← リナ・ボルツォーニ著『すばらしい孤独:ルネサンス期における読書の技法』(宮坂真紀 訳 白水社) 「著書は魂の肖像であり、読書は古の知性との対話だった。モンテーニュら著名な文人の著作に、ルネサンス時代の読書のあり方を見る。」

 

 月曜日は晴れの休日。洗濯3回。買い物。車にガス給油。庭仕事で使うつもりだったブロア…バキュームを売り払った。落ち葉掃除に使うつもりだったが、1回で放棄。そのまま納屋へ。捨てるのもバカみたいだし、タダ同然でリサイクル店に。
 帰宅して着替えしていよいよ庭仕事。数日前に続き庭木の剪定。先日は車道沿いの生け垣。今日は表の庭木をせっせと。夕方五時から暗くなるまでせっせと。頑張ったのだが、結果、成果が見えない。他人には変化は分からないだろう。不毛? やるっきゃないね。
 案の定寝落ち。目覚めたら朝の五時。普通なら夜勤仕事の我輩には、就寝の時間。 (06/11 05:45)

 

 リナ・ボルツォーニ著『すばらしい孤独:ルネサンス期における読書の技法』(宮坂真紀 訳 白水社)を10日夜中に読了した。「著書は魂の肖像であり、読書は古の知性との対話だった。モンテーニュら著名な文人の著作に、ルネサンス時代の読書のあり方を見る」というもの。

 予てより帚木 蓬生著『花散る里の病棟』(新潮社)を読み続けている。よって自宅では、キット・イェーツ著『生と死を分ける数学: 人生の(ほぼ)すべてに数学が関係するわけ』 (草思社文庫 )戸を交互に。

 

 さてリナ・ボルツォーニ著の『すばらしい孤独:ルネサンス期における読書の技法』は内容案内によると:

「古代ローマのキケロやセネカの時代から、著作は「魂の肖像」と考えられ、ルネサンス期に古典を読むことは、いにしえの知性との、孤独な空間における、文字通り対話であった。ペトラルカは千年以上前の著者たちにあてて手紙を書き(書簡集が残っている)、芸術家のパトロンとして名高いウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロは、古代から同時代までの著作家たちの「肉体の肖像」二八点を描かせて書斎に飾った。本書では、それら肖像画を含む図版五五点をカラーで収録し、まさにフェデリーコら当時の文人がしたように「肉体の肖像」を見ながら「魂の肖像」を考えるかたちで論じられる。」

 今どき読書なんてはやらない。読むにしてもネットを駆使するのが必然だし効率的。それどころか今や生成AIの時代。けれど我輩は、紙の本にこだわる。本は買って手にして読む。カバーも帯も温存。本は総合的な賜物だ。

 現下は何もかもが大変貌期の渦中にある。ルネサンス期も時代の大変換期だった。

 長くキリスト教の桎梏下にあった。旧教下にあっても学術や芸術の積み重ねはあったが、ルネサンス期、権力者らに抗いながら、古代ギリシャやローマ文化の精華を懸命に再発見し向き合おうとした。読書は古代の偉人との対話であり勇気を以て知や美の先端に立つこと。

 読書は偉人らとの対話である以上に自らとの対話、想像力の渦中に生きること。 (06/11 01:57)

 高校時代だったか、ショーペンハウアーの『読書について』を読んで、ある件にショックを受けた。彼曰く、「「読書とは他人にものを考えてもらうことである」! 当時は反発心すら覚えたものだったが、今ではそれすら難易度の高いこととつくづく自覚させられている。油断するとすぐに安易な発想に溺れ込む軟弱なる自分。世の先賢の𠮟咤激励を受けつつ、今日も読書に励むのだよ。 (06/11 14:08)

 

 

 ← 裏庭の生け垣のガクアジサイ。昨日、ようやく開花を発見。 (06/11 11:08)

 

 今朝、ゴミ出しに外に出た。するとウグイスの鳴き声が鋭く。声はすれども姿は見えず

 昨夜、シャワーのあと、食事の準備に台所へ。灯りを点けてビックリ。なんと十匹余りの蛾が乱舞。何処からやってきた? 戸か窓 開けっ放し? 違う。我が家は風通しのいい家(透き間風凄い)。害虫の一匹や二匹は忍び込んでも不思議じゃない。が、十匹余りってのは異常。蛾、退治に狂奔しばし。連中も秘密の隠れ家へ退散し(?)やっと食事の準備に。

 先日はカナヘビが数匹、庭先を横切った。小さなのもいた。親子か。

 そういえば、この数年ヤモリの姿を観てない。無事に生きてる?

 ヘビは十年ほど前、資材(丸太や竹竿)置き場の下で見掛けたきり。こんなところにいたのか! 以来、その辺りは避けてる。

 数年前の大雪のある日の夜中、真冬、雪掻きしてたら、我が家の生け垣から車道を越えて隣家の庭に駆け込むネズミを見た。我が家にネズミが何の用?

 昨日、台所の窓(曇りガラス)の外にデッカイ蜂。熊蜂か雀蜂か。先日、軒先の巣を破壊した、その仕返しの機を狙ってる?

 庭には野鳥は絶えることなく飛来し飛び去る。過日、数年振りに雀を目にした。昔は普通に見掛けたのだが。

 家中にクモが。主に廊下の隅っこや天井の片隅などに。巣…網は撤去しない。きっとダニなどを駆逐してくれると期待して。でも、トイレに出没するのは嫌だ。

 上記した台所での蛾の集団。追い払ってるうちに大半は物陰に隠れた。が、ふと見ると食器棚に何やら小さな物体が。近寄ってみたら、子供の蛾が木枠に。

 ということで藪に囲まれた古びた木造家屋の我が家は、自然の宝庫(?)というわけである。 (06/11 11:36)