※ このブログは、平成30(2018)年12月24日から「さくらのブログ」に掲載し続けている『逃病日記』の直近分をコピペしたものです。

 なお、『逃病日記501』(2023.5.23)  の「『逃病日記』の表題の変更について」に記載したとおり、ブログの表題を『逃病日記 ー妻とともにー 』と変更することにしました。

 

 

(24.3.8.金) 

 今日は夕方頃から少し体調が良くない。ええ歳こいて、時間的に少し遅れ気味で、揚げ煎餅のような油っぽい「三時のおやつ」を4時頃に食べ、その後、ヨメさんが『HELP』で「美山のシュークリーム」を買ってきたので、紅茶を入れて食べた。そうしたら、なんか膨満感がして、体が少ししんどい。そんな状態のまま、夜になって夕食を食べて、さらに状態が悪化した感じ。体温を測ってみたら37.0°あったので、35.0°後半から36.0°前半が平熱の私としては、微熱といえる。

 念のため、入浴は控えて寝ることにしたが、ベッドに横になっているとゲップが出て、もどしそうになり、胃液のような酸性の液が逆流して口内に溜まってくる。熱があるので水を飲もうとしても、それも逆流するような感じがして飲むことが出来ない。便も下痢便の状態で、こんなときは普通は点滴で水分補給するんじゃないのかなぁと思うと、救急車を呼ぶまでの状態ではないとはしても、A病院かK大病院にでも連絡して自分で行ってみようかと思ったりもする。

 以前、ヨメさんが牡蠣にあたったときに、A病院に夜間にマイカーで救急外来に連れていって点滴をしてもらったことがあった。

 コロナに感染したんかなあと思ったが、咳や息苦しさなどの症状は全くないし、ノロウイルスなどについても、それらしい食べ物を食べたりはしていない。

 体勢は横にならずに上半身を少し起こした状態にすれば、胃液の逆流が止まるんではないかと思って、ベッドではなくて、普段は読書用にしているロッキング式のソファーを少し倒し気味にして寝ることにした。多少の寝苦しさはあったが、胃液が逆流することもなく、それなりに寝ることが出来た。

 

(24.3.9.土) 曇りのち雨

 今日は、朝起きて、朝食は温めたミルクだけにしておいた。

 昼間も、引き続いて、ロッキングチェアでウトウト状態で、本を読む気力もない。こんな風に夢うつつの状態で過ごしていると、よく夢を見るというか、まさに「夢か現か」という感じ。

 今日は一日中、本を読まずに夢うつつの状態で過ごした。

 

(24.3.10.日) 晴れ

 今日も引き続いて微熱があった。

 お昼なんかも何も食べる気がしない。ヨメさんは「うどんでもどうや?」と言ってくれたが、「うどん」が胃の中に入ってきた状態をイメージしただけで、もう受け付けない。まさに「鬼の霍乱」状態。これまでは健康そのもので、「満腹」になって、「もうお腹パンパンでなんも入らんわ」という状態にならない限り、「気分的に食べたくない」なんてことは、これまであまり感じたことはなかった。ヨメさんや友人のO氏に言わせると、学生さん並みの食欲で、「油物」でもなんでも、「もう食べられへん」なんていうのは、満腹になった時しか、これまではなかった。

 だから今回、二、三食、絶食状態を経験したが、胃の中が洗われたようで気持ちがいい。

 

【今日の読書461※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字

①-21『吉本隆明代表詩選』

①-25『心的現象論序説』

②-44『明治大正史 下』

③-52『生命 最初の30億年』

③-54『すごい実験』

④-9『小林秀雄全集7/歴史と文学・無常ということ』

⑤-13『吉本隆明×吉本ばなな』

⑥-25 『文庫の読書』

⑥-27『小説家の四季 2007-2015』

⑦-89『騎士団長殺し2』

⑦-90『フィッツジェラルド10』

⑧-17『ステパンチコヴァ村とその住人たち』(Kindle)

⑨-5『自省録』

⑩-39『プルーストを読む生活』

⑪-9『色川武大・麻田哲也エッセイズ1』

⑫-29『小説の読み書き』

⑬-11『こころ』(Kindle)

