「信じる」ことの重要性 | 河野一之のブログ

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「信じる」ことの重要性

自分の思い通りに行かなかったり、不幸な事に信じていたモノから裏切られたりした経験を多くの方が持っています。

 

傷ついてまた信じることが怖かったり抵抗を感じるのは当然の話です。

でも怖く感じたり、抵抗を感じる時点で実際は「また信じたい」と心や体が思っている証拠でもあります。

 

そこでまた勇気を出して信じてみるのか、それても怖いままでいるのか、それ自体を選べるのも自分自身です。

 

勝手に傷つき、勝手に信じられなくなっていた過去の自分への記事を書いてみます。

 

 

もくじ

  1. 失敗をしたくてしている人はいない

  2. コミュニケーションの方法が上手ではない

  3. まとめ

 

1、失敗をしたくてしている人はない

  • 例えば一緒に演奏をしていたり、指導をさせていただいている時に何度もミスをされる。

  • 次は大丈夫かな、気をつけてくれるかなと心配=期待を込めてアドバイスを行う。

  • また同じようなミスが起きこちらの気持ちが萎える。

  • がっかりする。

 

という事が20代の頃までよくありました。

よくありませんか?アンサンブルの練習をしている最中や合奏中に他のパートの方でそう思ったり。

 

これには実はからくりが隠されています。

 

信じていないのです。

 

次は大丈夫かな?気をつけてくれるかな?という=期待をしてしまっています。

しかしこの機体はwikipediaにもあるように、

 

「何らかのことが実現するだろう、と望みつつ待つこと。また、当てにして待つこと」

 

というこちらの状態を示しています。なのでこちらが勝手に期待しているのです。

そしてまた同じ様なミスが起き気持ちが萎える。これも言葉を追記すると

 

また同じ様なミス(とこちらが思っている事)が起き(こちらの)気持ちが萎える」のです。

 

なので期待しているよ!気持ちが萎えたよ!という気持ちは全てこちらが生み出しています。=誰かにそういう気持ちにさせられたわけではありません。

 

なので期待なんかせず、これを初めから信じてしまいます

つまり相手を変えようと努力する前にこちらが変わってしまいます。

 

「きっと楽しい演奏をしたいだけ、ミスをしたいわけでもこちらを萎えさせたいわけでもない」

 

すると、さっきの流れがこう変わりやすいです。

 

 

1、例えば一緒に演奏をしていたり、指導をさせていただいている時に何度もミスをされる。

楽しく演奏されたいはずなのにと信じる事により、なんでそのミスは起きるのだろうかと寄り添える。一緒に解決方法を模索できる。

 

2、次は大丈夫かな、気をつけてくれるかなと心配=期待を込めてアドバイスを行う。

次は大丈夫!とだけ信じられる。気をつけてくれるかな=こちらの思い通りに動いてくれるかなと相手にこちらへの忖度を期待しなくなる

 

3、同じようなミスが起きこちらの気持ちが萎える。

根本が相手への信用なため、例えば

  • 今はできないだけ、時間がかかることなんだと思える

  • 何度もやってみようと思える

  • 気持ちが萎えることは無い

4、がっかりする。

忖度も待たず、期待もしていないためがっかりする必要がなくなる。

それよりも「じゃあ次はどんな手があるか」と創意工夫が始まる。

 

ただ信じただけです。

相手を変えようと努力、期待するのではなくこちらが先に変わってしまうのです。

すると流れが変わってきます。

 

一点だけ、どうしても合わない場合もあります。その時は割り切って環境を変えてしまうことも必要です。例えば僕はキュウリが苦手です、キュウリに非はありません。僕の味覚です。

こちらが変わってキュウリを好きになることはないでしょう。なのでキュウリから離れます。

 

しかし、多くの場合、自分がした期待によって勝手に自分自身が傷ついたりがっかりする事が往々にしてあります。No期待、Yes信頼です。

 

信じる事や任せる事は過去の経験から怖く感じるかもしれませんが、まずは自分を信じ、相手も先にこちらから信じてしまう方が結果的に良くなります。

 

2、コミュニケーションの方法が上手では無い

インターネットが開発され、3G→4G、そして5Gと世界は動いています。そんな中SNSも数多くの人に使われる様になりました。

 

それゆえ起きているのが誰かとのコミュニケーションをSNS上で取る際の相手との距離の見誤りです。

 

こんな事を経験したことはありませんか?

