昨日仙台から戻りました。

日本は美味しいものだらけですね。

あっち向いてもこっち向いても、また行く先々で美味しいもの出されて、

昨夜、怖々体重計に乗ったら3キロ増えました。ガーンガーン

愕然ガーン

アメリカにいるときの10倍は歩いているのに。。。

カロリーの摂取量が消費量を遥かに超えてるんですね。


でも日本はいいなあ。

もう幸せいっぱい、安堵感の上にどっかり座って幸せ噛み締めています。

アメリカでは知らずに緊張感があるんでしょうね。

やはり故郷。

生まれ育った土地の上にいる安堵感ってすごいです。

帰りたくなくなります。


仙台で無事にお墓参りができ、もうほっとしました。

母父兄たちとしばらくお話ししてきました。

親戚の方が迎えにきてくれて、皆さんご住職様にようくしていただき、本当に感謝感謝の毎日でした。

東京ですることあり急遽帰って参りました。

私が帰ってるというので有志の方との小さな演奏会があります。

その準備もあり今日からまた結構忙しいです。

息子達は昨日から関西へ。

大阪、京都、奈良を回るそうです。

6月4か東京に戻ります。


そうそう今日はお世話になってる親友としまむら行きました。

どっさり買い込みました。ニコニコ

明日はドンキの予定です。

この親友は母の最後を看取り骨を拾ってくれ方で、もう何十年来の友です。

又、時差ぼけ初めてで、昼間とろとろです。

かと言って夜もぐっすり。。。不眠症なんかどっか行ってしまいました。

結局運動が足りてなくて疲れてなかったから眠れなかったのかもしれません。

今日もしまむらから戻って親友がそうめん作ってくれ、もう幸せにどぽうりつかってます。

数枚写真見てくださいね。













では又。





昨夜7時に羽田からリムジンで京王ホテルに無事着きました。


11時間ちょっとのフライト長かったです。

若い頃はそうでもなかったですが、やはりとても疲れました。

その上、今回のフライトは特別揺れが多かったです。


眠れなかったのですがアメリカ時間の夜11時過ぎに着き、

それから、

レンタルのwifi取りに行ったり、それも広くてわかりづらくて迷いに迷うし、

重いトランク持ってもう頭フラフラ、足もフラフラでした。

なんとか両替もして、レストランに座れたのが到着3時間後。

それからリムジン探し、また遠くて大変やっとリムジン乗れたのは、日本時間7時20分、

飛行機と到着から4時間。。。。。。。。

もうへとへと頭はぼー、足はフラフラでした。

リムジンで寝ようと思ったら赤ちゃんがいて😢


そんなわけでホテルにつき親友が迎えにきたのが日本時間9時過ぎ。

自宅出てからほぼ18時間


もう安定剤飲んでバタンキューでした。


今朝は6時半に起きてしまいましたが、ぐっすり跳ねれました。

今日は旅行保険の手続きなどしてごろごろします。

親友がいそいそ朝食も運んでくれたりもう本当に感謝感謝です。

日本はちょうど日曜でご主人もいてよくしていた咲いてます。


そんなこんなで更新も遅くなりましたが、ご報告まで。

明日仙台行きます。

写真も撮りたかったんですがそんな余裕なく息子のワイフが1枚だけ飛行機の中で撮ってくれました。
Good afternoon ❤️
 
 
いよいよ明日です。
 
今前日の3時ちょっと前ですが、あらかた準備も終わり、
 
ピアノとしばしのお別れしました。
 
初見なので間違いあります。
 
自分でアレンジしました。
 
 
日本時間土曜の午後3時過ぎに羽田に着きます。
 
 
一世を風靡した百恵ちゃんが歌った谷村さんの曲です。
 
いい日旅立ち聴いいてください。
 
ブログはできる限り更新します。

明日お昼のJALで飛び立ち、その日は親友の家で、翌日から仙台行きます。

そして念願のお墓参ります。

しばらく仙台にいます、息子たちは2、3日仙台でその後関西です。

そして日本時間6月11日にこちらに戻ります。


 
でわバイバイ
 
 

 

IPhoneで録音するとどうしてもキンキンしますね。

お聴き苦しいことお詫びします。

 

あと二日となりました。

 

色々すること多いし、レッスンも多いのでもう行く前にくたくたです。

飛行機に乗ったらぐーぐーでしょう。

 

さて2日間頑張ってアップしますね。

 

今日はショパンのノクターン8番とZimayのノクターンお聴き下さいね。

 

そうそう2、3日前にあちこちでフレアーがみられました。

 

なんだか自然が大きく変化してるのよな気がして不気味です。

 

 

 

László Zimay (ギョンギョシュ、1833 年 6 月 29 日 1900 年 4 月 8 日) :

作曲家軍指揮者だった父親が彼に教えを与えました。 

1854年、彼はいくつかの田舎町でピアノコンサートを開催しました。 

1855年にペストのミハイ・モソーニの生徒となりました。

彼はペストブダ・ダラルダの指揮者であり、次に国立合唱団、

そして最後には国立音楽のピアノ教師(1887年)となりました。

彼の歌は当時非常に人気があり、彼のピアノ作品にはドイツの偉大なロマン派、

特にシューマンの影響が反映されています。

László Zimay - Vikipedio

 

 

 

 

これは過去動画です

こんにちわ

 

月、火、水、木です。

 

今日は月曜で、午前中ブログを見せて頂きました。

 

綺麗なローズを見せていただいて心がはずみました。

 

私はScarlattiあまりアップしたことないのですが、

 

バッハと並んでバロックの3大作曲家で、大好きです。

 

今日はScarlatti2曲です。

 

一曲は過去動画です。

 

今日もレッスンたくさんいますが、がんばります。

 

 

 

 

 

 

Piano Sonata K.322 Scarlatti