※ このブログは、平成30(2018)年12月24日から「さくらのブログ」に掲載し続けている『逃病日記』の直近分をコピペしたものです。

 なお、『逃病日記501』(2023.5.23)  の「『逃病日記』の表題の変更について」に記載したとおり、ブログの表題を『逃病日記 ー妻とともにー 』と変更することにしました。

 

 

(23.12.1.金)晴れ

 今日もSの学校の授業が午前中で終わり、給食もないので、我が家で面倒を見なくてなならない。

 今週の初めに、娘から連絡があった際、英検二級の合格祝いに洛北阪急スクエア内の『にぎり長次郎』で「お寿司を食べ放題やで!」と言ってあった。Sも期待しているだろうから「二言」があってはならない。

 今日は天気も良かったので自転車で迎えに行って、一緒に自転車で鴨川と高野川の河川敷の道を走ることにした。

 正午頃に川端丸太町の娘宅に行くつもりでいたが、パソコンを操作していてグズグズしていたら、正午まで10分前ぐらいになってしまった。慌てて家を出て、最短コースと思われる川端通りを、歩道と車道を織り交ぜて下がっていったら、10分もかからずに娘宅に着いたが、Sはまだ帰宅していなかった。スマホを見るとSから「事故があったので電車が遅れる」とショートメール  娘のスマホのオプション・サービスの子供スマホを持っている  が入っていた。

 ほどなくSが帰ってきたので、すぐ制服を着替えさせて出発した。京都府立病院がある鴨川西岸の方の広い河川敷道を行き、賀茂大橋に差し掛かってから上道に出た。そこから橋を渡って高野川の東岸の河川敷道に降り、北行して我が家に向かった。

 我が家に着いて  お昼時は混んでいるだろうと思って  しばらくYouTubeで時間を潰し、1時前頃に『にぎり長次郎』に行った。1時過ぎでも店内は、結構、混んでいた。カウンター席に座って、私は盛り合わせのセットを注文し、SはiPadで単品の好きなものを注文、マグロのとろの3貫セットを頼んどるやん。まあ「食べ放題」と言った手前、しかたがないわな。Sの注文した単品はすぐ届いたのに、私の方のセットがなかなか来ない。あとから同じカウンター席に座った客の注文が先に来たので、カウンター越しに店長風のオッサンに「まだ?」と声をかけておいた。その間にSは次から次に注文して、最後に鉄火巻を食べ終え「もう、お腹いっぱいやわ」て言うとるがな。

 『にぎり長次郎』を出て、なんかゲームでも買ってやろうと、同じ地階にある『エディオン』に行ったが、欲しかったものが売り切れだったらしく、代わりにクレーンゲームをしたいと言うので付き合ったが、結構、散財させられてしまった  「クレーンゲーム」って、ホント、子供からお金を巻き上げる、大人の「パチンコ」以上に射倖心を煽る感じだな。規制せなあかんのちゃうか。

 

 家に帰ってから、しばらくYouTubeを観ていたが、その後、iPadでゲームをして遊んでいたが、「将棋」サイトをインストールして、駒の並んだ盤の画面を「おじいちゃん、これできる?」と見せにきた。何十年ぶりかで将棋の駒を(ウェブ上で)動かしたが、本当の初級クラスの内容だったので、(仮想)相手を詰ますことができて、なんとか面目を保った。Sに、いつの間に将棋を覚えたのか尋ねると、学校の休み時間に雨で外に出られなかった時などに将棋をして遊んでいるそうだ。

 それならということで、早速、洛北阪急スクエアの『ロフト』に行って、駒と将棋盤の小さなセットを買った。学校でチェスもやっているとのことだったので、同じような小さなチェスのセットも買ってやった。私自身もかなり以前にチェスをやったことがあるので、また思い出して相手になってやろうかなと思う。

 

 帰路は、5時半頃ですでに暗くなっていたので、安全のために、交通量が少なく、道幅も広くて走りやすい鞠小路通りを『京都教育文化センター』まで一直線、そこから丸太町通りに出て横断、川端丸太町の娘宅に帰り着いた。

 

