
[立山の地図]
[立山開山]
約1000年前の奈良朝以後、特に天台宗、真言宗など山岳仏教が盛んであったころの立山は仏教の霊場とされ山の奥へ入っていたのは修験者だけであった。
開山の歴史はその時代をさかのぼること300年、今から1300年前と伝えられている。以下は「立山縁起」による。
越中の国司「佐伯有若大納言」に有頼という息子がいた。ある日、有頼が父の大切にしていた白鷹で狩をしていたところに急に白鷹が飛び去ってしまった。驚いた有頼は必死に追いかけ、立山に向かってどんどん山里深くはいりこんだ。すると突然クマが現れ、有頼少年めがけて襲いかかったので、弓矢を射ると矢はクマの胸に命中した。血を流しながらもさらに山奥の芦峅寺を経て、称名川近くまでもクマを追い続けた。するとそこに金色のイノシシが現れ、その背に乗り称名川を渡り、流血を頼りにクマを追い続け、立山の室堂にある岩屋(玉殿の岩屋、現在)にたどり着いた。
すると真っ暗な岩屋の奥から傷を負ったクマのうめき声が聞こえ、矢を射ようとしたが、そこには矢傷を受けながらもにこやかに立っていらっしゃる阿弥陀如来様のお姿があり、有頼少年に出家して立山を開くようにと命じられた。有頼は出家し、“慈興”と 名を改めてそして83歳で没するまで立山に続く道の木を切り、岩を除いて芦峅寺の衆人達と共に一生を立山開山に捧げた。
尚、「立山仏」と呼ばれる阿弥陀如来像は富山県内にいくつも残っているが、その胸には決まって小さな穴があいているとのことだ。
(昭文社 山と高原地図 剱・立山の歴史より)
立山はそんな伝説がある場所だ。

[慈興さんの石像(ホテル立山内)]
また、立山は山岳信仰の場所ともされていた。
[山岳信仰]
山岳信仰上、立山は山中地獄であった。山中他界観と外来宗教である仏教の地獄の思想が融合され平安後期には地獄谷や剱岳などが地獄に見立てられ信仰された。
平安時代末期の仏教説話集「今昔物語」には、「日本国ノ人罪ヲ造テ多ク此ノ地獄ニ堕ツト云ヘリ」または、「日本国の衆生多く罪を造りて越中立山の地獄に堕つ」と記されており、立山は人々に恐れられた「地獄の山」であった。
こうした立山地獄に対する信仰は、平安時代の日本における末法思想や浄土教思想の受容、展開過程で地蔵信仰や観音思想と結びつき、やがて南北朝時代の「神道集」には、立山の本地を阿弥陀如来と記すように阿弥陀如来信仰へと進化したとされている(平成10年度立山博物館特別企画展より)。
立山信仰による登山は、周辺の山々一帯に及んでいたと見られ修験者が修行を目的に立山に入り山中の行場では罪滅ぼしのために死にも等しい苦行が行われたという。平成時代の杖の頭部にあたる錫杖が剱岳の山頂や中大日岳の岩屋から発見されその面影をしのばせる。
環境の厳しい立山での修行を乗り越えて仏門に入ろうとする人々が全国から集まり、山岳仏教の一大聖地として近年に至るまで、立山衆徒の厚い信仰に護られてきた。
また、古来中世から明治時代初期まで女性は仏に救われない罪を深い身であるとされてきた。
「女人強化集」によれば、「それ一切の女人は罪障深きゆえに、三世の諸仏にも捨てられ十方さったにも放たれて仏になる種なし。(中略)ただ我身をばいかにも執し、人をそねみたり、悪心不当を業とす……」とあるような時代の価値観の中にあって、全国の女性を救ってきたのが立山であった。
芦峅寺では毎年秋の彼岸の中日に女性救済の行事「布橋大灌頂会」が行われた。女性の登山は禁止され、男が立山登山によって地獄、極楽を体験して来世が約束されるのに対し、女性は立山登拝せずに布橋灌頂会への参加により来世体験できるとされた。
以下省略
(昭文社 山と高原地図 剱・立山の歴史より)
簡単に言うと立山は昔、男の修行場所だったのだ。
オレはそんな立山に仕事で来て、そして仕事を終えてただ帰るってのがもったいなく感じた。
男だし、そんな歴史があるし帰る前にその立山を登って歩いて感じてみたいって心から思った。
修行になるはずだし、絶対いい経験になる。
つーか単純に登山好きだから歩きたかった。
そこで、オレは立山駅の従業員駐車場に車を停めて置いたので、その近くの登山道の最終地点の称名滝まで歩いて行くことにした。
ついでに登りたい山にも登ることにしてだいたい歩く期間を四日間にして、他のキャンプする日にちも含めて四泊五日の予定にした。
それを決めた時は心の中のウキウキがまた騒ぎ出していた。
そしてオレはいよいよ仕事を辞めて、それを実行するときが来たのだ。
2015年7月31日(金)
終下の仕事の最終日。
三ヶ月半働いていたホテル立山のレストランの仕事を13時頃終了したオレは仕事の達成感に浸りながらも、外の散歩に出かけた。
外は快晴。
清々しい氣持ちでいた。
そして、登山前の祈願として立山開山伝説にも出てくる玉殿の岩屋にお参りにいった。
近くには小さな滝が流れていて心地よい場所だった。
スッキリした氣分で今回の縦走を始められそうな自分がいた。

