こんにちわ

 

日本は今週の恥ありですね。

 

私は日曜ですが、生徒たちの検定に送る動画点検中です。

 

一つだけご紹介します。

 

この子は4期の作曲家の中から、

 

Improvisation 15、シンフォニア、悲愴、愛の夢で、2曲がアンプなんです

 

バッハもその他もテクニックも送りましたから、

 

今日は PulencのImporovisation送ってきました。

 

 

チェック済んだところですが、皆さんはどう評価しますか?

 

急かしくないですか?

 

この子は中学2年生ですが、とてもいいもの持っていますが、

 

せっかちでどの曲も走ります。

 

私はもうちょっとこの曲は新古典風にゆっくり丁寧に弾いて欲しいんです。

 

今、8年前の私の演奏送りました。

 

さてどんな風に弾き直してくるでしょう?

 

楽しみです。

 

 

プーランクの生涯

プーランクは1899年パリの裕福な家庭に生まれました。パリ音楽院には通いませんでしたが、知り合いから和声などの個人レッスンを受けて音楽を学んでいきました。ピアノのレッスンは、ドビュッシーやラヴェルの多く曲の初演を手掛けた名ピアニストであるリカルド・ヴィニェスから受け、20代になってからは、かの有名なシャルル・ケクランから対位法のレッスンなどを受けていました。

作曲活動は、10代の頃から行っており、「フランス6人組」の一員として自身の曲の演奏活動を地元のコンサートで行っていました。この時期のプーランクは、当時先進的な作風によって世間に大きなインパクトを与えていたストラヴィンスキーやサティに強く影響を受けていた時期であり、この時期の創作活動のほとんどを占めていたピアノ作品にそれが如実に示されています。

サティやストラヴィンスキーの影響は後に脱していくものの、これらの作曲家に関して、彼は晩年まで時代も愛着していたことを表明しています。

1920年代からは、本格的に作曲家の道へ進むために、それまでのスタイルを変えるとともに、室内楽やバレエ、歌曲の作曲も手がけ始めました。最終的に歌曲は彼の作品で最も多くを占めるジャンルとなっています。

また、このときから彼は複数のパトロンのサロンに出入りし、さまざまな人と交流を深めていました。

1930年代からは、周りの友人の死も影響してか、宗教的なテーマにもとづく合唱作品のジャンルにも足を踏み入れ始めています。晩年には、ますます深遠な作曲傾向が表れ、小規模なピアノ作品が減る一方で、オペラや、オーケストラ作品、宗教合唱作品など、比較的規模の大きい作品が以前より多く書かれるようになりました。

プーランクは作曲家として活動すると同時に、1930年代からは自身がピアノ伴奏者として、歌手のピエール・ベルナックともにコンサートを行い、自身の歌曲の演奏活動を行っていました。最晩年には、自身のピアノ作品、サティ、シャブリエの作品の録音活動も行っています。

特にシャブリエは、彼が特に愛着を示していた作曲家の1人であり、プーランクによる伝記も出版されています。

プーランクの作風

20世紀は多くの作曲家によって前衛的な語法の音楽作品が残される中で、プーランクはあくまで古典的・伝統的な作風の楽曲を残していました。

彼の音楽では常に調性が中心にあり、本人が認めているように旋律が最も重視されています。そこには複雑性や斬新性はあまり多く見られません。

彼は自身がピアニストであり、多くのピアノ作品を残していましたが、彼の良さが最も表れているジャンルはピアノ作品よりも歌曲です。

ピアニストのアルフレッド・コルトーが述べているように、彼のピアノ作品の多くは、深遠さがなく、わかりやすく、軽い雰囲気をもつサロン音楽風の小品ばかりで、音楽的な強い独自性は見られません。その代わり、プーランクが自分で認めていたように、歌曲においては、彼の個性が最大限に発揮されています。

彼の作品には、交響曲のように、演奏時間の長い大規模な作品がほとんどなく、また形式感に乏しく、即興曲風の作品が多いのが特長です。また大衆的なメロディ、ミュージックホールのメロディを作品に取り入れ、たまにサティ風のパロディーや冗談が作品に感じられるなど、「真面目なクラシック音楽」とは一線を画している面が見られます。しかし、宗教合唱作品を残すなど、また異なった側面も持ち合わせている不思議な作曲家です。

彼は、モーツァルトを「音楽の神」と表現しているほか、ショパン、ドビュッシー、ストラヴィンスキーなどの作曲家への愛着を示し、またそうした多くの作曲家に影響されていることを認めています。このさまざまな音楽が雑多に混ざり合ったものが、プーランクの作風を作っています。

彼の作品は古典的な音楽に近いことを先述しましたが、古典的な音楽の厳格な規則に縛られることはなく、和音、リズム、形式のいずれにおいても、あらゆるものを自由に用いました。ただし、そこでは特に新しいものを生み出したりはしていません。

複雑な書法や、対位法的な工夫は多く見られません。しかし、彼の音楽にあるものは旋律の良さであり、彼の音楽の中で愛用されていた「転調の多用」がその旋律の可能性をより一層広げています。

プーランクは「まじめクラシック音楽」と、「わかりやすい大衆的な音楽」のどちらの要素も感じさせる作曲家であったといえます。