(23.12.2.土)晴れ

 昨日と交替ということではないが、今日はKの面倒を見ることになった。

 ムコさんは休日だが、職場のリクリエーションで、Sも一緒に連れてキャンプに行くとのこと。Kは、目を離しているとまだまだ何をするか分からんので、Sとふたりを見るのは大変なため、こちらで預かることになった。

 以前はKには手を焼いたが、『The Kids』に行くようになってから、  先日なんかはパパが迎えに来ても「まだ帰らへん」ってな具合にすっかり気に入ってしまったので  まったく楽になった。私の方も、『The Kids』にKを放り込んだあとは、エリア内のテーブルで、読書か外部キーボードを取り付けたiPadでブログを書いているので、長時間、居てもぜんぜん苦痛ということはない。Kも私の存在を特に気にする様子もなく、次から次に遊具を変えて遊んでいる。

 今日は、先日にSがハマった「エアー・ホッケー」をやりたそうにしていたが、私がトイレに行っている間に知らない外国人(ハーフ?)の子供  中東系のお父さんが側で見ていた  と遊んでいた。スピードはややスローだが、いっちょ前にゴールを決めると、うれしそうに手を叩いて喜んでいる。

 

 ムコさんから、京都に帰り着くのは夕方6時ぐらいになるとの連絡があった。ヨメさんが『The Kids』に様子を見にきたので、あとで交替してくれるのかと思ったら、買い物に行って、今は家にいると連絡があった。しゃあない、私が面倒を見ておくことにした。5時半頃になって、帰ろうと言っても帰りそうにないので、同じフロアにある「クレーン・ゲーム」をやろうと言いくるめて、なんとか『The Kids』を出ることができた。「おじいちゃん、ウソつき!」って言われるのもなんなんで、500円ほどゲームをしたが、何もゲットできなかった。なんでも、お兄ちゃんのSがやることを見ていて、同じようにやりたがるが、まだまだ無理という感じ。

 

(23.12.3.日)曇りのち雨

 ヨメさんは毎朝、A病院で処方されている「アルツハイマー型認知症」の特効薬と言われているドネペジルを飲んでいるが、いつもすんなりと飲んでくれるとは限らない。一番悪いパターンが「これなんの薬?なんで飲まなあかんのん!」と言ってゴテだすときだ。「認知症」と言う言葉は禁句なので、「物忘れがひどくなって『認知症』にならないようにするための薬」と言っているが、なかなか納得しない。

 私のことを「オタクどちらさん?」てなことになったらイヤやろ、なんてふうに言いくるめて、なんとか薬  これを飲まないと症状が進行するので  を飲ませようとするが、なかなかすんなりといかない。そして思いがすれ違うと、いつも同じパターンの言い合いになってしまう。

 年齢的なものからくる「物忘れ」も確かにあるだろう。私自身も、そのような「物忘れ」を自覚することはある。しかしヨメさんの症状は明らかにそれとは違っている。私などが「物忘れ」した場合は、あとで思い出すことも多いが、ヨメさんの場合は、ある事象を見聞きし、理解し、認知しても、そのことが記憶として定着されないようだ  もちろんすべてのことがそうと言うわけではないが……。従前から脳内に記憶されている事項と何らかの繋がりのある事象などは  いわば事象に「タグ」を付けることが出来るかのように  比較的、従前の記憶と関連して記憶に残るようだ。 

 現在は、リアルタイムの判断力にはそれほど支障はないように思う。しかし、私に訊ねごとをして私が答えても、しばらくしてまた同じことを訊いたりする。これついては、私の答えた内容を忘れた、というのではなく、自分が「訊いた」という行為自体を忘れてしまっているように感じる。

 その他に特徴的なこととしては、喋り出すと、話す内容が次から次にコロコロ変わることが多い。気分が高揚しているときが多いように思うが、これと似た症状として、気分や機嫌が比較的短期間に変わるように思う。だから、ケンカっぽい感じになってしまっても、しばらくやり過ごせば機嫌が治ることが多い。最近は、食器類を洗いながらよく独り言を言っているが、近くにいて聞こえてくる内容は、普通は口に出さないで、頭の中だけで考えているようなことを発語しているように思う。例えば、我々でも、明日の予定などについて、頭の中で「病院は10時に予約してあったから、その後、薬局で薬をもらって・・・」などと考えたりすることがあるが、そんな「内言」を発語しているようだ。

