※ このブログは、平成30(2018)年12月24日から「さくらのブログ」に掲載し続けている『逃病日記』の直近分をコピペしたものです。

 なお、『逃病日記501』(2023.5.23)  の「『逃病日記』の表題の変更について」に記載したとおり、ブログの表題を『逃病日記 ー妻とともにー 』と変更することにしました。

 

 

(24.3.4.月) 曇り

 今日は一人で、ウォーキングがてら白川通りのスーパー『ライフ』まで行ってきた。

 近くには『洛北阪急スクエア』や『イズミヤ』があるのに、なんでわざわざ北白川までということになるが、『ライフ』の店全体の雰囲気に清潔感があり、店舗内の食料品の配置や品揃えもなんとなく気に入っている。規模も、大きすぎず小さすぎずちょうどよい広さで、屋上全体が駐車場になっていて、規模に応じた駐車スペースが確保されているのも評価できる(まあ、たかが街の小さなスーパーの評価などどうでもええか・・・)。

 別に特別変わったものを買うわけでもないんだが、今日は、いつも買っているブルーベリーのジャムと小アジの干物のおつまみを買って帰った。

 帰路は、白川通を少し下って御影通りに出て、途中で白川疏水通り  途中の観光スポットになっている『駒井家住宅』の辺りは見事な桜の回廊疎水になる  に右折し、鞍馬口通りを経て帰った。これで、今日は6000歩をはるかにオーバーしたのでいいウォーキングになった。

 

(24.3.5.火) 

 今日も、ヨメさんは、あまり気が進まないようだったが、それなりに習慣になっているんだろう、黙々とスイミング・スクールに行く準備  水着やゴーグルを揃えたり  をしているので、私としては一安心というところ。

 ヨメさんの『MCI(軽度認知障害)』の症状が進行しないためには、やはり、外に出ていろんな人に接するのが効果的なんだろう。もともと、ヨメさんは外出するのも人と話すのも大好きで、若い頃から「『実家はお商売?』なんてよう言われるわ」なんて冗談っぽく言ったりしていたもんだ。

 一方、私の方は、一日家に居て本を読んでいても特にどうということもないし、一日どころか数日外出しなくても別にストレスなどは感じない。

 まあ、こんな風に、夫婦で両極端なもんだから、夫婦喧嘩をすると、ヨメさんは「お父さんは変わってるわ、もっと外に出で人と話さんとあかんわ!」なんて、一方、私の方は「アホちゃうかいな、そんなんもわからんのかいな、本なんか読んだこともないんちゃうか!」なんて具合に言い争うことになる。ヨメさんの場合は病気からくるもんだ思うが、毎回、同じような発言を繰り返す傾向があり、私も感情的になってしまうと「レコードみたいにおんなじことばっかり何回も繰り返すなよ」なんて言ってしまう。これだけは絶対に言ってはいけないような言葉  「病気やししゃあないなあ」とか「病気ちゃうか」  は、決して言わないように気をつけている。こんな言葉を発しようもんなら、  この病気特有の一般的な症状かもしれないが  ブチ切れて収集がつかなくなるだろう。冷静に「病気であること」を受け入れてくれるといいんだが……。

 ヨメさんが『MCI(軽度認知障害)』で通院しているA病院で以前遭遇した情景だが、ダンナさんが、認知症と思しき奥さんに診察の受付をさせ、その後、奥さんが診察室前までの途中に診察カードや保険証を落としていたのを、見咎めていたのを目撃したことがある。非常に「いやなものを見た」感じがして、「他山の石」として、あんなことは「決してすまい」と心がけている。

 いまのところ「ボクのこと『オタクどちらさん?』って言うようになったらどっかに入ってもらうで」なんて冗談を言い合って、笑い合えているが、そのうち、一年後か二年後かわからないが、ヨメさんが私に「オタクどちらさん?」という日が来るのかもしれない……。

 

