※ このブログは、平成30(2018)年12月24日から「さくらのブログ」に掲載し続けている『逃病日記』の直近分をコピペしたものです。

 なお、『逃病日記501』(2023.5.23)  の「『逃病日記』の表題の変更について」に記載したとおり、ブログの表題を『逃病日記 ー妻とともにー 』と変更することにしました。

 

 

(23.12.4.月) 晴れのち曇り

 今日は、B眼科クリニックで、ヨメさんの右目の白内障の手術を受けることになっている。

 朝の8時15分に来院するように指示があったので、いつもより1時間ほど早く起床した。

 マイカーで坂の上のB眼科クリニックへ向かったが、クリニックの駐車場  数台しか駐められない  は、早かったのでまだ1台しか車は駐まっていなかった。満車の場合は、もう一つバス停分の距離だけ坂を上がった、本院の駐車場に行かなければならない。

 受付を済ませ、少し待ってから、二階の手術室の待合室に案内された。付き添いの人間はその待合室には入れない。待合室の中には二人ほど患者がいた。年配の患者だったので、多分、ヨメさんと同じ白内障の手術を受けるんだろう。

 手術まで、まだ1時間ほど時間があるので、私は一階の総合待合で待機することにした。

 待っている間は、例によって、⑪-8『ひるは映画館、よるは酒』を読んで時間を潰した。1時間を少し過ぎた頃に、クリニックの職員が手術が終了した旨を知らせに来てくれたので、一緒に手術室のある二階に上がった。執刀した主治医が手術室待合まで出向いてくれて、手術が無事終了した旨を告げてくれた。手術を終えたヨメさんは、手術した右目に眼帯を当てて「あっという間やったわ」と言いながら、手術室待合から出てきたが、なんとなく気分も良さそうな感じだ。よかった、よかった。

 

(23.12.5.火) 曇りのち晴れ

 今日もまた、B眼科クリニックに行き、ヨメさんの手術後の眼帯を外してもらった。

 その後、一階で会計を済ませ、近くの院外薬局で処方してもらった目薬  3種類あって、2種類は1日4回、その他は1日2回点眼しなければならない  を受け取って帰った。

 多分、ヨメさんは自分で薬を管理できないだろうから、私が目薬を預かり、点眼忘れのないようにチェック表を作って、他の薬  アルツハイマー型認知症の特効薬ドネペジルなど  も一緒に預かるようにした。これでドネペジルに関しても、毎朝、飲む、飲まないで揉めることもなくなるんじゃないだろうか。 

 昨日は、術後だったので入浴禁止だったが、今日は、洗髪と洗顔はダメだが、首から下は入浴して差し支えないとのことだった。

 

(23.12.6.水) 曇りのち雨 

 昨日、一昨日とヨメさんの手術等で病院に同行したが、今日は、私の方がK大病院の整形外科に行ってきた。

 整形外科では、特に治療があるわけではなく、昨年7月に手術した左膝人工関節と、脊柱管狭窄症の経過観察だが、前者は、時々、骨音がするような感じがあるが、特に痛みなどはない。右膝関節も変形性関節症はあるものの、まだ手術をするほど悪化していない。

 脊柱管狭窄省の方も、まだ手術が必要な段階ではないが、歩くと骨音がする。身長が6㎝ほど縮んでいて  176㎝あったのが170㎝になった  これは姿勢の問題もあるがだろうが、脊柱管狭窄症が主たる原因だろう。現在は、この脊柱管狭窄症のために血流促進剤リマプロストアルファを処方してもらっている。

 前回は1時間ほど待たされたので、今日もそのつもりでいたら、予約時刻の10時半になる前に呼び出し機のPHSのコール音がなった。前回から特に変わらない旨を告げ、3分も経たないうちに診療を終えた。医師に確認したら、ウォーキングはもちろん、プールも差し支えないとのことだった。エアーでやってみると、バタ足はなんとか痛みもなくできそうだが、平泳の“カエル足”の方は、若干、ひっかかりがある感じなので、エル・スポーツの再入会をどうしようか迷うところ。

 次回は3ヶ月後に予約が入り、近々回の6月に膝関節のレントゲンを撮るとのことだった。 

 

 先日、上の方の孫Sに、洛北阪急スクエアの『ロフト』で将棋とチェスを買ってやった。チェスの方はマスターしているようだが、将棋の方は、まだコマの動きをすべては覚えていないようだった。それで、Amazonで、子供向けの「ドラえもん」の将棋の本と駒と将棋盤のセット、それからチェスの教則本と駒とチェス盤のセットを注文してやった。我が家に来ても、YouTubeとiPadのゲームばかりしているので、それならまだ、将棋とチェスの方がマシだろう。学校でも、雨の日の休み時間などにやっているそうで、結構、興味を持っていそうな感じ。まあ「藤井聡太二世」となるには、ちょっとスタートが遅すぎるだろうが……。