 先日、近くの大垣書店で『認知症の歩き方』(筧裕介・樋口直美共著)という本を平積みで見かけて、パラパラと立ち読みしてみたが、買うのはやめておいた。共著者の樋口直美氏は文筆家で、50歳で「レピー小体型認知症」を発症されたそうだが、思考力は保たれ、文筆活動を続けられているそうだ。

 思うに、「認知症」という「脳の病気」は、人間の記憶と密接な関係があるので、発現する症状は、各々の「個人史」が百人百葉であるように、千差万別だろう。本書は、「認知症」の患者を抱え、困惑している家族にとっては参考になるのかもしれない。ただ、個人的には、書かれている内容が「先入観」や「予断」となって、すべての認知症の人が、書かれている内容どおりの症状を示すものと思ってしまいかねないように思う。私自身の考え方としては、患者と関係性において、これまでの関係性とは異なる、新たな「対幻想」を構築するということが重要なのではないかと思う。そしてその態様は、それこそ「百人百葉」「千差万別」になるだろう。

 

【今日の読書433※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字

①-21『吉本隆明代表詩選』

①-25『心的現象論序説』

②-43『明治大正史 上』

③-51『重力とは何か』

③-52『生命 最初の30億年』

④-8『小林秀雄全集6/ドストエフスキイの生活』

⑥-25 『文庫の読書』

⑦-85街とその不確かな壁』

⑦-88『グレート・ギャツビー』

⑧-16『白夜/おかしな人間の夢』(Kindle)

⑨-5『自省録』

⑩-39『プルーストを読む生活』

⑪-8『ひるは映画館、よるは酒』

⑫-26『文章読本』

⑫-27『本の読み方』

⑬-10『彼岸過迄』(Kindle)

コメント:今回も丸谷才一の⑫-26『文章読本』から、印象に残った文章を抜粋しておく。なお、本文は旧仮名遣い表記だが、引用する際のワープロ変換が、結構、じゃまくさいので、現代仮名遣い表記で引用している。

p.322「ある文章の文字づかいは、一方では筆者の個性や教養に結びつき、他方では当該文章の主題や色調と関係がある。その二つの条件を無視して、いきなり文字づかいを模倣しようとしても、うまくいくはずなんか絶対にない。(中略)文字づかいはそんな具合に流動性に富むものだから、固定して窮屈に考えてはいけない。同じ文章のなかでも、同じ言葉はぜひとも同じ文字づかいで記さねばならないということさえないのである。一方では日本語の伝統にのっとりながら、他方ではいま書いているその文章(のその箇所)にふさわしいように文字を組合せる。まあそんなところが心得だろうか。」

p.323-324「昔の文章と違って現代の文章は、文字だけでは成立たない。読みやすいように、あれこれと符号をまぜる。(中略)符号の用い方を学ぶにしても、感銘を受けた文章をじっとみつめ、ただしその文章に四角四面にとらわれるのではなく、ぼんやりと、ごく自然に、影響を受けるのが一番いいようだ。常に、いったん自分を濾過したかたちで学ぶ方が無理がなく、結果もすっきりとしたものになるのである。などという一般論ではあんまり愛想がないから、念のためにわたしの好みを一つ一つ披露することにすれば、台詞のときは一重のカギカッコを使う。以前はダッシュを使ったが、ハイカラすぎるような気がしてやめてしまった。二重のカギカッコは本や芝居の題のとき、雑誌名は一重のカギカッコ。山ガタのカッコは、一重もの  つまり〈アメリカ〉なんて使い方も、二重のもの  つまり《フランス》なんてやつも、以前はともかく今は使わない。それからチョンチョンカッコというもの(脚注:一般に現代日本の文章には、殊に新聞や週刊誌で見かけるものには、この種のカッコが多すぎる。あれは主として責任回避のために使われるようで、つまり逆に言うとチョンチョンカッコのせいで言葉の選び方はいい加減になりがちなのである。)、つまり〝スペイン〟なんて符号も使わない。ダッシュやリーダーはときどき使うが、あまりうるさくならぬよう、せいぜい注意する。普通のカッコはわりあい頻繁に使うほうだが、これは説明を補足するときと、それから、日本語には関係代名詞がないためとかく文の構造がややこしくなりがちなのを何とか処理しようとして用いる場合が多いようだ。そして、そのカッコのなかでまたカッコがほしくなったときは、仕方がないからダッシュで囲む。二重のカッコはやはり見苦しいから。疑問符(?)や感嘆符(!)は、昔はよく使ったけれど、近頃はこれもうるさく感じられて、なるべく慎むようにしている。感嘆符は言うまでもないが、疑問符でさえも控えていっこう差支えないし、それで充分に効果があがるようである。もとともこういうことは画一的に言っても意味がないので、われわれはごく稀にではあるけれど、疑問符や感嘆符の絶妙な技に接して驚くことがある。(注:吉田秀和の文章が引用されている)」

