← 画像は、夜の公園脇で見付けた…紫陽花? (頂いたコメントに)柏葉紫陽花ですね。ありがとうございます。 「カシワバアジサイ - Wikipedia」 (06/03 12:59)

 

 四日(火)は、会社の制服の新調で採寸のため、某紳士服店へ。紳士服の店だから店員は男性だけなのか? 初めて入る店。というか紳士服の店自体初めてかもしれない。

 店で示されたサンプルの制服上下は、吾輩が現役当時に供されたものから見ると随分と安手の素材に感じられた。吾輩が最早嘱託だからか。ま、文句は言えないか。案の定ワイシャツも供されない。これまた自前。十年以上支給されてこなかった。

 いずれにしろ、十年以上前に供された制服はボロボロで、昼間の明るい時間帯はさすがの吾輩でも恥ずかしくて着用は憚られていた(会社の名誉にもかかわるだろう。だから勤務を夜に変更した)。

 帰宅後、月曜に引き続き、素手のまま高枝鋏を持ち出して一時間ほど生け垣の剪定。着替えて本格的にやるべきなのだろうが、家を手放す羽目になっているので、本気にはなれないのも無理はないよね。 (06/04 03:42)

 

 

 先月は「黄金虫変奏曲」に尽きる。カルロ・ロヴェッリの科学書4冊再読も印象的。 2024年5月の読書メーター 読んだ本の数:13冊 読んだページ数:4059ページ ナイス数:5769ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ 「やいっちさんの2024年5月読書まとめ - 読書メーター

 

 ある話の流れで、「へこたれる」なる語の語源が気になった。「「へこたれる」は江戸の俗語で「ヘコ」と「タレル」よりなる言葉。 ヘコは凹むと同義で弱体を意味する。 なお、凹むは「減りこむ」の短縮形だという。 この「こむ」は「磨きこむ、のめりこむ」など、ぎりぎりの状態に達するまで同じ動作をつきすすめることだ。」

…我輩の予想と違った…我輩は、屁っこ垂れるが訛った言葉だと… (06/03 13:00)兵児帯が垂れる、なんてどうかな。 (06/03 18:22)

(頂いたコメントに)へこたれるなって、子供のころ聞かされたような。励ましというか叱咤。女の子には言わなかった…女性は内に籠れってことだったのか。へこたれるで屁っこ垂れるなを真っ先に想い起す吾輩は、人間性がその程度ってことでしょうか。 (06/03 21:36)

 

 ← ブライアン・グリーン著『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』(青木 薫訳 講談社) 「なぜ物質が生まれ、生命が誕生し、私たちが存在するのか? 進化する宇宙は私たちをどこへ連れてゆくのか? ビッグバンから時空の終焉までを壮大なスケールで描き出す!」

 

 ブライアン・グリーン著の『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』(青木 薫訳 講談社)を三日(月)に読了。二週間余りでの再読。同氏の本は三冊目か。カルロ・ロヴェッリの本を先月は立て続けに四冊再読していたので、その延長というか、片やループ量子重力理論の雄ロヴェッリ、片や超弦理論の雄グリーンと、両雄の書をほぼ並行して読んでいたわけである。

 とにかくどちらも素養の広さ深さがとんでもない。ロヴェッリには古代ギリシャ哲学者らの斬新な理解で蒙を啓かれたし、グリーンには物理学や数学の本筋を外すことなく、「なぜ物質が生まれ、生命が誕生し、私たちが存在するのか? 進化する宇宙は私たちをどこへ連れてゆくのか? ビッグバンから時空の終焉までを壮大なスケールで描き出す!」といった探求を果てまで導いてくれた。意識や精神、哲学や音楽などの芸術、宗教を追求しつつも、間違ってもスピリチュアルな安易な道に逸れて行ったりしない。

 まあ、文学ではないのだが、どちらも詩的文章が堪能できるのも他では得難い書なのである。吾輩などが感想を書くなど僭越である。単なる一般向けサイエンス本を超える本を読みたいなら、読んで後悔はしないだろうとだけ断言しておく。(06/04 03:31)

 

 

 リナ・ボルツォーニ著『すばらしい孤独:ルネサンス期における読書の技法』を今日から読む。

「本は魂の鏡となり読む人の精神をも映し出す 本書はおもにルネサンス の人文主義者たちを読者という観点から捉え、彼らの読書行為と著作との関係を読み解こうとする試みである。」(中略)「読書と創作をめぐる著者の考察は、論述の対象を特定の著者や作品に絞り込むのではなく、読書と創作を切り口にルネサンスの人文主義者たち(そして、プルーストまで)を有機的に結び付けているところに既存の研究とは異なる特徴があり、ルネサンスと古典との関わりに新たな視点を与えてくれる。」

 豊富なルネサンス期の絵画、図像に(も)惹かれた。衝動買い。読書の愉しみをユニークな視点で。 (06/03 18:15)