← ヴァシリー・カンディンスキー 著『点と線から面へ』(宮島 久雄 翻訳 ちくま学芸文庫) 「芸術にも科学を―。20世紀はじめに“抽象絵画”の概念をいち早く提唱し、絵画作品の新局面を切り開いたカンディンスキーが試みたのは、絵画の構成要素を徹底的に分析し、理論的・科学的に吟味することだった。」

 

 自宅では、山本 光雄編訳『初期ギリシャ哲学者断片集』(岩波書店)や、ヴァージニア・ウルフ作の『波〔新訳版〕』(早川書房)、ミシェル・ウエルベック作の『さらにはわが人生の数か月 2022年10月-2023年3月』(河出書房新社)などを交互に読んでいる。…と云いつつ庭仕事に寝落ちの日々なのだが…。 (06/25 12:34)

 

 ヴァシリー・カンディンスキー 著『点と線から面へ』(宮島 久雄 翻訳 ちくま学芸文庫)を24日(月)読了。理解が全く及ばなかったことを想えば、読了というのはおこがましい。

「芸術にも科学を―。20世紀はじめに“抽象絵画”の概念をいち早く提唱し、絵画作品の新局面を切り開いたカンディンスキーが試みたのは、絵画の構成要素を徹底的に分析し、理論的・科学的に吟味することだった」ということで、「点や線がもつ本源的な力を把握すること。そうしてこそ、それらが平面の上に置かれたときに相互に共鳴し合い、生きた作品としての“コンポジション”が実現するのだ」というのだが、正直、吾輩は論旨どころか、論述のどの一文も全く理解できなかった。

 カンディンスキーらのバウハウスの活動…絵画表現の歴史上の胎動の背景に、時代的にアインシュタインの相対性理論、プランクやボーアらの前期量子論、ハイゼンベルク、シュレディンガーらの量子論の台頭があり、科学観のみならず世界観の大変貌が起きつつあったし、一般社会へも影響が甚大だった。肉眼で見えるものの背後に、数学的(リーマン幾何学)あるいは物理学(量子力学)でなければ把握できない、点、線、面の律動が激しく振動している。数学…量子の世界。それはスーラの点描とはまるで違う次元の世界。印象に揺蕩うことで馴染める世界でもない。写真や映画技術の登場が絵画の世界を変えたように、数学や物理学の変貌は点や線への理解には19世紀までの理解を破壊する影響力があったのだろう。

 音楽シーンでもようやくドビュッシーが印象主義音楽を展開し始めていたようだが、時代は既に更に先の表現を希っていたはずだ。音楽についてもまるで素養のない吾輩は、どのような音楽が20世紀初めの時代の空気を敏感に嗅ぎ取って表現に至っていたのか分からない。ストラヴィンスキー? シェーンベルク? バルトーク? プーランク? やはりサティを待たないとならないか。熟成の時間を考えると、カルルハインツ・シュトックハウゼンに至ってようやく? 

 だけれど、少なくとも本書を読む限り、さすがのカンディンスキーにも世界観の根底的な変貌を看取しきれていないと感じる。

 但し、「点や線がもつ本源的な力を把握すること。そうしてこそ、それらが平面の上に置かれたときに相互に共鳴し合い、生きた作品としての“コンポジション”が実現する」という結実としての作品群は感じるものが少なからずある。作品に結実することで点や線や曲線などが生き始めリズムを持ちアニメーション(?)し始めるのである。

 幸い、本書には付録にも図版が多数あり楽しめる。吾輩など図版に助けられたといって過言ではない。 (06/25 12:27)

 

 

 ←    一瀬和夫 著『歴史文化ライブラリー 577 古墳を築く』(吉川弘文館) 「弥生時代から墳丘をもつ墓がつくられるようになり、(中略) 墳丘形態の変化から、文化の浸透や集団のネットワーク、築造技術の進展などを明らかにし、巨大古墳がいかに築かれるようになったのかを問う。」