(24.3.6.水) 曇り

 今日は忙しい一日だった。まず、午前中はK大病院での診察があった。先日、病院から、今日の予約日は、主治医が出張のために10時以降の診察ができないので予約変更をするようにと連絡があった。ただ、薬の処方がある場合は代診の医師が処方するとのこと。私の当日の予約時刻は10:00だったし、継続している処方薬もあったので予定どおり病院に行った。予約時刻を少し過ぎてからPHSの呼出コールがなったので診察室に入ると、いつもの主治医が診察してくれた。先生の話では、午後から山口に出張しなければならないが、予約10:00までの患者に関しては、少々時間を過ぎても診察してしまうとのことだった。この先生の予約は、“めいっぱい”どころか、おそらく予約枠の制限人数を超えて予約が入っているんだろう、だからいつも30分以上待たされることが多い。実績があって人気のある先生にはやはり患者が集中するようだ。

 主治医から二、三質問があったが、あっという間に診察が終わった。処方箋は、以前はファックスで最寄りの薬局に送信していたが、その後、電子データでファックス送信できるようになった。さらに、最近は、K大病院のアプリが開発されて、インストールすると、自分のスマホから処方箋データを最寄りの薬局に送れるようになったのは、なんとも驚きだ。

 数十年前の「医事システムの電算化」から「電子カルテ」を経て、この病院の医療情報部の成果だが、「医師のオーダー」と医事会計情報を直結させる「医師オーダーシステム」は未だに実現していない。そのため、いまなお、混雑時には会計受付前は患者の長蛇の列だ。その原因は……、まあ、推測の域を出ないので書くのは控えておこう。遠からず、実現することにだろう。

 

 診察を終え、会計を済ませて病院を出てから、税金の還付手続きのために、先日、作成した確定申告書を持って、近くの『左京税務署』に向かった。確定申告の締切りも迫っているので混み合っているのかなと思っていたが、数人程度の列だった。10分もかからないうちに順番が来て、書類を提出できた。

 

 水曜日は、孫のSが学校から早く帰ってくる日なので、3時にヨメさんとふたりで車で娘宅に向かった。近くの公立の小学校なら放課後も「学童保育」があるんだが、帰国子女ということで「国際コース」のある私学に入れたため、下校後に近くの子供と一緒に遊んだりということが出来ない。

 普段は4時過ぎに帰宅するが、月曜日と水曜日は早く帰ってくるとのことで、毎週水曜日だけ娘宅に行ってやっている。月曜日はそれなりに時間を過ごしているんだから、水曜日も、もう行かなくてもいいようなもんだが、ヨメさんが行きたがるし、孫と顔を合わすことはヨメさんの精神衛生にもいいことだろうと思って、私もお付き合いしている。最近、Sがキャッチボールをしたがるので、ちゃんとしたグローブ  この正月に近くのイズミヤの『コーナン』で合成皮革の安物の二個セットを買ってやった  を買ってやろうと思って、ヨメさんと三人で河原町丸太町を少し下がったところにある『ゴトウスポーツ』に行った。ところが、このスポーツ店、以前はスポーツ全般のグッヅを品揃えしていたが、最近はスイミング用品とスポーツウェアに特化したとのことで、野球用品などは置いていなかった。

 そういえば以前は、「街のスポーツ店」というような小さなスポーツ用品店がよくあったが、軒並み店じまいしているようだ。『ゴトウスポーツ』は、その中でもそこそこ大きなスポーツ店だったが、それでも何かに特化しないと生き残れないということなんだろう。京都では、もはや、『ミツハシ』やデパートの「スポーツコーナー」ぐらいしか、スポーツ用品を扱う所は残っていないんだろうか。

(これ余談なんですけど・・・)そう言えば、私もテニスをやっていた頃に『ミツハシ』に行ったりしていた。テニスの場合はいろいろ専門店があって、河原町丸太町を上ったところにある『スポーツクラフト  当時は温厚なオッチャンと、学生時代に関西で、様々な大会などで優勝もしているトップレベルのテニスプレーヤーだった息子さんが商いをやっていた  なんかによく通っていたもんだが、現在はどうなっているんだろうか……。

 

 また、そのうちSを『ミツハシ』に連れて行ってやって、グローブを品定めに行ってみよう。

 

(24.3.7.木) 曇り時々晴れ

 今日もまた娘からお願い事  家が近いと、なんなとお呼びがかかる。娘宅のキッチンのシンクから階下の部屋に水が漏れ、修理業者が夕方7時に来るので立ち会ってくれないかとのこと。この前の日曜日に、下見と見積もりに、業者のおニイちゃんに来てもらったらしい。最初、娘が一人で応対していた時はやや横柄な感じだったが、しばらくしてムコさんが上階から降りて来たら、急に態度が変わったらしいが、今日はムコさんがいないので一人で夕方7時からの応対するのは不安とのこと。それに最近は、給排水の修理などで高額の費用を請求するボッタクリ業者がいるいう話などもあるので、出かけて立ち会ってやることにした。

