こんにちわ
 
11月になりましたね。
 
こちらは31日でTrick or Treeでご先祖さまの霊を癒す行事です。
 
 
指の故障で思いがけずたくさんご心配いただき、
 
なんと感謝していいかわかりません
 
嬉しかったです
 
やっぱりブログ辞めなくて良かったって思いました。
 
約2日間指を休ませました。
 
全然クラスが違う話ですが、シューマンの話です。
 
彼はもともと繊細で心の弱い詩人だったそうで、
 
壊れやすい人間だったようです。
 
ですからあんなに素敵な曲を残してくれたんでしょうね。
 
しかし精神病を本格的に患い、気が狂ったように指を痛めつけ、
 
とうとうピアノが弾けなくなり川に飛び込みました
 
 
ピアノが弾けなくなるって私みたいなへっぽこピアニストでも相当なショックです。
 
生きていく意味さえ失います。
 
だから気持ちはわかります。
 
 
さて昨日まで2日間指を休ませました。
 
しかし悲しいながら指って寝かせてると鈍っちゃうんです。
 
で、今日から少しずつ指鳴らししようと思います。
 
少しずつ、少しずつ調整していきます。
 
 
まずは大好きなイルマの心の流れのような
 
river flows on youで指鳴らしスタートです
 
 
 

”River Flows In You”

日本語訳です

 

もしあなただけの為の道がただ一つあったら

それはあなた心の中にある

もしその道を歩み通すことができるなら

すべてを信じてあなたの魂をやどしたらいい

 

待って、もっと待って

それはあなたの心の中にあるのよ

川があなたの心の中に流れているのよ

ゆっくりと、もっとゆっくりと

あなたの胸の中で川は流れている

まって、もっとまって

私もそこにいけるかもしれない?

 

あなたに向かってわたしの心を投げ出したい

いつもわたしがあなたを心の中で感じることができるように

もしできるなら、もうすこし待って

そしてあなたの心の全てを投げかけなさい

 

待って、もっと待って

それはあなたの心の中にあるのよ

川があなたの心の中に流れているのよ

ゆっくりと、もっとゆっくりと

あなたの胸の中で川は流れている

まって、もっとまって

私もそこにいけるかもしれない?

 

待って、もっと待って

それはあなたの心の中にあるのよ

川があなたの心の中に流れているのよ

ゆっくりと、もっとゆっくりと

あなたの胸の中で川は流れている

まって、もっとまって

私もそこにいけるかもしれない?

 

River Flows in You by Yiruma

 

 

 

 
免疫性リューマチズム関節炎を患い、
 
コンサート演奏家を退いて、15年くらいになるのかなあ?
 
もっとかなあ?
 
それ以降は指導に力を入れてました。
 
音楽学校で教えてた頃は代講で教えたり学校のコンサートで弾いたり、
 
 地域のもようしものや生徒の発表会の講師演奏くらいで、あとはyou tube に載せる程度でした。
 
だからしっかりした練習はしてなかったんです。
 
 
最近ドケルバンになったのも多分ピアノのせいもあったと思います。
 
ピアニストにとってこんな悲しいことはありません。えーん
 
でも生徒の発表会が近づき、今日は本気に1時間ガチでみっちり攫いました。
 
 
もう悲惨😖
 
ずきんずきん、、、、痛い痛い、、、、泣きたいです 😭
 
 

 

親指は曲がりました

 

 

人差し指も第一1関節腫れて痛い痛い

 

 

 

 

小指 幻想即興曲、小指が多いんでもう痛くてじっとしててもズッキンズッキン。

 

練習強制終了!!

 

 

今日はバッハの平均律の曲を弾いてみました。

 

先ずは平均律曲集について。

 

平均律クラヴィーア曲集

 

原題:Das Wohltemperirte Clavier

現代のドイツ語表記ではDas Wohltemperierte Klavierは、

ヨハン、セバスチャンバッハが作曲した鍵盤楽器のための曲集。

1巻と2巻があり、それぞれ24の全ての調による前奏曲とフーガで構成されている。

第1巻 (BWV846〜869) は1722年、第2巻 (BWV 870〜893) は1742年に完成した。

 

原題の"wohltemperierte"は、鍵盤楽器があらゆる調で演奏可能となるよう(よく調整された(well-tempered))という意味であり、広い意味で転調自由な音律を指す。

 

しかし和訳ではいまだに(平均律)が用いられている。

鍵盤楽器奏者の武久源蔵は、2019年に自らの全曲CDをリリースした際、

従来誤訳ではないかとして議論されてきた《平均律》を《適正律》と改め、

「適正律クラヴィーア曲集」とした。

 

偉大なバッハここにありですね。

 

今日はBWV881&885弾きました。

 

 

 

こんにちわ

 

 

今日はあれ?っと思ったことがあって調べてみました。

 

前にアップしたことのある

 

Handel-Passacaglia Suite ,no.7 HWV432

 

なんですが、ブロ友様のところで昨聴かせていただいた音源が、

 

私の弾いたのと違うのでGuguってみました。

 

以下Wikipedia

 

パッサカリア: passacaglia, 西: pasacalle, : passacaille, : passacalia)は、

主に17世紀から18世紀にかけて用いられた音楽形式の1つ

 

パッサカリアスペインに起源を持ち、スペイン語の pasear (歩く)と calle (通り)に由来している。パッサカリアは17世紀初期にはギターで和音を奏するリトルネッロ(歌の前奏・間奏などの器楽演奏部分)を意味していた。

