※ このブログは、平成30(2018)年12月24日から「さくらのブログ」に掲載し続けている『逃病日記』の直近分をコピペしたものです。

 なお、『逃病日記501』(2023.5.23)  の「『逃病日記』の表題の変更について」に記載したとおり、ブログの表題を『逃病日記 ー妻とともにー 』と変更することにしました。

 

(24.3.15.金) 晴れ

 孫のS君の小学校は、来週月曜日が終業式で、その前に学校で大掃除ということで、午後2時頃に下校するので、またまた面倒を見て欲しいとのこと。

 今日は15日なので『百万遍知恩寺の手づくり市』でもある。さあどういう段取りにするか、ヨメさんと話し合った結果、S君を自転車で迎えに行って、それからS君も『手づくり市』に連れて行ってやろうということになった。『手づくり市』も全体を周るとなるとそれなりに時間を要するので、「学童」代わりには充分だ。

 ということで、私は川端丸太町の娘宅に向かい、ヨメさんは百万遍の手づくり市に向かった。娘宅に着いたがS君はまだ帰宅していなかった。娘にメールしてみると「友達やらと喋りながら、結構、チンタラしながら帰って来るみたいやわ」とのこと、結局、帰ってきた時は3時近くになっていた。手づくり市は4時までなので、さてどうしたものか、ヨメさんに連絡すると「もうええんちゃう」とのこと。そうこうしているうちに、S君は向かいの家の子とスケボーをして遊び始めた。ほんじゃもういいかなといことで、私一人で百万遍の「手づくり市」に向かった。家の前でスケボーをしているS君に「家のカギ持ってるなぁ、カギ閉めとくで」と告げていった。ところが、後で娘からのメールでは、(カギ持ってるなぁって確認したのに)カギを忘れて持ってなかったので、向かいの子と遊び終わった後も、5時過ぎに娘が帰宅するまで戸外で待つことになってしまったらしい。私が冗談めかして、娘に「Sちゃん、ウッカリチョンチョンでアポポイやな」とメールしたら、娘が「アホや」と返事してきよった、自分の子やのにほんまキツイ娘やで。S君は小三で英検2級に受かってんのに、自分のことさておいて、よおゆうわ。

 

(24.3.16.土) 晴れ

 土・日曜日は基本的にジャージに着替えてウォーキングに出かけることはまずない。ジーパンかチノパンなどの普段着で、ウォーキング代わりの散歩や買い物に出かけることにしている。

 今日は、まず、北大路高野の『大垣書店高野店』   この高野店には『cafe』が併設されているがいつも満員に近い状態で、書店としての成功事例の一つだろう  に立ち寄ってから、東大路通りを北に向かい『恵文社』の店内を一回りして、店前の曼殊院通りを少し東に行ってから、『音羽川』の支流沿いの道を下って行った。この支流は北大路通りの辺りで『白川疏水』に繋がっているとは知らなかった、まあ一つの発見かな。確か『音羽川』という川は修学院の辺りを流れていて、昔はよく氾濫したんじゃなかったかな  学生時代に修学院に下宿していて、台風の時期にそんな情報を耳にした記憶がある。この音羽川の上流には『音羽川砂防ダム』があり、比叡山を水源としているようだ。

(話を戻して)今日は、この後、白河疎水通りを下り、東鞍馬口通りで左折して、白川通りに出て『ライフ北白川店』に立ち寄った。「主夫」しているわけではないが、新聞の折り込み広告に載っていた「目玉商品」を探して、店内をウロウロ。

 帰路は、名もない通り  中京の街中の『姉三六角蛸錦』などとに違って住宅街の通りは名前のない通りが多い  を通って帰った。

 

(24.3.17.日) 曇りのち雨

 今日もまた恵文社まで行って、店内をざっとひと回りしてから店を出て、店の前の曼殊院通りを少し東に行って右折し、高原通りに通じる通り  「高原通り」という呼称は北端が東大路通り、南端が御影通りまでの間だけをいう  を下がって、東大路通りをを越えてからは白川疏水通りに入り、そこを南へ下って、京大農学部グラウンドまで行った。日曜日だったのでグラウンドには誰もいないのかなと思ったが、結構、多くの学生が様々な競技の練習をやっていた。