 ちょうど晩ごはん時なので、我々夫婦が、先に北白川の『王将』で食事をして、そこのテイクアウトでなんなと持って行ってやることにした。夕方7時という時間を見越して、6時半頃に娘宅に着く段取りで5時半に家を出た。王将に着いたのは6時前だったので店内はガラガラ。まず自分たちの食事をして支払いを済ませてから、娘たちにのテイクアウト分を注文した。チビ二人と、遅く帰ってくるけれども、ムコさんの分もいるだろうから大人二人分、王将がもともと安価なのでまあなんとかなる。

 娘宅に着いたが、修理業者はまだ来ていなかった。この日はちょうどWBCの対欧州選抜戦をテレビ中継していたので、時間を持て余すことはなかった。修理業者も言うほどのことはない、どちらかと言えば良さげな感じのお兄ちゃんで、こちらが観ていたWBC野球中継を「それなんの試合です?」と尋ね、「ボク、子どもの頃から阪神ファンですねん。おじいちゃんがボクの貯金箱に阪神が勝ったら500円入れてくれて、ほんで阪神ファンになってしもたんですわ」なんて、お兄ちゃん、訊いてもおらへんのによう喋りよる。

 

【今日の読書460※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字

①-21『吉本隆明代表詩選』

①-25『心的現象論序説』

②-44『明治大正史 下』

③-52『生命 最初の30億年』

③-54『すごい実験』

④-9『小林秀雄全集7/歴史と文学・無常ということ』

⑤-12『隆明だもの』

⑥-25 『文庫の読書』

⑥-27『小説家の四季 2007-2015』

⑦-89『騎士団長殺し2』

⑦-90『フィッツジェラルド10』

⑧-17『ステパンチコヴァ村とその住人たち』(Kindle)

⑨-5『自省録』

⑩-39『プルーストを読む生活』

⑪-9『色川武大・麻田哲也エッセイズ1』

⑫-29『小説の読み書き』

⑬-11『こころ』(Kindle)

コメント:吉本隆明と吉本ばななの対談集⑤-13『吉本隆明×吉本ばなな』を再読した。

 最初のパート1家族対話「父の記憶、娘の記憶。」の章では、⑤-12『隆明だもの』で著者のハルノ宵子が発言している『吉本隆明×吉本ばなな』が「禁書」になった理由については、「もしもあの本を持っている方が読み返してみても、どこがいけないのか、何が引っかかるのかは、お分かりにならないだろう」と発言されているとおりであったが、漱石の『それから』や『門』や『こころ』に言及しつつ、吉本隆明夫妻の「馴れ初め」や結婚の経緯について、自ら話されているので、おそらくそのあたりでああろうと推測はつく。

 パート2文学対話「父は批評家、娘は小説家。」は、吉本ばななさんの創作に関し、ご本人と父親の隆明氏の両人による貴重な発言が記録されているをされているので、「禁書」とは言わず、ぜひ文庫本などで再刊すべきだろう。

 前回に引き続いて、重要な箇所を印象しておく。

p.121 隆明「君に訊いてみたいみたいというところはもうひとつ『人間をひとつも書いていない』っていってるのね。そのことについて言ってくれるといいと思うね。」

p121-122 ばなな「それはね、人間は別に毎日生きていればいやでも見えてくるわけで。それにかなうものはないでしょ。やっぱり家に帰ってまでね、本屋に行って本を買ってまで  まあ、私それだったらドキュメンタリーとかそれこそインタビューとかを読んでいる方がよっぽど幸福にね、『人間ってすごいなあ』って思うし、それに勝るものはないから。小説はどこまで行っても小説だし。」