 

パッサカリアに対する言及は1605年頃のスペインの文献に初めて現れる。

ジローラモ・モンテサルド英語版)によるギターのためのタブラチュア Nuova inventione d'intavolatura per sonare li balletti sopra la chitarra spagniuola (1606年)に収録されているパッサカリアは I-IV-V-I という和音連続である[1]

通常の記譜法で書かれたパッサカリアの最初の例はジローラモ・フレスコバルディの『トッカータ集第2巻』(1627年)の Partite sopra passacagli である。

 

パッサカリア及びチャッコーナ(シャコンヌ)は芸術音楽の領域に取り込まれるようになって、共にオスティナート・バスに基づく3拍子の変奏曲となり、

関係が深くなっていった。

主にパッサカリアは短調、チャッコーナは長調の定型が用いられた

フレスコバルディの Cento partite sopra passacagli (1637年)ではパッサカリアとチャッコーナが交互に現れる箇所がある。

 

フランスではパッサカリア(パッサカーユ)は荘重な3拍子の器楽舞曲として扱われるようになった。

しばしばロンド形式をとり、シャコンヌとの区別は曖昧となった。

 

ドイツパッサカリアはフランスとイタリア両国から影響を受けている。

シャコンヌとの関係はより複雑化し、マッテゾンヴァルタークヴァンツといったドイツの理論家は、パッサカリアとシャコンヌの違いを明らかにしようとしたが、徒労に終わっている[2]

 

 

ヘンデルとハルヴォルセンの両方に作曲されたとされるパッサカリアは、

ヴァイオリンとチェロ(またはヴァイオリンとビオラ)のための有名な名曲で、

1894年にノルウェーの作曲家ヨハン・ハルヴォルセンによって出版され、

ドイツの作曲家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが1720年に出版したチェンバロ組曲ト短調(HWV 432)の終楽章に基づいています

ヘンデルは、ダンスの動きを含むチェンバロ組曲を数多く作曲し、

伝統的なバロックのパッサカリアで終わることもあった。

パッサカリアはもともとスペインの「ストリートダンス」を指す用語だが、

現存する最も古い例はイタリア語である。

パッサカリアの本質的な特徴は、一連の即興や独創的な変奏のための連続したハーモニーの基盤として、短くて解決されたコード進行を何度も繰り返すことである。

バロック時代の多くの作曲家が、パッサカリアやシャコンヌというほぼ互換性のある用語を使用して、チェンバロ、オルガン、バイオリン、またはアンサンブルのための変奏曲を作曲した。フランスとドイツの作曲家、特に J.S. バッハによる有名な例がいくつかある。

ハルヴォルセンは、有名なバイオリニスト、指揮者、作曲家であり、今日ではヘンデルのパッサカリアを大胆な 2 本の弦楽器のアンサンブルに見事に「外挿」したことで知られています。

「テーマ」は、特徴的な付点リズムを伴う 8 つの和音の 4 小節の短いシーケンスで、一連のスリリングな変奏曲を生み出し、音楽的発明の傑作となっています。バイオリンやチェロの余裕のあるリソースでは、各楽器で完全な 4 部ハーモニーを作成するために、多数のダブルストップ、トリプルストップ、マルチノートコードが必要です。

変奏曲のいくつかは、時間の経過とともに直線的なハーモニー効果を生み出す素早いメロディーラインを使用する別のアプローチを採用しています。

その結果、2 人の名手によるきらめく対話が生まれ、同時に 4 部や 5 部になることも珍しくありません。

 

 

 

 

突然ですが、
 
みなさまは、人、動物、植物、、、
 
どうしてこの世にできたか、考えたことありますか。
 
 
私は子供の頃から、
 
命の一番はじめを???考えてました。
 
鶏の卵もそうですが、どっちが最初にできたの?
 
どうやって?、、、、、、
 
不思議ではありませんか?
 
 
天地創造の神と言いますが、
 
やっぱり神が作られたのが一番納得いきます。
 
世界中のどんな優秀な科学者もこれを説いた方はいません。
 
生き物はどこから生まれたか。
 
 
子供の頃からそんなこといつも不思議に思っていました。
 
クリスチャンになってやっとその謎が解けました。
 
 
私は、花、動物、植物、みんな大好きです。
 
 
お散歩に行って道端の命に力をもらい、高く伸びる木々に力をもらいます。
 
そしてワンちゃん、ニャンコと話をします。
 
みんな心が通じ合うんですよ。
 
動物は人の言葉がわかります。
 
心って通じるんですね。
 
お花に私の心はちゃんと通じます。
 
毎朝上中のお花たちとお話しします。
 
お散歩の帰りワンコ達としばらく話します。
 
生きてるって素晴らしいですね。
 
神に感謝です。
 
 
ただひとつ、
 
人の心だけは難解です。
 
なぜなら人の心は濁ってるからかもしれません。
 
下心や、野心や、勝負心、、、やら余計なものがありすぎます。
 
恨む、恥じる、憎む、、、、口が大きな災かもしれません。
 
耳も災います。
 
全ては心から、考え方から心に現れます。
 
それが恨みや、憎しみ、妬みになるんでしょうか。
 
 
済んだ目で、澄んだ心で、済んだ耳で、
 
見れたら聞けたら言えたらいいですね。
 
 
取り止めのない独り言お付き合いありがとうございました。