Zeynoの静かなる魂の叫び

 

 

 

 

 

イスタンブール・Beyoğluベイオール市 Karakoyカラキョイ地区にあった、

 

Zürafa ズラファ通りの公娼館街 

トルコ語: 公娼館 Genelev ゲネルエヴ/公娼 Genel Kadın ゲネル カドゥン

直訳すると ”General” House/Womanです…”一般”という表現が…

 

 

 

 

 

Zürafaズラファは、Alageyikアラゲイク通りとYüksek Kaldırımユクセック カルドゥルム大通りの中間に位置する行き止まりの通り。カラキョイ大通りからガラタ塔方面へ男達が上がっていくこの石畳の路地は、イスタンブールで暮らす誰しもが知る有名な坂道だった。

 

 

 

 

 

 

イスタンブール・新市街ベイオール市カラキョイ地区に位置する

 

カラキョイの大通りからガラタ塔方面にある袋小路の路地

Kemeraltı大通りを挟んだ反対側のKadem通り(Leblebici Şaban通り)にも一部公娼宿があった。

 

 

 

 

 

国家管理売春地区として約200年にも渡りずっと営業し続けてきたが、

2020年に全世界を襲った新型コロナ・パンデミックに抗う事はできず、2020年3月16日付公衆衛生緊急命令により閉鎖され、とうとうその幕を閉じる。

 

公娼宿に取り残されていた日めくりカレンダーの最後の日付は2020年3月16日のままだった

 

 

 

 

1812年、オスマン帝国時の首都であったイスタンブールに初めて、アブドゥルハミド2世に認可されGalataガラタ地区とPeraペラ地区に売春宿が開業した。その後勃発したクリミア戦争後、イスタンブールは大勢の外国人兵士の流入にさらされ、そしてその当時は売春宿に対し何の規制も設けられていなかったことから、様々な性病、特に梅毒が蔓延する事態となった。

 

 

その為、1884年に発布された条例により、自治体の責任の元 売春婦の健康診断が行われることになり、売春宿は市職員、医師、軍曹の管理下に置かれ、トルコ共和国成立後にはガラタ・ペラ地区からズラファ通りに移転した。

 

 

 

 

 

 

貧しく、

頼れる者、身を寄せる場所も無く、

一人で生きていく他の手立ても無かったのか、

親、夫に身売りされ借金を背負わされたのか、

 

 

各々が抱える其々の事情で

その地に流れ着き、

 

常に様々な病や身の危険と隣り合わせの道端の私娼ではなく、

公娼として当局に守られながら売春をし、

生計を立てていた多くの娼婦たち

 

 

 

 

 

ある者はそのままイスタンブールに残って私娼となり、ある者はAydınアイドゥン県やIzmirイズミル県などの他の公娼宿へと去ってしまった。

 

 

 

もはや 人の息遣いも、灯も消えてしまった そのズラファ通りは、女たちに泣く泣く見捨てられ、哀れに朽ち果てていく。

 

 

 

 

”文化芸術センターとして生まれ変わる” と、

ベイオウル市長 ハイダル アリ ユルドゥズ氏が 都市開発計画を発表、2022年に取り壊しが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一頃この通りには42もの公娼館が存在し、その内の37軒が マティルド・マヌクヤン(Matild Manukyan) という、1914年イスタンブール 生まれのトルコ系アルメニア人女売春宿楼主の所有で、残りの5軒が Sümbül Yaşar Karasu というエルズルム県出身の(こちらも)女楼主の所有であったが、

 

マティルド・マヌクヤン(Matild Manukyan) 元々貴族の家系出身でイスタンブールの Notre Dame de Sionフランス高校卒業後お針子になる。結婚し夫を亡くしてから上流階級御用達テーラーとなり一人子育てをしていた頃、マティルドの父が所有する物件を借りて公娼館を経営していた借家人が家賃滞納をしたことがきっかけで売春宿経営に参入、楼主となる。その後莫大な不動産やタクシープレート営業権等所有する大資産家となった。過去6度も高額納税者として表彰される。2001年2月17日心臓発作で死亡。

 

 

 

 

ゴミ箱に棄てられていた公娼台帳(宿泊登録/宿帳)

 

マティルド・マヌクヤン名義の ”宿帳”。1980年代に働いていた売春婦の証明写真、氏名、年齢、父親の名、出身地、名前の横には ‘退職’ ‘結婚’ ‘在職中’などの注記がある。表紙には市の承認印と共に ‘パトロン・マティルド・マヌクヤン’ の文字も。

 

 

マティルド名義の領収書。1986年当時売春婦へ10,000-17,000TRY程度(≒13~22ドル)の給料を支払っていたことが伺える。1986年の一人当たりの名目GDPが1,983ドルの時代なので、日給ではないだろう…GDP 1986

 

Sümbül スムブル名義の1986-1988年納税証明書

 

 

 

 

 

…時代は だんだん廃娼運動の流れへと…

 

 

 

 

2013年には15軒にまで減少、その上 捜査が入り風営法違反行為摘発で2軒が完全営業停止閉鎖行政処分、4軒が一時営業停止処分となった。125人の認可証を持つ公娼、管理清掃職員等を合わせると約300人もの人々がそこで従事していた。

但しもぐりの無許可でこっそり売春していた者は除く。

 

 