 

(23.12.7.木) 晴れのち曇り

 今日は孫のSの小学校の運動会で、府立体育館(島津アリーナ)を借りて開催される。

 運動会の種目としては、個人競技はなく、団体競技だけで、徒競走など個人の順位がつくものはまったくない。まあ、昨今の風潮ということなんだろう。しかし、走るのがビリでも成績が一番という子もいるだろうし、逆に走るのが一番でも成績がもう一つという子もいるだろう。何事にも能力を競う局面は避けられないだろう。そのことで悔しく思った子は頑張って練習したり、また他の分野で頑張ろうとする子もいるだろう。人間、誰しもそれぞれ個性を持っていて、得意な分野もあれば不得意な分野もある。

 これから中学、高校、大学と進学するにつれて、学業に関する成績・順位は避けられないだろうし、社会に出れば、やはり競争や順位付けはあらゆる局面で直面させられるのではないだろうか。

 しかしこのような  運動会で順位の付くような徒競走などの種目はやらないというような  風潮は、なんか「偽善」の匂いがしないでもない。

 

【今日の読書434※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字

①-21『吉本隆明代表詩選』

①-25『心的現象論序説』

②-43『明治大正史 上』

③-51『重力とは何か』

③-52『生命 最初の30億年』

③-53『すごい宇宙講義』

④-8『小林秀雄全集6/ドストエフスキイの生活』

⑥-25 『文庫の読書』

⑦-85街とその不確かな壁』

⑦-88『グレート・ギャツビー』

⑧-16『白夜/おかしな人間の夢』(Kindle)

⑨-5『自省録』

⑩-39『プルーストを読む生活』

⑪-8『ひるは映画館、よるは酒』

⑫-26『文章読本』

⑫-27『本の読み方』

⑬-10『彼岸過迄』(Kindle)

コメント:③-51『重力とは何か』を読み終えた。次は③-53『すごい宇宙講義』多田将(中公文庫)だが、著者は「宇宙物理学」ではなく「素粒子物理学」の専門家とのこと。「はしがき」に「本書は、厳密には『宇宙の本』ではなく、『人類がいかに宇宙を知ろうとしてきたか、その科学的な考え方を描いた本』とある。表紙カバーの著者の写真を見ると「えっ!」と驚く「長髪金髪」の異相。

 就寝前にベッドの中で読んでいるkindleの⑬-10『彼岸過迄』を読み終えた。順当なら次は漱石の後期三部作『行人』ということになるが、就寝前に読んでいるもう一つのKindle本のドストエフスキー  現在は『白夜』を読んでいる  を集中して読むようにしたため、これを読み終えてから『行人』(Kindle)を読むことにする。当初は、就寝前のベッドの中でKindle本の漱石とドストエフスキーを一日おきに読むつもりでいたが、どうも記憶が寸断される感じがするので、一作ずつ読み終えてから交替することにした次第。

 今回も丸谷才一の⑫-26『文章読本』から、印象に残った文章を抜粋しておく。本文は旧仮名遣い表記だが、引用する際のワープロ変換が、結構、じゃまくさいので、現代仮名遣い表記で引用している。

p.327-328「符号のなかの難物がまだ残っている。言わずと知れた句読点  句点(。)と読点(、)で、前者のほうはともかく、後者に関しては誰だって手を焼くにちがいない。われわれの文章では、読点のつけ方がまだ様式として確立していないからである。そこでほとほと困ったあげく、人はよく、自分の呼吸に従って、それが切れるところで点を打てなんて教えるけれど、さあ、あの方針は果たして正しいものかしら。わたしはかねがね疑っている。その文章を読む場合の、息の切り方を正確細密に写すつもりで取りかかると、むしろ読点が多くなりすぎ、そして読点が多すぎる文章を書くならば、意味のまとまりを読点に頼りがちになるため、かえって明確さを欠くようなおそれがあるような気がする。わたしは何も息づかいに背いて読点を打てと進めるものではないが、ここではむしろ、文の構造をあざやかにするために読点を施すという気持ちを強調しておきたいと思う。その点、たとえば佐藤春夫の、あるいはまた最近の吉田健一の、極端に読点を排した文章がそれにもかかわらず厳然と成立しているという事情は、われわれにとって意味深い参考となり得るだろう。もちろんこれとても、後生大事に真似をする必要はないけれど、符号というのはあくまでも補助的なものだから、究極的に大事なのは、たとえ句読点をすべて取払ってもなおかつ一人立ちしている頑丈な文章を書くことなのである。」

