イエスの「金持ちは天国に入れない」という言葉の真意 その3 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

前のスレで、


>天使達は地球人の未来が悲惨で貧しいことを実際に見て知っているのだ。
そして、天使達が地球人(過去人)に何もしなければ、地球人はこの歴史をそのまま再現していくしかない。

では、地球人がこの悲惨な未来を回避するにはどうしたらいいのだろうか?


と書いた。
それに対する天使の答えはこう記述されていた。


>3:18そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
(ヨハネの黙示録)


しかし、これだけでも良く解らない。
天使は「もっと、具体的に地球人にどうしろ」
と言ってきているのだろうか?
その答えは、黙示録の先程挙げた箇所に書かれてあった。


>3:20見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。


だが、これでも喩え話的、象徴的である。
しかし、この話からでもある程度は推測できる。
イエス(天使)は「戸の外に立っていて、戸を叩いている」とある。
つまり、「家の外にいて、家の中に入れてくれ」と要請している。
この「家」とは地球の暗喩だと考えられる。
勿論、この家、この地球には我々地球人が住んでいる。
だが、天使達は強盗ではないので、地球人の許可なく無理やり侵入してはこない。
地球人が戸を開けて「さあどうぞ、お入り下さい」
と言うのを待っている。
地球人が「ああ、よくいらしゃいましたね。お待ちしていました。さあ、どうぞお入り下さい」
というのを辛抱強く待っている。
これは黙示録の最後に書かれてある。


22:17御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。


「きたりませ」とは「来て下さい」という意味だ。
「来て下さい、と言いなさい」、ということだ。


地球人の方から「イエスよ、天使よ来て下さい」と言って、天使の来訪を歓迎したならば、天使は地上に降りて来て共に生活を始められる、というのだ。
そして、そうなったならば、天使は地球人に救済方法を教えてあげる、というの

である。


その救済方法というのは、

未来のある時点になったら、悪魔軍団の侵略が始まる。
そして、地球人は悪魔軍団に征服されてその奴隷にされてしまう。
それが、いつか?何年にどういう方法で行われるのか?
は天使は全部知っている。


この悪魔軍団の侵略を防衛する為には、地球人と天使軍団が提携合体し、協力しあって防衛力を高めるしかない。
天使はその方法も全部知っている。

だから、地球人が自分達から
「天使の皆さん、どうか来て下さい。私達に悪魔軍団の侵略を防衛できる方法を教えて下さい」
と言わせるように仕向けなければならない。


そして、その為には、地球人に真実、未来がどうなっているのか、を全部教えて理解させなければならない。
その為のテキストとして聖書とノストラダムスの預言書を書き、歴史に付加してきたのである。


ただし、今説明したのは全体救済の話だ。
全体救済というのは、地球人をひとつの団体とみなして、地球人が全体として天使を呼んだら、天使も地上に降りて来られる、
というケースであるが、


これには「いつまでに天使を呼ばなければならない」という期限、タイムリミットが存在していて、その期限は1999年だった。


だから、もうとっくに過ぎてしまっている。
今から天使を呼んで準備を始めても間に合わない。
それは天使も解っている。


天使が地球人に預言書を与えたメインの目的は、「悪魔軍団から地球の覇権を奪い取るため」である。
その目的達成の為に地球人(過去人)に協力を要請したのである。
これは既に失敗してしまった。


「地球人(過去人)を救済すること」がメインの目的ではない。

ここを勘違いしていると預言書の真意は理解できない。


今から全体救済は無理だ。出来ない。
1999年までに理解できなかったものが、今から理解できる訳が無い。
何よりも時間がない。
来年、2014年から悪魔軍団の侵略が始まる、というのに、あと1年足らずで間に合う訳が無い。
私も全体救済なんてことは考えていない。
今からできるのは個人救済=掲挙しかない。

では、この記述、


>3:20見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。


は、1999年を期限とした全体救済についての話をしたのか?
というと、そうとは限らない。
個人救済=掲挙についての話である、とも解釈できるのだ。
しかし、これは、これとリンクしている別の話を考慮したら、そうも解釈できる、というのである。


預言書というのは、関連した記述、伏線とヒントになっている記述が非常に複雑に絡み合って構成されている。
これは、ノストラダムスの作品の中でもそうだし、ノストラダムスと聖書の間でもそうだし、そして、聖書の中でもそうである。


この黙示録の記述にも、ある関連した話、伏線となっている話がある。
イエスはこの話をした時に、聖書の中に出てくるある別の話を念頭に置いていたのである。
だから、その伏線となっている話を明らかにして関連付けないと、この記述も理解できない、となる。