[玉殿の岩屋]
2015年8月1日(土)
昼過ぎごろに寝泊まりさせてもらっていた寮の荷物を詰めた。
今回の縦走の為に、いらない荷物や登山用の食糧をあらかじめに、その日までに仕事の休みなどを利用して用意しておいた。
そして、いよいよその時が来た。
オレの心はいつも以上にウキウキしていた。
最近はいつも当たり前のように見ていた目の前の素晴らしい山々を歩けるのだ。
職場だったホテルの仲間達とハグを交わしたりして、挨拶をたくさん交わした。
みんな元氣でねとお互いにお互いで応援しあった。
ここにこれて素直に良かったと心から思う瞬間だった。
ここにきて仕事をしたことによってたくさんの友達ができた。
そしてホテルを出発。
天氣は恵まれ、快晴。
清々しい氣持ちでの旅の始まりだった。

[旅立ち直前のオレ たまたま出会った同職場のテラショー撮影]
その日はホテル立山から歩いて20分くらいしたところにある、雷鳥沢キャンプ場にテントで宿泊した。
キャンプ場についたら週末の土曜日ということもあって、テントがたくさん貼ってあった。

[雷鳥沢キャンプ場]
オレは川沿いの端っこのほうの比較的人が少ないところにテントを建てた。
それからしばらくゆっくりしたのちに雷鳥沢ヒュッテの天然温泉露天風呂に入って仕事が終わって一息ついたことを実感しながら心をホッと落ち着かせた。
またその露天風呂から見える景色も素晴らしかった。
仕事をしていた時には氣がつかなかったものがたくさん見えていた。
オレは素晴らしいところに住み込みで働いていたことを仕事を辞めてから氣が着いた。
それに仕事を理由にしたくはないが、時間に縛られてない分たくさんのものをゆっくりして見ることができたのだと思う。

[雷鳥沢ヒュッテ露天風呂からの景色]
お風呂から上がってから簡単な夕食にあらかじめ作っておいたおにぎりとグリーンカレーの缶詰を持って、室堂山までいつも見慣れていた室堂からの夕日を見に散歩に出かけた。
その日の夕日は雲海が広がっていて美しかった。
心に焼きつける想いで夕飯を食べながらその夕日が沈むまで見入っていた。
たくさんのいい時間を立山で過ごしていた。
仕事が終わって自由になった嬉しさと、仕事が終わってこの場所を出なくてはならない寂しさの入り交じった心境だった。



[室堂からの夕日]
2015年8月2日(日)
この日オレはずっと雷鳥沢のキャンプ場でゆっくりしていた。
仕事が終わったばかりだったこともあり、特に何かをしたいってわけでもなかった。
雷鳥沢の川の音を聴いていたり、目の前の山々をながめたり、時々隣のテントの人と話したりしていた。

[隣りのテントのおじさんと飲んだバーボン]
天氣は快晴でまったりゆっくりとした時間が流れていた。
久しぶりにあんな時間を味わえて本当に心地よかった。
そしてオレは夜の7時頃に寝た。
次の日に雷鳥沢のキャンプ場から歩いて3時間くらいの雄山の頂上から朝日を見るつもりでいたのだ。
ある程度の次の日の準備を済ませて、テントに入ったと思った瞬間、大きな雷がずどーんと地を揺らすくらいに落ちた。
そのあとすぐにテントがポツポツ、ポツポツといい出してきた。
と思った瞬間。
大粒の雨がボトボトいってきて強い風でテントがおもいきり揺らされていた。
ちょっとした嵐が来たのだった。
山の天氣は変わりやすい。
びっくりしたが、それでもオレはそのまま何もしようがなかったし大丈夫だろうと思い、テントの中でぐっすり眠りについた。
2015年8月3日(月)
前日の雨風とは嘘のようなくらい静かで、まだ満月に近い月が空にしっかりと明るく輝いていた。
歩き始めの当日ってこともあり、氣合いの入っていたオレはテントをたたみ、荷物を全部まとめて歩き始めたのが深夜の23時半位だった。
ウキウキしすぎて早く起きすぎてしまったのだ。
目が冴えていた。
荷物を背中に背負って一歩踏み出した。
荷物は自分の思った以上にずっしりと重かった。
前日の雨でテントが水を吸っていたのもあったからだろう。
不安が一瞬頭によぎったが、「やってやる」と心に大きく誓い月明かりの中を歩き始めた。
ゆっくりゆっくり一歩一歩しっかりと歩いた。
月はオレをずっと照らしていてくれた。
汗だくになりながら夜の山道をヘッドライトの明かりと月明かりで歩いた。
月が照らして、歩くには充分なくらいにあたりはうっすらと見えていた。
比較的になだらかな登りの道が続いた。
一ノ越のちょうど手前でお地蔵さんが立っていて、そこに雄山を無事に登れるようにお参りした。

