※ このブログは、平成30(2018)年12月24日から「さくらのブログ」に掲載し続けている『逃病日記』の直近分をコピペしたものです。
なお、『逃病日記501』(2023.5.23) の「『逃病日記』の表題の変更について」に記載したとおり、ブログの表題を『逃病日記 ー妻とともにー 』と変更することにしました。
(24.4.5.金)曇りのち晴れ
今日は、S君は、ドイツ在住時の友達とその家族が来日していて一緒に京都観光をするため、我が家には来ないし、天気もいいので、ヨメさんと二人で高野川河川敷の花見をしながら『出町商店街』まで行くことにした。
樹木によってはほぼ満開の桜もあるが、全体としては七分咲きぐらいの感じ。
川端通り沿いの高野川堤防の桜は古木が多いが、川端通りも昔はそれほど交通量の多くない道だったそうだ。私たちが現在の団地に引っ越して来た頃は、ホテル『ホリデイ・イン・京都』やボウリング場『京都スターレーン』、アイススケート場『高野アリーナ』その他のスポーツ施設が集まっていて、徐々に交通量も多くなっきていた。
その後、その二つの施設の後に、 一時期、『高野アリーナ』の跡地にパチンコ店の建設計画が持ち上がった地域住民の反対でポシャってしまった 現在の『洛北阪急スクエア』の前身の『カナート』ができ、パチンコ店建設計画がポシャった後の敷地に『カナート』が増設された。その後、店舗名も現在の『洛北阪急スクエア』となり、経営母体も『阪急阪神ホールディングス』に変わって現在に至っているが、現在の交通量は半端ではない。お花見のこの季節、高野交差点の信号と洛北阪急スクエア南出口近くの信号間がびっしりと車が渋滞することもめずらしくない。
桜の満開が近いとあって、河川敷にはブルーシートを引いたグループが集って、「花見で一杯」ときこしめしていた。どこでどう聞きつけて来たのか、外国人観光客も結構多い。出町商店街の『ふたば』の前は、例によって長蛇の列。
商店街をぐるっと一周して、肉屋『岡田商会』 『ふたば』の二軒隣でコロッケが観光客にも人気 で、晩ごはんのおかず用にコロッケやミンチカツなどを買った。この店も次々にお客さんが来店しているが、整理札を発行しているので、ちょっとの間は店を離れても差し支えない。ほどなく番号を呼ばれ、商品を受け取って、帰りは京都バスに乗って帰った。
(24.4.6.土)曇り
最近、このブログ『逃病日記』の「アクセス数」や「訪問者数」がウナギ登りに増えている。なんかの間違いのような気がしないでもない。ただ、ここ最近、私がウォーキングなどの途中に訪れて、ブログで取り上げた飲食店名や有名施設名などに関して、Google検索の「画像」にリンクを貼るようにしたのが、アクセス数や訪問者数増えた一つの原因かもしれない。
リンクを貼ることによって、当然、情報量が増えるので、情報量が増えれば結果的にアクセス数や訪問者数が増えるのは当然のことだろう。
おそらく情報学の分野では、ブログなどの媒体の情報量が増えれば、それに従ってアクセス数や訪問者数が、単なる比例レベルの増え方ではなく、等価級数的に増えるというような考え方があるのではないか。しかし一方で、そんな風にアクセス数や訪問者数が増えると、なんか責任が重くなってくるような気がしないでもない。
このブログのスタート時の当初の目的は、ブログの標題名『逃病日記』そのもので、5年前の発病以降の治療・療養経過を書き記すことによって、自分自身を客観視するとともに、自分にとって〈癒し〉にもなるだろうと思った 当時はまだまだ再発や転移の不安が大きかった のが第一の理由である。
それと、こいうことを言うとおこがましいが、同じように重篤な病気に罹っている人々とって何かの参考になればと思って、なるだけ客観的に治療過程で見聞きし、感じたことを記録し 私自身が通算して十数年以上も国立大学病院に勤務して経験上、医療や病院の内部情報に通じている立場で ていこうと思ったことも理由の一つである。
さらには、「逃病」とは全く異なる観点として、生粋の京都人ではなく、大学入学と同時に大阪から移り住んで50年近く経過し、「京都」に愛着を感じると同時に客観的、批判的な視点も持ちうる立場からの「京都情報発信」 京都の情報に関する雑誌やムック本は腐るほどある いうのも面白いんではないかと思い始め、積極的にリンクを貼るようにした。また、Amebaブログ『京都一乗寺ラーメン街道探訪記』も、「ラーメン街道」に近い左京区高野に居を定めて数十年の地の利を活かしての「情報発信」一環だ。
