← 上田 広著『海底トンネル第一号』 (1956年 珊瑚書房) 

 

 上田 広著『海底トンネル第一号』 (1956年 珊瑚書房)を昨夜半過ぎに読了。一週間以上を費やしてようやく200頁余りだったのを、連休をいいことに残りの百頁余りを一気に読了。濃厚なしっかりした描写。読み応え大いにあった。上下二段組の320頁。戦後のエンタメ作品と違って活字がびっしり。難航した工事の実際と共に個々の人間模様が丁寧に。感動。初めての作家だが、その力量が素晴らしい。「黒部の太陽」で有名な黒四ダムの工事もかくやと、折々思ったりした。感想は(書けるか分からないが)あとで。 (2024/09/23)

 一気にと云いつつ、あまりに息苦しくて、合間合間に『シェイクスピア全集 (4) 夏の夜の夢・間違いの喜劇』 (松岡和子訳 ちくま文庫)を織り込んで局面打開(?)しつつだった。画面転換の妙(?)でしょうか。

 海底トンネルの掘削は、日本のみならず世界で初めての快挙。題名も「関門トンネル」じゃなく『海底トンネル第一号』としたのも、工事関係者らにその意気込みがあったから。日本初のシールド工法でもあった。高気圧作業による疾病(潜函病)に悩まされ死者すら出た。

 昭和11年から17年まで、延人員348万1千人。そう、工期は、戦争直前から戦争突入して3年目までの苦難の時期でもあった。軍部からのプレッシャーも強く、工事現場にも憲兵らの目が(実際に拘束され行方不明になった人物も)。

 本書に関連する記事はネットでは乏しいが、幸い、「関門海峡百話、関門海峡国道トンネル、関門鉄道トンネル | 日本の歴史と日本人のルーツ」が見つかった。参照する値打ち十分である。 (09/23 12:44)

 

 上掲の画像は、昨夜半過ぎ読了した手元の本の表紙画像。父の蔵書から。透明なパラフィン紙(?)が被せてある。その上から撮影した。著者の日付け(1956.5.25)を付したサインが裏表紙に。初版本だが、初版刊行の日付けとサインの日付けが同じって? 父は、自宅では農業(主に稲作…麦や野菜も)に携わりつつ、生涯国鉄マンだった。その縁があった? 今ごろ本書を手にしてては、何も訊くことはできない。 (09/23 12:27)

 

 ← 世界初の海底トンネル「関門鉄道トンネル」  「源平の合戦の舞台となった壇之浦や、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行なわれた巌流島がある関門海峡。その海峡をまたぐ関門鉄道トンネルは、世界で最初の海底トンネルであり、本州の下関市彦島江の浦町と北九州市門司区梅ノ木町を結んでいる。工事は1936年に着工され戦時下の1942(昭和17)年に下り線が、1944年に上り線が開通した。」

 

  昼行燈121「お萩の乱 たまたま庭に萩。いつもは全体像だけど、ちょっと接写してみた。結構可愛い花。せっかくなので、秋の七草の一つ萩絡みの創作。でも、萩は木なんだよね。 (09-22 14:45)

 

 上田 広著『海底トンネル第一号』 (1956年 珊瑚書房)は素晴らしい作品。エンタメって呼ぶのは難しい。もっとリアル。でも、最後は感動で終わるかな。 

 本作は、関門鉄道トンネルの工事そのものをテーマとした小説家上田広による小説。「昭和三十二年、珊瑚書房から刊行された上田広著『海底トンネル第一号』がそれで、湧水による工事の苦労、潜函病、日中事変の影響などと幾多の困難にぶつかりながらついに貫通する姿が、リアルに実名で書かれた記録小説である。そして、昭和十七年十一月十五日の開通式の日、トンネル通過の第一号列車で、木村という坑夫が出征して行くところでこの小説は終わる。」(「関門海峡百話、関門海峡国道トンネル、関門鉄道トンネル | 日本の歴史と日本人のルーツ」)

(以下は、Wikipediaより)「千葉県生まれ。本名・浜田昇。幼少時に千葉市に移住。鉄道省教習所機械科卒業、鉄道省勤務。 1925年(大正14年)ごろ、坪田譲治らを中心とする創作朗読会に参加。1929年(昭和4年)同人誌『鍛冶場』を創刊。1934年(昭和9年)同人誌『文学建設者』に参加、筆名を「上田廣」とする。1937年(昭和12年)、保高徳蔵主宰の同人誌『文芸首都』に参加。」

(続き)「同年、日中戦争の開戦とともに応召し戦場で小説を書き、『文芸首都』に発表した『黄塵』などで芥川賞予選候補となり、火野葦平・日比野士朗とともに「兵隊作家」と呼ばれるようになる。」1939年(昭和14年)帰還し鉄道省に復職。1941年(昭和16年)鉄道省を退職し専業作家となる。同年、『指導物語』が東宝で映画化される。太平洋戦争でも従軍した。戦後も鉄道に関する著作を多く書いた。 」