[一ノ越の手前のお地蔵さん]
そして、なんだかんだで雷鳥沢のテント場から一ノ越まで一時間半位で到着した。
一ノ越山荘の外のベンチで月を眺めて休憩をとった。
歩き始めて一歩出たことに喜びを感じていた。
すでにいい旅になっている氣がしてならなかった。
余韻に浸りながらもゆっくりしていたら、身体が冷えて来たのでまた歩くのを再開させた。
そこから急なゴツゴツした岩の雄山をまたゆっくりしっかりと這うようにして登った。
一ノ越から雄山山頂までの道のりは急で険しかった。
重い荷物を持っていたのもあり、アスレチックがハードに重くなったような感じだった。
ときどき吹いてくる冷んやりした風がほてった身体を心地よく抜けていった。
はぁーはぁー言っては時々休みながら登って、ゆっくりゆっくり登った。
頂上には午前2時半を過ぎた頃に到着した。
また、外の空氣は冷んやりとしていて汗だくだった身体が徐々に冷えつつあった。
そこでオレは味噌汁が飲みたくなり、クッカーでお湯を沸かしてインスタントのしじみ汁を飲んだ。
今回の一番最初の山の山頂にこれたってこともあって、心にも身体にもそのしじみ汁はしみた。
たまらなくうまかった。
そしてそれと一緒に前日に作っておいたひじきご飯を食った。
腹が満たされてホッとした。
それでも、日の出まではまだだいぶ時間があった。
それに頂上の氣温はまだ寒かった。
オレは日の出を寝袋に包まりながら、雄山の頂上にある雄山神社のベンチで横になって待った。
そしたら東の空の色はゆっくりとだが、だんだん明るくなっていった。

それをずっと眺めていた。
ゆっくりじっくり色が変わっていった。
そして午前4時を過ぎたころに他の参拝者が来たと思ったら、神社の社務所が開いて神主さん達が出てきて雄山神社の鍵を開けてくれた。
それからオレは他の参拝者と一緒に神社のまん前で日の出を眺めた。
前日の雨もあったことで空氣はすんでいた。
そこからの日の出はばっちり見えて美しかった。
景色も文句無し。
日の光が強く心地よく輝いていた。
そこから富士山も見ることができた。
他の山々も勇ましく連なっていた。
最高だった。
オレは嬉しさで満ちあふれていた。












[雄山日の出とその景色]
また、太陽が全部顔を出してから神主さんが太鼓を叩いてオレを含めてお参りに来た人達を祈祷してくれた。
トトントーンットトントーンッと響き渡るその太鼓の音は氣持ち良かった。
その太鼓の音は朝の光りにマッチして今回のオレの旅を祝福してくれているようだった。
御神酒を一口もらいオレは旅の始まりをおもいきり感じた。

[雄山祈祷の様子]

[御神酒を頂いた直後]

[御神酒の盃]


[参拝後に頂けるお守り]

[他のお守り]
それが終わってから少しベンチでゆっくりしていたら一人の女の子が写真を撮って欲しいとオレに頼んできた。
イキイキとした印象の元氣な女の子だった。
それから少し会話が弾み、その子はお父さんと一緒に来ていてお父さんは登るのがゆっくりなので先に自分だけが登ってきたとのことだった。
この出会いがこの日大きな出会いとなった。
後から雄山の山頂に来たお父さんもキラキラした目をしたイキイキとした人だった。
ちなみにその子の名はメイちゃんで大学生の子だった。
そしてお父さんはコバさん、69歳だ。
コバさんから話しを聞いていると胃の病氣を患って5年前に胃を全部摘出したとのことだった。
だから登ってくるのがゆっくりだったらしい。
それでもコバさんはイキイキ歩いていた。
そんな話しを聞いてコバさんの凄さをおもいきり痛感した。
それからオレは2人に別れを告げて雄山から大汝山を目指して歩いた。
山の稜線から見える景色はどこから見ても絶景、重い荷物はそこまではじめのうちは重く感じず景色に見とれていた。
大汝山を通り過ぎて富士の折立を登って、そこから剣岳を見ていたとき出会った40代位の女性に大汝山の山頂が立山では一番高く3015mあると聞き、オレは大汝山の頂上に行けることを知らずにスルーしてしまっていたので、重い荷物を富士の折立においたままにして軽装備で立山最高峰3015mに戻るように向かった。
距離は短かったので10~15分位で行ける距離なのだ。