『トルコでは、10万人もの無認可売春婦がいて、その内の4万人が公娼許可申請をしているものの、政府は2002年以降一切新たな認可をせずストップしたままの状態だ。風紀取締りで ”あちこちで好き勝手に商売するな” と一旦は一纏めにしておいて、今になって ”公娼館を閉鎖する” と道端に放り出すつもりか』

 

『免許があり、指紋押捺までさせられ、'娼婦' と記載の登録証明書まである。そんな我々が他にどんな仕事に就けるというのか、不健康且つ絶えず身の命の危険にさらされる外で一人働けというのか』

 

 

皆が皆、家族や子供もいて、公娼館が閉鎖に追い込まれたら路頭に迷う、と主張する。平均年齢43歳、娼婦達は立ち上がり自ら、"私たちを道端に放り出さないで!”と切実な思いで抗議活動をする。

 

 

入口の看板: 身分証明書提示必須。18歳以下入館禁止。バッグ・袋等持込禁止。飲酒者入館禁止。

営業時間:10:00ー22:00 

プラカード:『生活の糧(パン)に手出しするな』

 

2016年辺りにはとうとう4館にまで減少してしまう。

 

 

 

 

 

そしてとうとう、

新型コロナ襲来…

 

 

 

 

ある娼館の入口

 

 

 

 

可能な限り多くの客を取るべく、元々1部屋のところを2つ3つに分け、シングルのマットレスがやっとなくらいの狭い小部屋が並ぶ…




 

 

 

<*Baharバハルの部屋>*トルコ人女性の名

 

<Room No.7 Ipekイペキの部屋>

 

<Room No.13 Merveメルヴェの部屋>

 

<Sibel シベルの部屋>

 

 

 

 

 

<Room No.10 Zeyno ゼイノの部屋>

 

 

ハロー、私はゼイノ

 

Vizite (対面): 10.000.000 milyon

Sevişme (愛撫): 20.000.000 milyon

Özel muamele (特別行為) 30.000.000 milyon

Yarım saat(30分): 75.000.000 milyon

Bir saat (1時間): 150.000.000 milyon

 

どうか料金に対して意見をしないでください。

何事に対しても対価があるのをお忘れなく。

お望みを叶えるにはその費用を支払う必要があり、

不払いなら私に強要する権利などありません。

サンキュー

 

注:部屋を汚さないようにお願い。

 

ゼイノ

 

 

 

 

Ellerinle yaktığını gözyaşınla söndüremezsin Zeyno

 

自らの手で火を付けておいて

涙で消そうだなんて無理だよ

ゼイノ

 

 

 

Her şeyini kaybet, onurunu gururunu asla Zeyno

 

全てを失なっても、

尊厳と誇りは決して!

ゼイノ

 

 

 

 

 

 

ゼイノの部屋の壁に残された、

ゼイノの静かな魂の叫び

地に堕ちたゼイノに残された最後のプライド

 

 

 

 

ゼイノの人生には、

恐らくたくさんの悲しい物語があるのでしょう

 

 

彼女にとっては安住の地であった

Zürafaズラファ通りからも放り出され

 

今はどこで暮らすのでしょうか

 

 

 

 

VISITE面会 70TL 消費税込み

コンドーム使用義務有

 

 

 

 

 

 

哀しいZürafaズラファ通りの物語をご紹介させていただきました。以下はトルコにおける公娼館の一般的情報です、施設によって規定・慣習の違いはありえます。

各種メディアから収集した情報ですので誤っている場合もあり得ます、どうぞご了承ください。

 

 

 

<公娼館で働く公娼達>

 

条件:

① 満21歳以上

② トルコ国籍保有者

③ 法律婚事実がない者

④ 不道徳犯罪前科者 (無い者は自ら自首をして前科者になることも)

※ 但し、無免許/もぐりで売春をする者も多くいるらしい

 

ー 年中無休、開店から閉店まで働かされる、一日に50~70人の客を取る事も

ー 歩合制で収入の半分を雇用主に支払う(親や夫に借金の肩代わりに売られたケースも)

ー 病、生理期間中は医師の診断書を以って休みが認められ、それ以外は忌引き程度

ー 所属宿には其々責任者と作業職員がおり、その給与の半分も売春婦たちが負担する

ー 部屋の水道光熱費等の経費は売春婦持ち、但し無許可のもぐり売春婦がいれば彼女たちが持つ慣習がある

ー コンドームも売春婦が負担し用意する

ー 雇用主側による社会保険加入義務があるが、毎月継続して保険料が納付されていない事が多い (公務員ではない)

ー 60歳、70歳の売春婦も存在する、35歳を超えると客足が遠のき、定額よりかなり割引して商売するものもいる

ー 公娼宿で働きここで生活するが、外に自宅を構えることもできる

ー 自宅を持つことができ引っ越した際は警察署に報告義務があり、警察は抜打ち捜査をする権利を有する。恋人等事前登録済以外の男が家の中で発見された場合はすぐさま立入禁止命令が出る

ー 出入りには、出勤には”Vesika(公娼証明書)” 帰宅時には”Evci Kâğıt(帰宅許可書)”の提出の必要がある

ー 売春婦は自己負担で1週間に2度婦人科での診察、6か月に1度 結核レントゲン検査、3ヶ月に1度 エイズ・梅毒・肝炎・淋病の検査を受ける

 

 

 

 

娼婦の負担もかなり大きく、厳しいですね…

それでも、国に守られ警察も駐在する(2012年以降は私設警備)安全な公娼館での売春を望む声は後を絶たないそうです…

 

 

 

 

 

ではでは~

 

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