 

 一瀬和夫 著『歴史文化ライブラリー 577 古墳を築く』(吉川弘文館)を22日(土)読了。 「弥生時代から墳丘をもつ墓がつくられるようになり、(中略) 墳丘形態の変化から、文化の浸透や集団のネットワーク、築造技術の進展などを明らかにし、巨大古墳がいかに築かれるようになったのかを問う」というもの。

 弥生時代の終わり頃から墳丘を持つ墓が作られるようになったのだが、その墳丘の形態が急激に変化発展…やがての(火葬にともなっての?)衰退の歴史が画期として日本の歴史にある。まさに古墳時代である。

 恐らくは半島を経由しての大陸からの集団が既存の勢力を圧倒したのだろう。遺伝子解析でも、従前の縄文人に弥生人が関わってやがて日本人を形成したという説に代わり、古墳時代人の遺伝子(ゲノム)解析からまさに古墳時代の人々の今日の日本人形成の上での影響が大きいことが分かってきたとか。

 つまり古墳時代は要の時代ということなのかもしれない。 

 本書を読むと古墳の築造技術の進展は目覚ましいものがある。その細部にわたって研究されていることに驚かされる。著者にしても子供のころからの古墳マニアだったようだ。

 古墳築造自体は衰退を遂げるのだが、技術そのものは(技術集団が消えるはずもない)飛鳥寺など寺の築造に生かされていくことになったようだ。なるほど、いきなり高度な寺建築技術が生まれたわけではないってことか。 (06/25 11:56)

 

 ← つい先日のこと、仕事でだが、初めて環状交差点を利用する機会に恵まれた。真夜中だったからか、走行していたのは1台きり。戸惑うことなく通過できた: 「富山県内初の環状交差点 ラウンドアバウトが5月20日から利用開始!(06/25 08:18)

 

   昼行燈91「我が友は蜘蛛」  (06/25 03:20)

 

 案の定、昨夜は寝落ち。上記はトイレで目覚めた際に洗面所に出没する小さな蜘蛛を見掛けたので、折角なので創作。リアルにては、蜘蛛は好きじゃない! 但し、家の中で蜘蛛を見掛けても、食卓など周辺でない限り、蜘蛛は放置。ダニなどを喰ってくれると期待して。 (06/25 08:25)

 

 ← 茶の間の出窓からは左手に笹竹と木瓜と三重カナメなどの小さな生け垣、その先には納屋。この間を抜けていくと嘗ての小さな畑…今は果樹の野に成り果ててる一角がある。帰郷した16年前からは(柄にもなく)畑で野菜作りに精を傾けた。チャレンジした野菜や果物を順不同で列挙してみる。 (06/25 00:58)

 

 茄子、胡瓜、苺、ホウレン草、ジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ、スイカ、白菜、枝豆などなど。上手く行ったものもあるが、失敗したものが多い。

 というか、茄子と胡瓜以外は失敗した。トウモロコシは毎年収穫寸前に何者かに喰われた。ネットを被せて防御してもダメだった。カボチャはそこそこ上手く行ったが、実は嫌い。なので、玄関脇の棚に鎮座させていた。苺も収穫寸前に何者かに喰われた。枝豆や白菜は収穫の時期を逸した。

 スイカは、収穫したことはあるし、冷やしてカットして食べるに至ったのだが(その意味では成功か)、食べたら水っぽいだけで不味かった。

 ジャガイモも収穫の時期を何故か逸した。成功したかどうか不明。

 やがて畑の隅っこにキウイフルーツを育てた。実は帰郷した頃には、表の庭の一角にキウイフルーツのツガイが育っていたのだが、何故かすぐに枯れた(我輩のせいか?)…。その罪滅ぼしもあって試しに植えたらスクスク育ってくれて、収穫もバッチリ。知り合いに挙げたら評判は良かった。が、収穫したキウイを食べたことは一度もない。理由は不明。ミステリーである!