[富士の折立の頂上にて]
大汝山の山頂に着いた時に、またさっき雄山で出会った2人の親子に再会した。
そこでオレは2人と一緒に3015mを最高に楽しんだ。
天氣もこれでもかって位快晴だった。

[大汝山からの景色]


[大汝山頂上にて(写真提供メイちゃん)]
そして大汝山の休憩所で2人と一緒に話しをした。
すごく内容が濃い話しだった。
さっきも言ったようにコバさんは胃を手術で全部とった。
それで脚の筋肉も腕の筋肉も衰えてすっかり細くなり、弱りきってしまったらしい。
でも、コバさんはそこで留まらず諦めなかった。
コバさんは山歩きが大好きで、大好きで、大好きなヒトだ。
そして写真を撮るのが大好き。
だから諦めなかった。
2~3年前に四国の八十八ケ所巡りを車で、その身体の状況でやって全部周りきったそうだ。
それがきっかけで自信が着いたと言っていた。
それから大好きな登山の為にトレーニングを始めたらしい。
今でもそのトレーニングは継続中で、その内容がすごかった。
片方の足首に2kgの重り、片方の膝下に2kgの重り、合計4kgの重りを両足共々に付けて散歩に毎朝出かけるらしい。
また、それだけではないのだ。
自転車の後ろの荷台に20ℓの水のタンクを水満タンで取り付けて、更にさっき説明した4kgずつの重りを付けて日がくれてから30分位毎日自転車をこいでいるらしい。
69歳のコバさんのトレーニングはマジ半端じゃなくハードだった。
そのことにオレは脱帽する氣分だったし大きな勇氣をもらえた。
好きなことのパワーって本当にすごい。
生命力をおもいきり感じた。
そんな話しをするコバさんの目が何よりキラキラしていて、イキイキしていてすごく素敵だった。
それに娘のメイちゃんと一緒に来る登山が楽しくてしょうがないと言っていて、素晴らしい親子関係を感じた。
メイちゃんも「山大好き!」と言ってイキイキした活氣のある元氣な女の子だった。
そしてコバさんは、60ℓのバックパックに10kg程の荷物を持ってきていて、メイちゃんは50ℓのバックパックに5kg位の荷物を入れて持ってきていたが、それがいつかメイちゃんに重い方を持ってもらい山に来る日が来ることを楽しみにしているとコバさんは笑いながら歯を見せて言っていた。
オレも一緒になって笑った。
太陽はオレ達を祝福してくれていた。

[コバさん、メイちゃん、オレ大汝休憩所の前にて]
それからオレはいい出会いを心に噛みしめ、重い荷物を持ち先を進めた。
相変わらず素晴らしい景色が広がっていた。











[途中の景色]

[クラシックな地図]
途中途中で、まだ雪のあった時期にバックカントリースノーボードで滑った場所を見たり、ホテル立山を眺めたりしていい思い出に浸ったりもした。
そしてたくさん汗をかいて、たくさん空氣を吸ったり吐いたりを繰り返しながら一歩一歩踏みしめ、オレはようやくこの日最後の坂を何とか登りきった。
別山の山頂にたどり着いのだ。
そこからは目の前に剱岳がドーンとそびえ立っていた。
剣岳は近くから見ると雰囲氣がすごい。
力強い。
そこでオレはしばらく剱岳に見入っていた。
かっこよかった。
次の日にこれを登るんだと思って見ていたら興奮してウキウキしていた。
サーフィンでいう、台風スウェルが入る前日のような心境に似ていた。
そしたらしばらくして、またメイちゃん達が後から現れた。
オレ達はすっかり仲良くなっていた。
またみんなで一緒に剱岳を眺めた。

[剱岳をバックに別山頂上から(写真提供メイちゃん)]

[別山から見た剱岳]
それからまた2人とは今回最後のお別れをして、オレはぐったりしながらも剱沢のキャンプ場に向かった。
剱沢のキャンプ場から見た剱岳の眺めはでかく、かっこよく、勇ましかった。

[剱沢キャンプ場からの剱岳]
そんな絶景を眺めながら食った明るいうちの夕飯のレトルトのバターチキンは最高だった。
心に大きな満足感があった。
夕飯を食ってから、オレはぐったりしていていつの間にか寝ていた。