 

  • 突然コメント欄に一度も会ったことも無い人から初対面とは思えないコメントが寄せられる

  • ダイレクトメッセージなどで一度も会ったことも無い方からまるで古くからの知人や友人のようなメッセージが届く

などです。女性に届く場合が多いとよく聞きますが男性の僕にでもきた事があります。

 

多くはスパム的内容でそのほかに関しては「コミュニケーションを取る上での距離の見誤り」です。

 

我が家のそばでも一年に一回ほど起きますが、信号待ちをしている最中にとつぜん見知らぬおじいさんから「この信号の待ち時間長いよな〜」と話しかけられたりします。

 

多くの場合びっくりしても「そうですね〜」ぐらいは返すと思います。

 

でも実際に目の前に見知らぬ人がいてその人が話している内容に対し

 

「いや、僕はそうは思いません。あなたの考え方は間違っています。brbrbrbrbrbr」

「本当にそうですよね、僕も前にこんな事があってbrbrbrbrbr」

 

と話しますか?

時代の流れが速くなり人とのコミュケーションの方法は大きく変わってきました。

僕は首都圏生まれの現在32歳ですが僕が生まれたて少しの間のギリギリご近所付き合いはあったぐらいです。

 

生活環境や家庭環境にもよると思いますが多くの場合もう他人との交流というのは希薄になっていました。

 

しかしSNSでは見知らぬ人の様々な考え方や素性を見る事ができます。

そして見続ける間あたかもそれが自分のために発信されている様に感じたり、その人をどんどん身近に感じる様になります。そりゃそうです実際に会ってそのようなコミュケーションを取っていたら合わない人でない限り誰でも人間なら親しくなっていきます。

 

しかし、大変残念ながらSNSでは会ったこともない、実際に会っていないという状況でもこの親密感を感じる事ができます。その相手が自分が出しても良いなと思える情報だけを載せていると気づかないままにです。=その人の全て、いろんな事を知っていると勘違いできます。

 

第一生命の調べでは全く知らない人でもSNS上でみると約半数の人が身近に感じると答えたそうです。http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/ldi/news/news1207.pdf

 

しかし、このような大前提を踏まえ距離を見誤った上でのメッセージやコメントが来た際は

 

  • この人はただ距離を見誤っているだけ、コミュニケーションを取りたいだけなんだ

 

と信じるだけでもかなり楽になります。

その上で無視、または交流をしてみるなど自分で選べば良いのです。

 

その事に毎度反応する必要はなく、ただ上記のような状況が起きやすいというだけです。

 

またSNSでもなく直接的なコミュニケーションでもそうです。

  • お酒を飲まないとコミュニケーションが取れない人

  • 異性とだとコミュケーションが取れない人

  • 緊張しやすい人

  • etc

色々なタイプがいますが、こちらの考え方、信じ方次第で感じ方が変わってきます。

いつでも世界は自分自身というフィルターを通してみています。

 

その時の気分や感情によっても左右されますが、ぐっと自分の意思で信じてあげることにより疑心暗鬼に満ちていた世界がガラッと変わることは往々にしてあります。

 

まとめ

不安はどこから来るのかという話で、

  • 未知のもの

  • 過去のどうしようもない思い出

というのはブログで以前書きました↑

 

この不安がもたらす事は自分や他人、世界を信じられなくするという作用もあります。

 

信じられなくなるから

  • 上手に演奏できないかもしれない

  • あの人はこう思ってるかもしれない

  • 未来はこうだ、過去にあんな事があったからまた起こるかもしれない

  • お金がなくなるかもしれない

と思う様になります。

 

どうなると信じられなくなるのか、どうなると不安になるのか

それがわかってしまえば対処法が見つかります。より信じる方法、より不安に思わない様にするよりもよっぽど簡単です。

 

期待ではなく

  • 誰かを信じる

  • 何かを信じる

事が大切ですし、自分も信じる事が大切です。

 

信じる前提での人生

とてもお勧めします。

 

ご読了ありがとうございました。

 

河野一之