 

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【今日の読書463※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字

①-21『吉本隆明代表詩選』

①-25『心的現象論序説』

②-44『明治大正史 下』

③-52『生命 最初の30億年』

③-54『すごい実験』

④-9『小林秀雄全集7/歴史と文学・無常ということ』

⑤-13『吉本隆明×吉本ばなな』

⑥-25 『文庫の読書』

⑥-27『小説家の四季 2007-2015』

⑦-89『騎士団長殺し2』

⑦-90『フィッツジェラルド10』

⑧-17『ステパンチコヴァ村とその住人たち』(Kindle)

⑨-5『自省録』

⑩-39『プルーストを読む生活』

⑪-9『色川武大・麻田哲也エッセイズ1』

⑫-29『小説の読み書き』

⑬-11『こころ』(Kindle)

コメント:吉本隆明と吉本ばななの対談集⑤-13『吉本隆明×吉本ばなな』を再読するきっかけになった、吉本ばななさんの姉のハルノ宵子⑤-12『隆明だもの』が昨日の朝日新聞『読書』欄の「売れてる本」のコーナーで取り上げられていた。評者はもともと「吉本主義」でもある平川克美氏で「戦後最大の思想家と言われた吉本隆明とその妻で俳人の和子には、2人の娘がいる。長女は漫画家のハルノ宵子、次女は数々の文学賞に輝く作家吉本ばなな。本書は、『吉本隆明全集』の月報に掲載されたハルノ宵子の文章をまとめたもので、晩年の吉本隆明とその家族の肖像が、ときに辛辣(しんらつ)に、ときにユーモラスに生々しい筆致で綴(つづ)られている」総評している。

 吉本隆明氏が1996年に西伊豆の海で溺れて死にかけたことについては「『事件』は、吉本家の歴史の中でも、“戦前・戦後”のようなランドマークになっている」と評している。さらに「著者(ハルノ宵子)が妹(吉本ばなな)と合流しICUに行くと、父はもう気管の管も抜かれ、翌日には意識は戻った。このときの妻和子の第一声が『カッパの川流れね!』であったという。思わず笑ってしまうところだ。この事件を境に、急速に老いを深める父親を、娘は支える。思想家の父と、俳人の母という2人の表現者のいる家庭は、『家の中に虎が2匹いる』ような緊張感があった。その緊張感の真ん中で、ハルノ宵子は、微妙なバランスで自身の姿を隠しながら、猫のように鋭い観察眼を光らせ、ときに爪を研いでいたのである」と、吉本家の中での著者ハルノ宵子の立ち位置を示し、「偉大な父親と、繊細で完璧主義者の母親から生まれた娘たちは、どう生きればよいのだろう。その葛藤が行間から滲み出ている」と述べている。

 また、巻末の姉妹対談の中の吉本ばななの「ものを書こうとか絵を描こうとかって、本当に楽しい家庭に育った人は思うはずないだろう」という発言を紹介し、吉本家とはまさに「薄氷を踏むような“家族”だった」のだとまとめている。

 最後に吉本隆明の思想についても言及し、「随所に、吉本隆明の根底にあった思想が顔を出す。『何か善いことをしているときは、ちょっと悪いことをしている、と思うくらいがちょうどいいんだぜ』という父の言葉から娘たちは『群れるな。ひとりが一番強い』という思想を受け継いだのである。吉本隆明は幾多の思想の果実を残したが、その中心にあった自立の思想は、2人の娘の中に見事に身体化している」と結んでいる。

 

今日の映画463】※データは『映画.COM』のサイト等から入手

邦題:『旅立ちの時(NHK-BSの録画で視聴)

