(今回 ちょっと重いです、すいません。)

 

 

ある日、家でくつろぎながら 弟と楽しく会話をしていた時に、突然父親が間に入ってきて、我々に言いました。

 

 

「お父さんはな、お前たちは信じないかもしれないが、昨夜 自分の体から離脱して、空に昇り、地球の周りをゆっくり2周してきて、また自分の体に降りたんだぞ」

 

 

 、、、、、、(私 無言。。。)

 

 、、、、、、(弟 無言。。。)

 

 

父に気づかれぬよう 目を盗み、(親父、とうとうご乱心か!?と目配せ合う我々。

 

 

 

私たちは 父が45歳超えの、歳を取ってからの子です。

 

 

父は、高校生の時に学徒動員で太平洋戦争に徴集され、鹿児島の指宿にある海軍の航空隊に所属していたそうです。

 

なんでも、本人曰く、

「校長により、学校で一番優秀な生徒3人が選ばれた」、

「視力が2.0とすごく良かったので航空隊に配属された」との事。

  (私、その視力の良さの遺伝を引き継がせていただきました。)

 

もちろん他に様々な理由があったのでしょうが、戦況がかなり悪化し混乱の時期だったのでしょうね。

 

 

 

(高校生、、そんな若さで戦争行きですよ、今の平和な日本からすれば本当に考えられないですよね。日本国憲法上あり得ない事ですが、“もし” 戦争となった場合、今の日本の若者 戦えますか? 絶対 無理ですよ。ニートや引きこもり、ゲーマーは家からすら出てこないでしょうし、多くの若者が徴集命令にも拒否しそう。まあ、拒否して当然、無意味な戦争の犠牲者、多くの人々が無駄死にさせられ ただ悲しいです。)

 

 

毎日、一緒に過ごす仲間が一人また一人と死に逝き減っていくのを見たり、飛行中に、一度は海へ、もう一度は空港で、2度墜落した事もあったりと、それでも父はなんとか生き延びて戻ってきたそうですが、かなり凄惨な青春時代を過ごしたせいなのか、私たちも子供ながらに、

 

父は どこかいつも “ここにあらず”、虚無感、虚脱感、というか、世捨て人の様に、なおざりに 毎日またやってくる日々を ただ生きてる人(上手く表現できません) で ある事を感じていました。

 

 

戦争後遺症で、米びつの米や冷蔵庫内の食物が少なくなってくると不安感に襲われたり、カボチャが嫌いだったりする人でした。戦争中は空腹で、訓練中カエルを見つけては(列を乱すと殴られるので)急いで飲み込んだりしていたそうで、そういった不衛生さが原因なのか、死ぬまでずっと軟便で悩んでいました。

 

 

戦争についても、私たちには多くを語りませんでした。

 

兄弟それぞれ別々に聞いた、たまに不意に口から出た父の言葉を全部集め合わせた情報がこれ位です。

父にとっては 思い出したくない記憶が沢山あったのだと思います。

 

 

多感な年頃に、そんな壮絶で凄惨な時を過ごしたので、やはり精神的にどこかダメージを受けており、その、”幽体離脱地球周遊”の体験は、何かのきっかけでスイッチが入ってしまい、 ”脳内でその様な映像 (夢)を見た” のでしょうか。。。

 

普段冗談を言う様な人ではありません。本人はもちろん実際に地球を周ってきたと本気で言い張りました。

 

 

 

そんな父は70歳の頃、背中が痛いと言い出し病院へ、そして胃がんが見つかりました。担当医は強く手術を勧めたのですが、

(確かにその頃の治療は今とはレベルが全く違うものだったかも知れませんが、その時点では、)

手術後の抗がん剤治療の副作用で苦しむだけの寿命が延びても意味がない

 頑なに拒否、何の治療すら受けることなく、その後 がんは全身に転移し2年半後72歳でこの世を去りました。長寿の方々が多い中、早すぎる死です。

 

 

幽体離脱地球周遊もですが、生きる事に執着がなかった、それも戦争後遺症の一つだったのでしょうか。

 

 

 

トルコに嫁いでしまい、何とか死に目には会えたものの、父はもちろんの事、母親の一番大変な時に まったく寄り添ってやる事ができなかったのが、一番の後悔です。

 

国際結婚をして、親と遠く海外に離れて暮らす者の、共通の問題ですね。

 

 

ではでは~ラブラブ

 

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