「アクセス数」や「訪問者数」が増えることは、それだけ多くの人が私の発信する情報に接することになるわけで、迂闊なことは書けない。
(24.4.7.日)曇りのち晴れ
今日は、高野川河川敷は花見客が多いだろうと思って、もう一つの近場の花見の穴場『白川疏水』にヨメさんと出かけた。範囲としては『東鞍馬口通り』と『御蔭通り』の疏水沿いの道を往復した。折り返し点では御影通りを越え、『京大農学部グランド』が眺められる道端のベンチで一休み、アメフトの練習試合をやっていた。途中の『駒井家住宅』は、知る人ぞ知る昭和初期の近代洋風建築。京都は空襲がなかったため、当時は普通の邸宅だった建築物が、時の流れを経て、時代の波に洗われて洗練され、建て残った建築物が結構ある。
【今日の読書469】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
①-21『吉本隆明代表詩選』
①-25『心的現象論序説』
②-44『明治大正史 下』
③-52『生命 最初の30億年』
③-54『すごい実験』
④-9『小林秀雄全集7/歴史と文学・無常ということ』
⑤-13『吉本隆明×吉本ばなな』
⑥-25 『文庫の読書』
⑥-27『小説家の四季 2007-2015』
⑦-89『騎士団長殺し2』
⑦-90『フィッツジェラルド10』
⑧-17『ステパンチコヴァ村とその住人たち』(Kindle)
⑨-5『自省録』
⑩-39『プルーストを読む生活』
⑪-9『色川武大・麻田哲也エッセイズ1』
⑫-29『小説の読み書き』
⑬-11『こころ』(Kindle)
コメント:引き続き、⑤-13『吉本隆明×吉本ばなな』から、吉本ばななさんの創作に関して、ご本人と父親の隆明氏等による貴重な発言が記録されている箇所から引用しておく。
p.186(ばなな)「やっぱり普通にこう、それもね、度を超すと酷いことになるっていうこと最近よくわかってきたからあまりしないけれども、本当に普通に町に行って絶対にわからないように普通に一日、普通の人はどういうことをしているかっていうこととか……なんかそういうこと以外に興味ないです。だからこれからっていうのはそういう意味で、一番怖いのは、物に行っちゃうこととか自然に行っちゃうことっていうのは本当に怖い。それだけはありそうで怖い。でもじぶんの身辺に起こったことを私小説風にアレンジして書くとか、あと過去にいた人物に入れ込んでその人の伝記みたいなものを書くとか、そのどっちもあり得ないから、だからちょっとここしばらく冴えない時代になるんだろうな。でも冴えない時代ってわかってればその冴えない時代の身の振り方が、だったらこういうもんだけ書こうとかこのことだけ心がけようとかいうのがすごくわかってくるから、一見そう見えてもいまからが冴えてる時代だと思ったらやっぱり自分で間違ってると、なんとなく思います。技術がついてきたいまこそが、いまこそが、ここからのやち方でそのあとの発展が決まってくるというか」
p.187(インタビュアー)「ムードっていうのがやっぱり僕一番ポイントだと思うんですけどねえ。すっごい乱暴な言い方をしてしまうと、吉本さん、太宰治もムードだったと思いませんか?(中略)僕なんかが思うのは、太宰治は異常に、プライベートな部分においてでも一種呪縛してしまいますよね、ガチッと掴んで、それは何が共通しているかっていうと、こいつの考えてることのテーマ性がおれと共通してるっていうのではないと思うんです。(中略)あるいは文体が何とかいっているんじゃないと思うんです。このムードだったと思うんですよね。太宰治の持ってるムードっていいうのはおれのムードと全く一緒じゃないかと。これは誰が見てもきっとわかりゃしないと、おれにしかわからないし太宰にしかわからないという、そういう 。」
p.187(ばなな)「ああ、よく言われます。」
p.188(インタビュアー)「そういう共通言語で、吉本ばななもそうだと思うんですよ。で、何でそうやって私が断定的に言えるのかっていうと、僕らがかかわっているポップ・ミュージックっていうのはまさにそのムードなんですよ。だからビートルズが体現したのはあの60年台初期のムードで、それを誰よりも正確に表現できて一番ポップだったんですね。吉本ばななさんの持ってるムードっていうのはどこにもカードが通用するムードなんですよね。その、ムードを醸し出すっていうのはすごい難しいんですよね。」
