場で夜を過ごします」。
19:3しかしロトがしいて勧めたので、彼らはついに彼の所に寄り、家にはいった。ロトは彼らのためにふるまいを設け、種入れぬパンを焼いて食べさせた。 19:4ところが彼らの寝ないうちに、ソドムの町の人々は、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、
19:5ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。
19:6ロトは入口におる彼らの所に出て行き、うしろの戸を閉じて、
19:7言った、「兄弟たちよ、どうか悪い事はしないでください。
19:8わたしにまだ男を知らない娘がふたりあります。わたしはこれをあなたがたに、さし出しますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください」。
19:9彼らは言った、「退け」。また言った、「この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつも、さばきびとになろうとする。それで、われわれは彼らに加えるよりも、おまえに多くの害を加えよう」。彼らはロトの身に激しく迫り、進み寄って戸を破ろうとした。
19:10その時、かのふたりは手を伸べてロトを家の内に引き入れ、戸を閉じた。 19:11そして家の入口におる人々を、老若の別なく打って目をくらましたので、彼らは入口を捜すのに疲れた。

19:12ふたりはロトに言った、「ほかにあなたの身内の者がここにおりますか。あなたのむこ、むすこ、娘およびこの町におるあなたの身内の者を、皆ここから連れ出しなさい。
19:13われわれがこの所を滅ぼそうとしているからです。人々の叫びが主の前に大きくなり、主はこの所を滅ぼすために、われわれをつかわされたのです」。
19:14そこでロトは出て行って、その娘たちをめとるむこたちに告げて言った、「立ってこの所から出なさい。主がこの町を滅ぼされます」。しかしそれはむこたちには戯むれごとに思えた。
(創世記)


これは、まだ、途中までだが、この引用の始めに出てくる「ふたりのみ使い」というのは、「主からソドムの住民を偵察するように依頼されて派遣された使者、密偵、斥候である」
ただし、「この二人の御使い」の正体というのはここでは明らかにされていない。


それで、この話を要約すると、
二人の御使いを見たロトは直ぐに、「私の家にお泊り下さい」
と言って彼らを家に案内して食事をふるまった。
これは黙示録の設定とは少し違うが、
「家に入れて食事を共にした」という点は共通しているので、ほぼ同じ、と考えてもいいだろう。
それで「よそ者がロトの家に入った」と知ったソドムの住人が集まってきて、ロトの家に押しかけ、彼らを出して襲おうとした。
ところが、ロトは身を挺して彼らを守ろうとした。
自分の娘を差し出して、犠牲にしてまで彼らを守ろうとしたのである。
これで、二人の御使いは、「主がソドムの住民を滅ぼそうとしている」と感じ、ロトの一家を助ける為にソドムから脱出させようと導く。
そして、ロトと二人の娘がソドムから脱出してから、主は天から硫黄と火をソドムに降らせてソドムの住人を滅ぼしてしまった。

と、このような話だ。


これは勿論史実ではない。
創作的預言、天使のつくり話である。


この話の要点は、
主は、まず、二人の御使いを派遣してソドムの住人を調べさせた。
そして、ソドムの住人が「救うに値しない」と判り、ソドムを滅ぼすことを決めたのだが、二人の御使いを身を挺して助けようとしたロト=義人だけは助けようとしてソドムが滅ぼされる前に脱出させた。
ということだ。

つまり、ロトは、

「二人の御使いを接待して、更に、身を挺して、自分が犠牲になってまで二人の御使いを助けようとした」
これが義と認められて救出されたのである。


この悪徳の街ソドムとは地球、地球人の喩え、暗喩である。
しかも、期限(1999年)までに天使を呼ばなかった地球人の喩え、暗喩である。
期限までに天使を呼んで準備を始めなければ、悪魔軍団の侵略を防げないのだから、あの時点(1999年)で地球人の将来の破滅は決定されたのである。
しかし、「その場合でも義人がいたなら、その義人だけでも助けてあげましょう」、
というのが携挙である。
全体救済が無理だ、と決定してしまった場合は個人救済に移るしかない。

その個人救済=義人救出=携挙というのは、


悪魔軍団の侵略が始まる前に、義人をソドム(地球)から脱出させる、
つまり、天使は義人救出の為の船(UFO)を差し向けて、その義人をUFOに乗せて天使が本拠としている惑星に連れて帰って、以後、天使と共に暮らしていく、

というものだ。

もし、ソドムの話を全体救済の話だ、とするならば、
二人の御使いがソドムを訪れるやいなや、町の住人はこぞって二人の訪問を歓迎して町全体で祝宴を開き、二人を接待した。
となるはずだ。
もし、ソドムの住人がこういう行動をしたならば、主はソドムの住人を滅ぼさなかっただろう。


いや、この19章のソドム滅亡の前の18章に「アブラハムの執り成し」という話があり、アブラハムは主に懇願し、
「ソドムに10人の正しい者がいたなら、その10人の為に町を滅ぼさない」
という確約を取っていたのだ。


ところが、結局、ソドムには10人の正しい者もいなかった、と判明したので町は滅ぼされたのである。