 

今日の映画433】※データは『映画.COM』のサイト等から入手

邦題:『突然炎のごとく(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)

原題:Jules et Jim

製作年:1961年

製作国:フランス

監督:フランソワ・トリュフォー

出演:ジャンヌ・モロー/オスカー・ウェルナー/アンリ・セール/マリー・デュボワ

ストーリー:オーストリアの青年ジュール(オスカー・ウェルナー)はモンパルナスでフランス青年のジム(アンリ・セール)と知り合った。文学という共通の趣味を持つ2人はすぐに打ち解け、無二の親友となる。2人はある時、幻燈会に行き、アドリア海の島の写真に映った女の顔の彫像に魅了された。それからのち、2人はカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という女と知り合い、同時に恋に落ちてしまう。彼女は島の彫像の女と瓜ふたつだったからだ。カトリーヌは自由奔放そのものの女性で、ジュールとジムが街角で文学談義を始めると、突然セーヌ川に飛び込んで2人を慌てさせるような女性だった。積極的だったのはジュールのほうで、彼はカトリーヌに求婚しパリのアパートで同棲を始め、ジムは出版社と契約ができて作家生活の第一歩を踏み出した。やがて第一次世界大戦が始まり、ジュールとジムはそれぞれの祖国の軍人として戦線へ行ったが、ともに生きて祖国へ帰った。カトリーヌと結婚したジュールが住むライン河上流の山小屋に、ジムは招待されたが・・・

コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.3、TSUTAYAは3.45、Filmarksは3.5で、私の評価は3.3とした。

 ヒッチコックの『映画術』  今日の映画製作のバイブルになるような大著のインタビュアーとして評価の高いフランソワ・トリュフォーだが、監督業の実作の方はイマイチという印象。ハリウッド映画とは異なるフランス映画独特の、各役柄の「内面心理」へのこだわりというのが、もう一つ、分かりにくさに繋がっているのかも知れない。

 

【今日のジャズ433※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手

タイトル:Boston Blow - Up!

アーティスト:Serge Chaloff

レーベル・品番:Capitol・T510/東芝EMI・TOCJ 6871

録音年月日:1955.4.4-5

曲名:①Bob The Robin/②Yesterday's Gardenias/③Sergical/④What's New/⑤Mar-Dros/⑥Jr./⑦Body And Soul/⑧Kip/⑨Diane's Melody/⑩Unison/⑪Boomareemaroja/⑫Herbs (long take)/⑬Herbs (short take)

ミュージシャン:Serge Chaloff (bs)/Boots Mussulli (as)/Herb Pomeroy (tp)/Ray Santisi (p)/Everett Evans (b)/Jimmy Zitano (ds)

コメント:サージ・チャロフの作品は数が少ない。それだけにどれも貴重だ。とりわけこの作品は、『ブルー・サージ』と並んで、彼が全貌を現したアルバムとして、ファンの間で以前から評判が高かった。3管セクステットの編成は、チャロフの迫力のあるプレイをいつも以上に際立たせる。アンサンブルから抜け出したバリトン・サックスの豪快な響きと、この楽器であることを忘れさせてしまう絶技技巧がなんとも素晴らしい。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)

<YouTubeライブ映像>

serge chaloff bariton sax