この投稿は第32回と第33回を編集したものです。

 

 

学校に退学したいとの意思を伝えると「両親と相談してからにしてくれ」と言われた。

 

実家に帰り両親は棟田先生との一件は知っていたようだった。

 

両親に退学したいと伝えると「だから理学療法士になれて言ったんだ」と言われました。「理学療法士の大学に行っても同じことだった」と思った。

 

この後の両親の対応は私のことを気遣い続けてくた。1年前とは違いとても暖かさを感じられる人になっていた。これが本来の両親だったのかもしれないことに気づいた。

 

問題はやめた後どうするかだった。「自宅から通える所にある学校なら入ってもいい」と言われました。しかし特にやりたいこともなかった。もう一回進学したところで途中でやめるだけだと思った。

 

3月であったのでどこの専門学校も大学も募集をしていないことに気づいた父親から2年生になってから進路を決めるとのこと提案せれました

 

coca「コカ」

 

 

 

 

実家にいると吉家先生から電話がかかってきた。「学科長から聞いたけど、学校を辞めたいとか言っているらしいじゃん?交通費出してやるから学校まで来な。」

 

学校に行くと吉家先生が個室に案内をしてくれた。「なんで学校を辞めようとしてんの。ここでやめるとかお前はただの半端者だよ。」

 

私が辞めたい理由を言ったが吉家先生は「そんなの途中で逃げただけじゃん。人生長いんだから今やめる必要ないじゃん、金銭面でも優遇してもらえるんだから。もう少しだけ続けろよ。辞めるのはその時でもいいから。」

 

私はこの言葉が答えは見えずにいた。

 

吉家先生は自分の祖父の話をした。吉家先生の祖父はポンプを制作していたらしく、その功績が称えられて知事から勲章を受章されたよう。死に際で「途中で何度か辞めようと一つのことを極めたから人生に悔いはない」

 

すごく熱弁していたが確かにそうだなと思った。

 

親と話し2年生の前期の間だけ学校にいることにした。

 

2年生の最初授業で私の顔を見た時のみんなの反応は様々であった。

「辞めたんじゃなかったの」や「どの面下げてきてんだ」などの否定的な反応もあった。