コメント:⑤-13『吉本隆明×吉本ばなな』の再読し、パート2文学対話「父は批評家、娘は小説家。」から、吉本ばななさんの創作に関してご本人と父親の隆明氏の両人による貴重な発言が記録されている箇所から、引き続き、引用しておく。

p.123 隆明「君の作品のひとつの特徴は、人間を書いているわけじゃなくてね、ひとつの“場”を書いているんだと思うのね。」

p.123 ばなな「おおっ、ためになるからこの部分はぜひ保存しといて下さい。」

p.123-124 隆明「それで全部“場”なんだよ。場を書いてて、その場の性質っていうか特徴がね、一種の好意、っていうのとは違うんだけど、好き嫌いの“好き”っていう雰囲気を持った場の中に、人間が登場してくる。だけどもその人物の性格がどうでこうでといったようなことはちっとも書いていない。のっぺらぼうな場の中のこと。単一のひとつの場が君の小説では全部好き嫌いの“好き”っていう場だと思うんだよ。それが極端に好きだと恋愛でもいいし別のものでもいいんだけど場が濃くなる。そのたったひとつの好きっていう場の中で登場人物が出てくる。その中で一人の登場人物との関係は千差万別あって、それでそれは描かれているんだけど、個々の登場人物の性格などはそんなに書かれていない。(中略)君のそのワンクールやった『アムリタ』までの作品の特徴は、みんな単一の場で、好き嫌いの好きっていう場だ。それで嫌いっていう場はめったに出てこないんだ。みんな好きっていう場の中で動いているんだよね。たとえば普通だったら恋愛しているとか恋愛関係にあるとか愛人だとか近親だとかって、それぞれ好きの性質がみんな違うわけだ。君の場合には、人物はいつでも交換できるんだと思う。(中略)近親とか友人関係の間で登場する人物も、いつでも性も交換できるし、関係も好きの濃さをいつでも交換できるっていうふうに作品ができてる。(中略)ちっとも人間を書いていないとか、優しさとか癒しとかっていうことについて君が言っていることと対応して、こっちが批評的に言えばそういうことに帰着するんじゃないかな。その場の性質の大きな特徴はやっぱり交換可能っていうこと」

p.131-132 隆明「いまはとりあえずそういう君の資質といまの時代性っていうのがとてもマッチしてる。それは偶然の要素かもしれないし、世代的要素かもしれないっていうね。だからいつどんな風に変わるのかはわからない。宮沢賢治流に言えばさ、一人の作家とか一人の人間の中でその人についているものは、どいう風になるかっていうのはわからないことだ。そのとき本当についてるもんとそのときの環境っていうのと、それがマッチするかしないのかっていう問題は、わからないものとしていつでもつきまとっていると思うけどね。(中略)唯一君の作品に、君がこれから作家としてどうなるかみたいな、つまり失敗作も作るしいい作品も作るし、いろいろやるでしょうけれども、唯一たったひとつだけ信頼できるなって思えることはあるんだよ。それはちょっと言い様がないんだけどね、一種の才能の、どう言ったらいいんだろうねえ、一種の才能の正統性って言ったらいいのか、オーソドキシーって言ったらいいのか、それが信頼できるとこだと思うの。それはそんなになくなったりついたりっていうものじゃないような気がするのね。それだから生まれつき天才なんだというわけでもない。だけど一種の才能のオーソドキシーっていうか正統性みたいなものはどんな失敗作のときでもいい作品のときでもあらわれていると思うよ。」

p.132 隆明「これはちょっと求めて得られるもんでもないような気もするし、じゃあ求めないで得られるかっていうとそうでもないような気がするしね。どう言ったらいいのかこういうのは言い様がないんだけど。つまりこれはもう持って生まれた何とか、って言っちゃうととても簡単なんだけどそんなもんでもないような気がする。」

p.132 ばなな「うん、そんなもんでもないような気がします。」

p.132 隆明「うん。それじゃあ全部人工的にぶんが努力して獲得したものかっていったら、そうともちょっと言えない。いっくら努力してもこの正統性っていうのは  才能か資質か知らないけど  その正統性っていうのはどうしても得られないっていう場合もあるんだよね。たとえばおれならおれを考えるとそういう気がするの。つまり才能の正統性っていうのはどうしても得られない、だけれども何かで補っているという。才能じゃなくてきっと努力  まあ、努力って変な感じだけど、きっと努力で補っているんだと思います。(中略)正統性って努力なのかもしれないし資質なのかもしれないし、それは何とも言えないんだけど、君にはオーソドキシーっていうのがあるように思うの。」