 ホウレン草か何かの葉っぱは毎年朽ち果てては翌年元気に育ってくる。が、今では正体不明の植物に成り果てていて、不気味。遠巻きにして見守るだけ。

 3年か4年前まで頑張っていたのは、茄子と胡瓜。毎年、浅漬けの素を買ってきて冷蔵庫にて常備。我ながら旨かったし、食事には無くてはならない…が、数年前検診で引っ掛かって、甘いもの塩辛いものダメ。炭水化物はダメという託宣が下った。電気釜は捨てた。以来炊き立ての白米は口にしてない。

 それでも、茄子や胡瓜などは作り続けていた。近くに親戚やら近所の知り合いがいて収穫したものを提供してた。

 が、その親戚の方は引っ越しされ、そもそも自分じゃ食べないのだし、作り甲斐がなくなって、茄子や胡瓜ともおさらば。

 代わってキウイフルーツの成功に味を占め、畑だからって野菜畑でなくたっていいじゃないか、これからは果樹だ、畑を果樹園に変えてやる! これが失敗、早計の元だった。

 まずは、栗の苗木を6本。杏を4本、ナシを2本、ネーブルを1本。ネーブルなどは、苗木を春に植えたのに、その年の秋には緑濃い立派な実が数個生った!

 杏は、梅酒ならぬ杏酒に。我が家には梅の木があるので、梅酒は毎年作ってた(梅が不作の年もスーパーで梅をかってきて)。酒は、ホワイトリカーではなく市販の梅酒、砂糖は氷砂糖じゃなく蜂蜜。贅沢の極み! だが、(察しのいい方は既に察しているだろう)

 そう、杏酒を作り始める頃には糖分は控え目にとの御達しがでてる。さぞかし立派な杏酒が出来ているだろうに、今以て自作の杏酒を一滴も呑んでいない! そういうことで、台所の床下貯蔵庫には、梅酒や杏酒が数本秘蔵されている。そのうち、自棄になって炭酸水に自作の杏酒を足して呑んでやろうと、虎視眈々である。

 さて、ここまで書いてきて、余談に走りすぎたと反省。話の筋を理解している方は、そもそも我輩が何を書きたかったか、肝心のことが触れられていないことに気付いているだろう。

 あ、トマトやプチトマトも毎年作ってた。冷蔵庫に、従って食卓にトマトは欠かさなかった。トマトは成功した部類に入る。

 いま読んでたウルフの「波」316頁に、「キュウリやトマト」という叙述にて、トマトのことを。ウルフさん、ありがとう!

 あ、ゴーヤも忘れてる。ゴーヤも常連。但し、畑だけじゃなく、車道沿いの細長い花壇でも。ゴーヤは、ゴーヤチャンプルーが我が定番料理。ご飯にゴーヤチャンプルー…懐かしい。ゴーヤは収穫が一気なので、収穫したら洗って細切れにして冷凍。随時ゴーヤチャンプルーを楽しんだ。こうして見ると、怠け者で野菜嫌いの我輩も工夫してたんだなと感心。 (06/25 02:19)

 さて、上記にて「これが失敗、早計の元だった。」と意味深な書きぶり。

 果樹ならば、野菜…茄子や胡瓜やトマトのように、収穫の時期が一気に襲い、日々慌ただしく収穫に追われる、そんな苦労はあるまいと単純に思っていた。

 確かに野菜ほどに収穫に齷齪することはない。が、栗も梨も杏も、年々の成長が凄まじい。枝葉がやたらと繁茂する。収穫は年々面倒で放棄するようになったが、枝葉は秋には枯れて舞い散って近所迷惑なので、枝葉の剪定やら伐採作業に追われる。毎年である。昨年はかなり大胆に伐採したのだが、今年はもう枝葉が何事もなかったかのように繁茂してる。そうか、こんな苦労があったんだと後悔頻りである。 (06/25 11:38)