先日は、ショーンが通う保育園の親子遠足がありました。遠足といっても、僕の家から徒歩だと15~20分くらいの大きな公園に園児と親、保母さんが集合し、みんなで踊ったりゲームした後、各自お弁当食べて解散、という内容で特にどこかへ遠出するわけでもありませんが。





その日は朝からお日様ギンギンのいいお天気で、僕がショーンを乗せた自転車で公園に着くと、芝生の緑もキラキラしてすんごい綺麗だし広々してて気持ちいい。ショーンもご機嫌で、嫁もタマちゃんも連れて後から合流しました。楽しい一日になる予感十分でした。











ところが・・・。帰り際、僕はなんとも「せつない」気持ちで一杯でした。











その日一日、お友達と仲良くしようとしたいけどなぜか受け入れられない(僕にはそう見えました)ショーンを見ていたら、胸がキューンと痛くなり、泣きそうでした。





「○○ちゃ~ん」「○○く~ん」と笑顔で寄って行き、(ちょっと強引に)手をつなごうとするが手をはねのけられたり、手を出しても気づかれなかったり、あげくの果てには「ショーン君とは遊ばないの!」となぜか拒絶されたり(これが結構、見ていた僕にはきつかった)。







お友達にうまく溶け込むのに失敗するたび、少しだけシュンとした顔で、僕の近くに走って戻ってきました。





傍目に見てて、これだけでも十分せつなかったのですが、これだけでは終わらず。











お友達と集まってみんなでタンポポの種を探しているときは、ショーンが先に見つけたタンポポの種を友達に横取りされてしまい。ショーンはそれでも怒らずに他のを探したりして一緒に遊ぼうとし続けてました。











土の上に落ちていた緑の梅の実を拾ってい遊んでいる時なんか、自分の分が少なくてギャーギャー騒ぐお友達に「はい」と分けてあげたショーン。それなのに別のお友達から「もう!ショーンくんの分はないんだからね!」

となぜか言い放たれてしまう。









家ではワガママでやんちゃなイメージの息子が、不器用にも友達に気を遣い、仲良くなろうとして、うまくいかなくて。。。











僕はそんな様子を見ながら、せつなくなり、悲しい気持ちになり、そのときは押し殺してましたが、次のような怒りの感情すら湧いてました。





・・・・コノヤロウ!ショーンをいじめるやつはこの俺が全員ぶっ飛ばしてやるぞ!子供だからって、親が周りにいるからって、関係ねえ!大人の力で、3歳児のてめえらを、マジでぶっ飛ばしてやるからな!ショーンは俺の大事な息子なんだ馬鹿やろうどもめが!うぉおおおおおおおおおおお!(←こんな過激な感情があったことに、今この文を書きながら気づきました、びっくりしてます自分で。)











もう、エゴ丸出しの最低野郎です(ここの部分だけ読んだら、本当に危険な人だと思われるでしょうね)。ですが、こんな感情が確かにあったんです。











もちろん、その場では平静を装ってお友達の父兄と良く話していましたよ。ですが、内心はこのように、とっ散らかっておりましたワタクシでありました。









いや~びっくり。さて、今こうして冷静に振り返ってみると、今回の登場人物の中で、一番問題を抱えているのは誰か?ということなんですが。





間違いなく、それはこの僕です。





同じ光景を見ていても、全ての親がここまで過剰な感情を感じるとは思えない。今回の出来事を、僕は何かしら自分なりの「色メガネ」をかけて見ているようです。これはなんとなく過去に僕が体験したことからくる、ネガティブな観念につながってるんじゃないかと。









ちなみに今朝。ショーンは喜んで保育園に行きました。何の違和感もなく、お友達と走り回っているショーン。子供たちには何の問題も、心配も、ありません。「友達に気を遣う、可愛そうな息子」というストーリーも、僕が作り出したものです、きっと。本人が何を感じていたかは本人にしかわかりません。









やっぱり、今回のことは僕に何かを気づかせてくれるために起こったことなんだろうなぁ。少し、自分の奥深いところを探ってみたいと思います。