この投稿は第41回~第44回の投稿を編集したものです。
訓練会の騒動のことで田中をはじめとする数人が退学することが決まった。
そのメンバーで解散会をすることになり、学校を辞めるわけでない私も呼ばれたので参加することにした。
これまでの思い出や救命士(消防士)への思いを語った。なんとなく目指しただけの人や救命士になることの難しさに打ちのめされてやる気をなくした人など様々であった。中にはスポーツ推薦で大学に入るのを断ったことを後悔している人もいた。年に何度か会うことを誓って会はお開きになった。
私と田中は二人だけで3次会をすることにした。少し高いカラオケに入った。何曲か歌ったときに田中が泣き出した。私は演奏中止をして田中と話すことにした。
田中は火災で兄が負傷し家が半壊したことがきっかけで消防士を目指した。誰よりも強い意志があった。入学当初から放課後も練習をするくらいまじめだった。
田中に話を聞くと学校を辞めることに少しだけ迷いがあるようだ。
そもそも疑問だった。私のようになんとなく救命士を目指しただけの人間ならまだしも誰よりも強い意志があったのになぜこんな風になってしまったのか。
その理由は入学当初の実技の授業でみんながふざけて田中の邪魔をしてくることがあり、それに腹を立て喧嘩になった。その時に仲裁に入った棟田先生の対応に納得が行かなかったこと
決定的なきっかけなったのが、棟田先生が「授業中に消防は金回りがいい」と言ったことでみんながやる気を出したに対して失望した。
小学校の時に家族旅行で関西を訪れたいたときに事故で救急搬送されたことがあった。その時の救急隊員の一人が棟田先生であった。田中にとって棟田先生は恩人であり憧れでもあった。
しかし、棟田先生が「金曜と土曜の夜は酔っ払いの搬送がメインになるからボーナスタイムみたい。たまに酔っ払い以外が来ると空気読めとか思っちゃたり」と発言したことで、田中は裏切られた気持ちになった。田中が事故に遭ったのは金曜日の夜だったからである。
武川をはじめとする多くの人が金曜日の夜に酔っ払いを搬送してたくさん手当をもらうことを楽しみにしていた。そんなみんなと一緒に何かをしたくなかった。気づいたら吹き溜まり軍団の長になっていた。
田中は迷っていたこのまま学校を辞めていいのか。怠惰な日々を過ごしていたことを後悔していた。だが学校には自分の居場所がないことを悟っていた。
私には田中の居場所を作ってやれるほどの力がないためどうすることもできなかった。
その時は一人でなんとかすることだけを考えていた。クラスの何人かに相談すれば何とかなったのではと今も思っている。
私がこの学校にいる経緯を話すと「なんだそれ」と笑われた。
駅で別々の電車に乗るときに「お前はゆっくりでいいから答えだせ。」と言われた。
田中はこの学校でのことを自分の弱い心が招いたことだと振り返っている
田中は数年後に自衛隊に入隊し何度か災害出動したことで夢を叶えた。