原題:Running on Empty

製作年:1988年

製作国:アメリカ

監督:シドニー・ルメット

出演:リヴァー・フェニックス/クリスティーン・ラーティ/ジャド・ハーシュ/マーサ・プリンプトン/エド ・クロウリー

ストーリー:ダニー(リヴァー・フェニックス)は、大好きな両親と仲の良い弟を持つ心優しい高校生だが、彼には誰にも打ち明けることのできない秘密があった。彼の両親は、1960年代の反戦運動でテロリストとしてFBIに指名手配された解放軍のカップルだったのだ。名前を変え、髪の色を変え、半年ごとの夜逃げに近い「引っ越し」だらけの人生だったダニーとその家族はニュージャージー州へやって来る。ダニーは高校の音楽教師フィリップス(エド ・クロウリー)にピアノの才能を認められ、音楽大学への進学を勧められ、フィリップスの娘であるローナ(マーサ・プリンプトン)と恋に落ちる。そんなある日、ダニーの両親を訪ねたかつての同志が、ダニーの父親アーサー(ジャド・ハーシュ)を銀行強盗に誘った。同志をを追い返したものの、身近で騒動が起きる危険を察知してまたまた「引っ越し」を決めるアーサーだが、音楽大学に進むために一人で町に残るか、愛する家族と共に「引っ越し」の貧しい人生を繰り返すか、ダニーにとって人生の選択となる。フィリップス(エド・クロウリー)の推薦もあり、ジュリアード音楽院の実技試験を受けて、確かな手応えを感じるダニーだが・・・

コメント:評価は5点満点で、映画.COMは4.2、TSUTAYAは3.60、Filmarksは4.1で、私の評価は4.0とした。

 大人へと成長していく少年をリバー・フェニックスが好演した感動の青春映画。リバー・フェニックスといえば『スタンド・バイ・ミー』のクリス・チェンバーズ役  映画『スタンド・バイ・ミー』の主人公の語り手で後に小説家になったゴーディの親友でグループのリーダー格という設定  が印象的だった。その設定では「賢い少年だが、アルコール依存症の父親と不良の兄がいて、家庭に信用がないため、自分の将来を悲観している。周囲もクリス自身が将来は悪い人間になると思っているが、友達がいじめられていると助けるなど正義感があり、友達思いの面がある。ゴーディの才能に一目置いて、将来物書きになるよう勧めた理解者でもある。後に奮起して街を出て大学に進み弁護士となるが、ある日ファストフード店でもめていた客2人を仲裁し、客の持っていたナイフで喉を刺され死亡する」というような数奇な運命を背負っている。リバー・フェニックス自身も「1973年に家族でカルト宗教団体『神の子供たち』(現在のファミリー・インターナショナル)に入り、両親が宣教師となったことで、幼少の頃は南アメリカの各地を転々とする生活であった」とのことで、『旅立ちの時』のダニーの少年期とオーバーラップする。そして最後はヘロインとコカインの過剰摂取が原因で23歳の若さで夭折している。

 

【今日のジャズ463※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手

タイトル:Two For The Road

アーティスト:Carmen McRae & George Shearing

レーベル・品番:Concord・CJ 128

録音年月日:1980.6.

曲名:①A Ghost Of A Chance/②You're All I Need/③Gentleman Friend/④More Than You Know/⑤Cloudy Morning/⑥Too Late Now/⑦If I Should Lose You/⑧Ghost Of Yesterday/⑨What Is There To Say/⑩Two For The Road

ミュージシャン:Carmen McRae (vo)/George Shearing (vo,p)

コメント:ピアノだけをバックにしたヴォールアルバムもいろいろあるが、本作を上回るものは思い浮かばない。運命の出会いというか、このふたりほど相性のいいパフォーマンスを聴かせるコンビはない。ドスをを効かせて歌うカーメン・マクレエに対しジョージ・シアリングは懐の深いプレイで応じる。穏やかな響きの中にも、指を鳴らしたくなるようなスウィング感が息づく。まさにワン・アンド・オンリーな味わいだ。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)

<YouTubeライブ映像>

Carmen McRae - Live At The Montreal Jazz Festival (1988)

Carmen Mcrae - Live in Tokyo

Carmen McRae - Full Concert - 08/14/88 - Newport Jazz Festival