p.122 隆明「うん。いや、それははじめて言う考えで、とてもおもしろくていい。」

p.122 ばなな「それでカポーティとかが『冷血』に行ってしまった気持ちがよくわかるんですけど、結局人間が書くものは人間そのものにはかなわない  かなわないっていうか描写できないと思うから。だからね、よくたとえで言うんだけど、藤子不二雄が好きなのか手塚治虫が好きなのか、それによって作風は分かれると思うんですけど(笑)(中略)私はどう考えても、手塚治虫はすばらしい天才だと思うんだけどあの道を歩みたくないというか、わざわざこんなに人間というものに肉薄して、その気持ちもわかるけどタイプが違うとしか思えないんだけど、藤子不二雄の作品の中には、とりあえず人間は出てこないでしょ?ドラえもんとかそういう意味じゃなくて、子供たちも人間じゃないじゃないですか。ファンタジーというか、やっぱり私はそっちの方に共感できるし、やっぱり私の作品に出てくる人たちなんてそんなようなもんじゃないかなとは思うんだけど。やっぱりじぶんのセンス的なものが、お化けだったりとか変な要請だったりとか、(中略)そういう人がいろいろな冒険をするのがファンタジーですっていうのにはすごくもう生理的に耐えられないから、一応人間の若者の体裁を取って書いているんだけど。だから民話とか寓話みたいなものにいちばん自分では近いんじゃないかなと思っているのです。」

p.123 隆明「その答えでそれなりにわかるよ。多分いま言ったことははじめて言ったことだ。」

 

 続きは、また次回以降に・・・

 

今日の映画460】※データは『映画.COM』のサイト等から入手

邦題:『ピースメーカー(U-NEXTで視聴)

原題:The Peacemaker

製作年:1997年

製作国:アメリカ

監督:ミミ・レダー

出演:ジョージ・クルーニー/ニコール・キッドマン/マーセル・ユーレス/アレクサンダー・バリュー

ストーリー:ロシアから解体される予定の核弾頭10発が盗み出され、そのうちの1発は爆発。核爆発を確認したアメリカは、ケリー博士(ニコール・キッドマン)ら専門家を召集、国際テロ専門のデヴォー大佐(ジョージ・クルーニー)はウィーンで、核弾頭の輸送に使われたトラックの足取りを掴む。目的地は謎の暗号「44E」。その頃、ボスニアで外交官のデューサン(マーセル・ユース)が国連に派遣されることが決定した。一方、監視衛星でトラックを捉えた大佐は核弾頭8発の回収に成功する。残りの1発はデューサンの手に渡り、外交官の荷物として偽装されて、無診査でニューヨークに持ち込まれた。博士は暗号「44E」が国連ビルのあるマンハッタン44丁目のことであることを解明するが・・・

コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.6、TSUTAYAは3.30、Filmarksは3.2で、私の評価は3.5とした。

 自分のブログの過去のデータを検索してみたら視聴歴がなかったので観始めたが、観ているうちにどうも既視感のある内容だった。比較的最近に観たような感じだったが、たまたま「今日の映画」で取り上げなかっただけかもしれない。なかなか面白いサスペンス作品だった。主役を演じたジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンの二人の俳優が好印象な感じ。ニコール・キッドマン演じるケリー博士の方は、最初は、カマトト風でややめめしい感じがして、男っぽいデヴォー大佐と対照的でいいコンビだったが、最後の爆弾処理ではいい度胸を発揮してたではないか。やはり女性は肝が座ると強いなぁ。

 

【今日のジャズ460※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手

タイトル:The Dolphin

アーティスト:Stan Getz

レーベル・品番:Concord・CJ 158/キングレコード・24DE 6825/ユニバーサル・UCCO 90314

録音年月日:1981.5.10

曲名:①The Dolphin/②A Time For Love/③Joy Spring/④My Old Flame/⑤The Night Has A Thousand Eyes/⑥Close Enough For Love

ミュージシャン:Stan Getz (ts)/Lou Levy (p)/Monty Budwig (b)/Victor Lewis (ds)

コメント:クール・テナーの大御所、スタン・ゲッツもコンコードで蘇生したひとりだ。このレーベルで録音してから、彼はそれまでにない充実した活動をするようになった。そのことを予兆させたのが、サンフランシスコの人気クラブ「キーストン・コナー」で収録したこのアルバム。ワン・ホーン・カルテットで、バックはヴェテラン・ピアニストのルー・レヴィーが中心のトリオである。彼とのコンビネーションが抜群にいい。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)

<YouTubeライブ映像>

Stan Getz - The Final Concert (Live 1990)

Stan Getz - Vintage Getz (Live 1983)

The Stan Getz Quartet, at the London School Of Economics, November 14th, 1966