こんにちわ
今日はスペインの曲を2曲弾きました。
スペインの曲は舞曲が多いです。
ギターで奏でる曲が多いですが、今日の曲はピアノ曲としても知られています。
代表的なスペインの作曲家、グラナドスとファリアの作曲した曲を2曲聴いてください。
スペインの曲は情熱的でその上、哀愁を帯びていて大好きです^^
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cd/Granados.jpg)
![](https://history-of-music.com/wp-content/uploads/2017/09/Manuel-De-Falla.jpg)
ファリャ
ファリャは20世紀前半のスペインの代表的作曲家です。
ファリャはピアニストだった母からピアノの手ほどきを受けマドリードの有名な音楽教師ホセ・トラゴ(1856~1934)にピアノを習い、1901年からはスペイン民族音楽の祖ペドレルに師事して16世紀スペインの教会音楽や、民族音楽、サルスエラ(スペインの国民的オペラ)を学びました。
その後、パリに勉強に行く費用を捻出するためにサルスエラを数曲書き、05年作のサルスエラ「はかない人生」がマドリード芸術院の歌劇賞に入賞し、また同年、ピアノ・コンクールに優勝してファリャは作曲家、ピアニストとして認められ、07年には念願のパリに行き、7年間滞在しました。
パリではデューカス、ドビュッシー、ラヴェルらと親交を持ち、またパリに滞在していたスペインの作曲家アルベニスと交友を結び大きな影響を受けました。
その後、パリのオペラ・コミックで「はかない人生」が成功を収め、パリ時代から作曲にかかっていたピアノと管弦楽のための「スペインの庭の夜」が大成功し、21年にはロンドンを訪れ「スペインの庭の夜」のピアノ・パートをファリャ自身で弾くなどして、音楽家としてのゆるぎない名声を築きました。
この年からファリャはグラナダに住み、パリ、ロンドンもしばしば訪れて活躍したが、34年頃から健康がすぐれず、39年にスペインを後にしてアルゼンチンに渡り、その地で69歳の生涯を閉じました。