p.328「昔の文章は段落のはじまりを一字下げなかったし、というよりもむしろパラグラフという概念がなかった。パラグラフおよびその最初の一字下げは、いずれも西洋渡来のものなのである。」

p.330「文章の調子は何のせいであんなに異なることになるのか。奇矯な説のように聞こえるかもしれないが、わたしに言わせればあれはみなその文章の筆者が選んだもの。その文章を書くに当たって、筆者があの型でいこうと決めた型に由来するのである。もちろん、最初に決めた型どおりにすらすらと行ったわけではなく、途中でいろいろ苦労があったにしても、しかしとにかく筆者の選択がはなはだ重大だったのだ。谷崎潤一郎は『春琴抄』のように書こうと企てるから『春琴抄』を、志賀直哉は『城の崎にて』を書こうと思うから『城の崎にて』を、書くことになる。体質なんてもので単純に規定されるものではない。たとえばスポーツなどでさえ、肉体なんて条件だけでは話がすまないだろう。まして文章のような高度に複雑なものが、体質や生理に還元して片づくはずはないのである。それゆえわれわれは文章を書くに当たって、まづ書こうとする内容を見すえなければならないし、次にその主題や色調にふさわしい文章の型を古今のおびただしい文章のなかから見つけなければならない。」

 

今日の映画434】※データは『映画.COM』のサイト等から入手

邦題:『霧の中の風景(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)

原題:TOPIO STIN OMICHLI

製作年:1988年

製作国:ギリシャ・フランス合作

監督:テオ・アンゲロプロス

出演:タニア・パライオログウ/ミカリス・ゼーゲ/ストラトス・ジョルジョグロウ/イリアス・ロゴセティス

ストーリー:アテネの母子家庭に育った12歳の少女ヴーラ(パライオログウ)と、5歳の弟アレクサンドロス(ミカリス・ゼーケ)は、父親の名前も顔も知らない。父親はドイツにいるという母親の言葉も、大いに疑わしい。それでも、父に一目会うことが唯一の願いである姉弟は、雲が重く垂れこめる冬の日に、金も持たずに国際列車に乗り込んだ。旅芸人の中古バスやトラックに便乗し、時に過酷な試練を受けても、二人はひたすらにドイツを目指す。だが、姉弟が辿り着いたドイツは、深い霧に覆われていた。痛切に美しい詩のような風景の中を進むふたりが旅の果てに見るものは・・・

コメント:評価は5点満点で、映画.COMは4.4、TSUTAYAは3.58、Filmarksは4.2で、私の評価は4.0とした。

 資本主義の波に翻弄される1970年代のギリシャの世情を背景に、現実と非現実の狭間のような旅路を辿る姉と弟のロードムービー(と言っていいのかな)。各映画サイトともに高い評点だが、非常に切なく、悲しい感動作。

 

【今日のジャズ434※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手

タイトル:Concert By The Sea

アーティスト:Erroll Garner

レーベル・品番:Columbia・CL 883/ソニーミュージックエンターテインメント・SRCS 7064

録音年月日:1955.9.19

曲名:①I'll Remember April/②Teach Me Tonight/③Mambo Carmel/④Autumn Leaves/⑤It's All Right With Me/⑥Red Top/⑦April In Paris/⑧They Can't Take That Away From Me/⑨How Could You Do A Thing Like That To Me/⑩Where Or When/Erroll's Theme

ミュージシャン:Erroll Garner (p)/Eddie Calhoun (b)/Denzil Best (ds)

コメント:エロル・ガーナーの持ち味はとびきりのスウィング感にある。ひとたび興が乗れば他の追随を許さない。しかも、超絶的なテクニックから繰り出されるフレーズはどれを取っても無駄がない。そんな魅了を満載したのがこのライブ・レコーディング。ガーナーの手にかかれば、お馴染みの曲がかくも躍動的なナンバーに仕上がってしまう。彼の魅力を満載したノリのよさと歌心満点の演奏が痛快無類。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)

<YouTubeライブ映像>

Erroll Garner live 63' & 64' jazz icons dvd

35 MINUTES of Erroll Garner LIVE in '64!

Erroll Garner - Live in Singer Concertzaal, Laren - 1962 • World of Jazz