 

今日の映画461】※データは『映画.COM』のサイト等から入手

邦題:『ジュディ 虹の彼方に(NHK-BSの録画で視聴)

原題:Judy

製作年:2019年

製作国:アメリカ

監督:ルパート・グールド

出演:レニー・ゼルウィガー/ジェシー・バックリー/フィン・ウィットロック/ルーファス・シーウェル/ダーシー・ショウ

ストーリー:1939年のハリウッド、13才のジュディ・ガーランド(子役:ダーシー・ショウ)はMGM制作ミュージカル映画『オズの魔法使』の主役に抜擢され、スターダムへと駆け上がった。しかし、痩せ薬として飲まされたアンフェタミンへの依存など、劣悪な待遇で酷使される。長じては酒に溺れ、遅刻癖や撮影の放棄、結婚・離婚の繰り返し等で信用を失い、ジュディはMGMを解雇された。1960年代になり、二人の幼い子供を抱えたジュディ(レニー・ゼルウィガー)は、住む家もなく高級ホテル暮らしだが、宿泊費の滞納で次々と出入り禁止になる生活を続けていた。行き場がなく、長女ライザ・ミネリの豪邸に立ち寄るが、すでにミュージカル女優として名を馳せているライザは前の前の夫の娘で、娘に弱みを見せられずに強がって、立ち去ってしまう。その後、子供たちの父親であるシドニー(ルーファス・シーウェル)から、親権の譲渡を求められ、愛する子供たちとの安定した生活の為に、ジュディはロンドンでの大口の仕事を契約し、単身で渡英したが・・・

コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.8、TSUTAYAは3.30、Filmarksは3.7で、私の評価は3.5とした。

 「オズの魔法使」で知られるハリウッド黄金期のミュージカル女優ジュディ・ガーランドが、47歳の若さで急逝する半年前の1968年冬に行ったロンドン公演の日々を鮮烈に描いた伝記ドラマ。「ブリジット・ジョーンズの日記」シリーズのレニー・ゼルウィガーが、主役のジュディを演じ、第92回アカデミー賞など数多くの映画賞で主演女優賞を受賞した。

 長女のライザ・ミネリが演じた『キャバレー』は、ヒトラーが台頭して来た第二次世界大戦前の退廃的なドイツを描いた名作だったが、その後のライザ・ミネリは、母親のジュディ・ガーランドと同じように、アルコール依存症や薬物中毒などで、入退院を繰り返しているとのことだ。

 なお、U-NEXTで『オズの魔法使い』が配信されているので、また観てみよう。

 

【今日のジャズ461※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手

タイトル:Keystone 3

アーティスト:Art Blakey & The Jazz Messengers

レーベル・品番:Concord・CCD 4196-2/・CJ 196/ビクター音楽産業・VICJ 23843/ユニバーサル・UCCO 90312

録音年月日:1982.1.

曲名:①In Walked Bud/②In A Sentimental Mood/③Fuller Love/④Waterfalls/⑤Alamode ( A La Mode )

ミュージシャン:Wynton Marsalis (tp)/Branford Marsalis (as)/Billy Pierce (ts)/Donald Brown (p)/Charles Fambrough (b)/Art Blakey (ds)

コメント:ジャズ・メッセンジャーズはウィントンとブランフォードのマルサリス兄弟が参加したことで、音楽面でも人気面でも、それまでにない評判を獲得した。ふたりを擁したジャズ・メッセンジャーズは何枚かアルバムを残しているが、中でも抜群の出来を示しているのがライブ収録されたこの作品。若手の逸材を集めたグループを率いるアート・ブレイキーの挑発的なドラミングがご機嫌に響く。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)

<YouTubeライブ映像>

Art Blakey and the Jazz Messengers Live Full Concert

Art Blakey and the Jazz Messengers Live @ Ronnie Scott's

Art Blakey & The Jazz Messengers