p.189(ばなな)「極端に言ったらテーマなんて関係ないって言っても過言ではない
ないとまで言うとちょっと大袈裟だけど、何て言うのかしら、とにかくこう、テーマならテーマっていうのもまたムードなんですよね。(中略)一番初めにムードがあって、その器に合うエピソードを外から持ってきて小説にするわけだから、やはりムードが一番大切。でもそれはやっぱり誰でもが味わったことがあるものだし、それこそ本当にそれがうまくいってれば、本をいままで一生一冊も読んだことのないおばあさんとかにでも通用するものだと思うし、それとか隣で戦争やってて本なんて読んでる場合じゃないよっていうようなときでももし読んでしまえば通用するものだから、そういう一対一の関係だからね。読んでるときはね。音楽はみんなで聴くとかいう楽しみもあるしいろんな形があるけど、映画や小説は一対一のものだと思うから、より深く入っていきやすい(中略)でもそれでも日本語までだと責任が持てるけど、訳されてなお残るものがあるかっていうのはもう、すっごく難しい問題だから」
【今日の映画469】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『フラッシュダンス』(NHK-BSの録画で視聴)
原題:Flashdance
製作年:1983年
製作国:アメリカ
監督:エイドリアン・ライン
出演:ジェニファー・ビールス/マイケル・ヌーリー/リリア・スカラ/サニー・ジョンソン
ストーリー:プロのダンサーを目指す19歳のアレックス(ジェニファー・ビールス)は、昼は製鉄所の溶接工、夜はクラブのダンサーとして働きながら、ダンスの練習に励む日々を送っていた。ある日、彼女はピッツバーグ・ダンス・アンド・レパートリー・カンパニーのオーディションを申し込みに行くが、他の応募者は皆バレエの経験があることを知り、すっかり自信を失ってしまう。そんな折、彼女は製鉄所の社長ニック(マイケル・ヌーリー)と急接近するが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.5、TSUTAYAは3.32、Filmarksは3.5で、私の評価は3.5とした。
プロダンサーの夢を追う女性の愛と友情、成長を描いて世界的ヒットを記録し、1980年代を代表する作品となった青春ドラマで、よくある舞台ダンサーもののサクセス・ストーリー。
【今日のジャズ469】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:The Poll Winners
アーティスト:Barney Kessel with Shelly Manne and Ray Brown
レーベル・品番:Contemporary・C 7535//Fantasy・OJC 156/・OJC CD 156-2
録音年月日:1957.3.18-19
曲名:①Jordu/②Satin Doll/③It Could Happen To You/④Mean To Me/⑤Don't Worry 'Bout Me/⑥On Green Dolphin Street/⑦You Go To My Head/⑧Minor Mood/⑨Nagasaki
ミュージシャン:Barney Kessel (g)/Ray Brown (b)/Shelly Manne (ds)
コメント:バニー・ケッセル、レイ・ブラウン、シェリー・マン57年度の『ダウンビート』『メトロノーム』『プレイボーイ』各紙の「人気投票」で1位を総なめにした。これは、その3人が吹き込んだ1作目。いずれも腕達者だけに、秘術を尽くしたやりとりが楽しめる。同じメンバーで翌年録音した『ポール・ウィナーズ・ライド・アゲイン』(C 3556)ともども、最高のギター・トリオによる作品として人気が高い。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)
<YouTubeライブ映像>
<Shelly Manne, Ray Brown, Hampton Hawes & Bob Cooper Live at Shelly's Manne Hole L.A. 1970>