お久しぶりです、親業パパ、ジョニーです。


長らく更新しておらず、誰からみても「既に終わっとるな、このブログ。。。」と、ほぼ死んだような状態だったこのブログですが、今日はどうしても書きたいことがあるので更新します!ちなみに、親業全く関係なし!


今日、自分に起きた大きな意味のありそうな、それでいて当たり前のような小さな、気づきです。


まず、そこに至る経緯から。

今日仕事の帰り際に上司から、僕がほぼメインで担当しているクライアントとの間に起きている、ちょっとした問題について打ち明けられました。それは僕が直接担当した仕事ではなかったのですが、デリケートな問題で、何となく思いあたるフシがありました。近くの席に座っている新入社員や後輩に聞かれないよう、ヒソヒソと話をしました。


その話の内容を思い出しながら、「これはまずいな~」と重たい気分を抱えながらトイレで用を足していると、ここで最初にピンときたことがありました。


「あれ?俺、なんか自分から進んで悩む方向にいこうとしてないか?」「『悩み』の当事者になることで、なんとなく優越感を感じてないか?」と。


こんなふうに思ったことは初めてじゃない気がするけれど、でも長らく自分のこの習性には気づかず忘れていたなあ…なんて帰りの電車で考えていました。


で、最近またハマッて読んでいる津留晃一さんのメッセージ集を、携帯からのネットでなんとなく読んでいたら…


ここで気づきがドドドッとやってきました。


「さっき俺は確かに、自分から悩むことを選んでいた。ということはやはり…今自分に起きていること、これまでに起こったこと、よかったことも、悲しかった出来事も、これまで感じたありとあらゆる感情は、全て自分で選んでたんじゃないか!?自分が体験したかったことなんじゃないか!?。世界で起きている問題も、そのなかで感じる感情も全てが全て、自分が望んで体験しているんだ。葛藤も、罪悪感も、怒りも、ずるがしこい感情も、自分のずるさを責める感情も全部。喜びも、愛情も、感謝も尊敬も全部。何一つ、ムダなものなんてない。全てが今の俺を作っている、完璧な人生で、これからも完璧だ。不足しているものは何もない。ただ、「足りない」という気持ちを体験してみたかっただけに過ぎない。なんて素晴らしくて、それでいて当たり前のことなんだ。これからも、自分が体験したいと思ったことが起きる。それなしに起こってくるものは何もない。すげえ!」


これまでに自分が読んだり聞いたりする言葉でよく出てきた「人の思いが現実を引き起こしている」とか「起こること全て最善です」などの言葉が、すっと腑に落ちた感がありました。


「…だとしたら、俺がこれから体験したいことはなんだろう?」


「…心の奥底から愛して止まない、刺激的で楽しくて充実した毎日。仕事。家族。子育て。友達。社会。国。世界。地球。宇宙。人生!」


「本当に体験したいと思う、このことに焦点をあてとけば、必ず実現する!だって今までだって体験したいことを体験してきたんだから。もしも、なにか困ることやツライことがあったとしても、それだって自分が体験したかったことに違いはないのだから、それはそれで問題ない。絶対大丈夫だ!」


なんだか確信めいたものを感じました。重たい気分から一転、体に力がみなぎるような気づきでした。でもだからといって、全ての悩みが晴れた感じでもなく、どこか重たい感じも、体に感じる違和感も、まだ色々と残ってるように感じますがね。だから、なんというか小さな一歩、という感じですかね。


ともあれ、なんとも嬉しくなるような、自分にとってインパクトのある、大切な気づきでありました。


ふうあせるというわけで、久しぶりの更新でしたパー