「オーデマ ピゲ」にとってこのコラボの目的は何か?
筆者が推測する、そして今回チェックした時計専門ウエブメディアが一様に指摘してい理由は「若い世代での“ロイヤル オーク”と『オーデマ ピゲ』ブランドの認知向上」だ。
「オーデマ ピゲ」はフランソワ=アンリ・ベナミアス前CEOの指揮の下、この10年間で最も成長した時計ブランドだ。彼は12年5月にスイス本社の暫定CEOに就任。さらに13年1月にはグローバルCEOに正式就任。11年間の在籍期間中に約6億スイスフラン(約1200億円)だった売上高を、退任時には約24億スイスフラン(約4800億円)の業界3位に相当する規模へと成長させた。退任後の25年の同社売上高は、時計のコンサルティング会社ラクス・コンサルとモルガン・スタンレーが毎年共同で発表している推定によれば前年比9%増の約26億スイスフラン(約5200億円)。売上高で「オメガ」を抜いて業界3位に浮上した。利益率は約33%と推定されている。
この爆発的成長を可能にしたのが、生産数を絞って製品価格を値上げし、市場での希少性を高めたこと。そして伝統的な時計愛好家に留まらず、世界の富裕層をターゲットにした直営ブティック主体の販売戦略を採ることだった。直営戦略の背景にはベナミアス前CEOが1999年に北米支社の社長兼CEOに就任して以降、ニューヨークやマイアミのブティック展開を成功させてきた事実がある。
ただ爆発的な成長が絶賛される一方、時計愛好家の間では同社製品の評価や販売体制の評価はビジネス界ほど高くはない。なぜなら創業者の名を冠したクラシックなコレクションを事実上廃し、ラグジュアリー・スポーツウオッチの“ロイヤル オーク”や、ニュー・クラシックと位置付けた新コレクション“コード11.59 バイ・オーデマ・ピゲ”に集中。さらに価格設定を高額にシフトし、製品戦略を劇的に変更したからだ。このふたつの戦略の結果、売上高は爆増したが、顧客層の固定化は将来のファン層(若年層)へのリーチという新たな課題を生む。「オーデマ ピゲ」などの高級時計は若い世代の間ではもちろん、一般の消費者からも「自分たちとは無縁のもの」としてスルーされる対象になりつつある。これは時計業界全体の問題で、別格の存在と言われる「オーデマ ピゲ」としても、長期的な視野で考えればとても大きな課題だ。
今回の「スウォッチ」とのコラボモデルは、数百万円〜数千万円という価格に加え直営ブティックでも入手困難な“ロイヤル オーク”を、ポップなデザインと低価格で提供することで、将来の顧客となる若年層に知ってもらう戦略と考えられる。これまで大成功を収めてきたとはいえ、もはやブランドのプレミアム化戦略は限界という認識があるのだろう。つまり「オーデマ ピゲ」にとっては未来への投資実験として、充分に価値がある試みなのだ。
「スウォッチ」にとっては、千載一遇のチャンス
一方、スウォッチ グループにとってこのコラボの目的は間違いなく “ムーンスウォッチ” と“スキューバ フィフティ ファゾムス”を超えるヒット作の創造による「スウォッチ」、さらにはグループ全体の業績回復だ。前出の推定によればスウォッチ グループの2025年の推定売上高は前年比5.9%減の62億8000万スイスフラン(約1256億円)。営業利益が前年の半分以下に激減したとの情報もある。特にコロナ以前は好調だった中国市場の需要が回復せず、苦しい状況が続いている。しかも前に述べたように、現在の時計市場では傘下の高級時計ブランドによる反転攻勢はまったく期待できない。現状維持が精一杯だ。しかし比較的手頃な価格の「ロンジン(LONGINES)」や「ティソ(TISSOT)」は好調だし、「スウォッチ」のこの“ロイヤル ポップ”ならより低価格で、あらゆる世代にアピールできる。しかも「オーデマ ピゲ」のブランドネームでこれまでの2つのコラボコレクションとは別格の大ヒット作になる可能性がある。ファッションアイテムとして認知されれば、さらに1980年代のスウォッチブームのようにコレクターズアイテム化すれば、ひとりで何本も購入してもらえる可能性も高い。つまり「スウォッチ」にとってこのコラボは、はっきり言ってメリットしかない。
“ロイヤル ポップ”には、スイスの時計業界からも期待の声が上がる。25年は世界への輸出額がマイナス約1.7%と停滞期に入った。状況を少しでも変える起爆剤なってほしいという切実な願いが見える。「プレミアム化戦略はもう限界」と感じているのは「オーデマ ピゲ」だけではない。低価格のカジュアル化戦略が有効なら自分たちも、と考えるスイスの時計ブランドは少なくないはずだ。
まだどんなモデルなのかは確認できないが、時計ファンの間では、この“ロイヤル ポップ”が「史上もっとも身近なジェラルド・ジェンタ・モデルだ」と評価する声もある。天才ウオッチデザイナーのジェラルド・ジェンタ(Gerald Genta)は1972年の“ロイヤル オーク”で「鋼鉄(スチール)を金と同じ価値に変えた」と評価されている。その伝説のデザインがカジュアルウオッチの世界で本格的に製品化されることで、時計業界に何が起こるのか?過大な期待はできないが、ジェンタ作品が半世紀を超えても輝き続けていることを考えると、何か面白いことが起きる可能性はあると思う。
