← 咲きっぷりの鈍い皐月(?) ようやくチラホラ咲き出してる。 (05/09 17:16)

 

 午後、髪のカットとスーパーへ買い出し。帰宅して庭を見回して、やはり庭中に散在してる柿の種(松からの落とし物)…オレンジ色に染まってる…が気になって、竹箒で掃くことに。結構な作業。 (05/09 17:15)

 

 自宅では、カルロ・ロヴェッリ『カルロ・ロヴェッリの 科学とは何か』(河出書房新社)とク・ビョンモ作『破果』(小山内園子訳 岩波書店)とを交互に楽しんでいる。後者、シニカルな描写を楽しんでる。前者、再読なのだが、実に勉強になる。科学者を志す人もだが、むしろ哲学など志向する人に読んでほしいと思う。 (05/10 02:22)

 

 ← 井波律子 著『新版 一陽来復 中国古典に四季を味わう』(解説=井波陵一 岩波現代文庫) 「巡りゆく季節を彩る花木や風物に、中国古典詩文の鮮やかな情景を重ねて、心伸びやかに生きようとする日常を綴った珠玉の随筆集。」

 

 井波律子 著の『新版 一陽来復 中国古典に四季を味わう』(岩波現代文庫)を9日(木)未明に読了。仕事の車中の待機中に。夜の車中…室内灯は弱々しく、特に漢詩を読むのは辛い。無論、書き下し文が添えられているし、意訳も施されている。でも、文庫の活字を追うのは辛いことに変わりはない。

 それでも、身の程知らずにも漢詩を読むのは好き。高校でも古文で漢詩の本を参考書ということじゃなく、ほとんど楽しみで読んでいた。

 社会人になってからも、李白、杜甫、白楽天、蘇軾…。日本でも一休宗純の『狂雲集』に挑戦したことも。全く歯が立たなかった。途切れなくとは言えないものの、折々漢詩(書き下し文)に触れてきた。日本人(先人)の素養の原点を忘れないようにと。

「懐風藻」も「唐詩選」も当然ながら。揖斐高 編訳の『江戸漢詩選 (上・下)』にもチャレンジしたことがある。

 少なくとも明治や大正、昭和の半ばまでは日本の文人ならずとも漢詩に馴染んできたはずだ。素養だったのだ。

 といっても、本書は漢詩の本ではなく、「巡りゆく季節を彩る花木や風物に、中国古典詩文の鮮やかな情景を重ねて、心伸びやかに生きようとする日常を綴った珠玉の随筆集」というもの、細かな活字を暗い車中で読む難儀さを堪えれば気楽に読める本。

 井波律子氏の本に触れる切っ掛けは、同氏が富山(の高岡市)にゆかりの人物だからでもある。小学校の頃には京都に転居されたらしいが。

 最初に読んだのは、井波 律子著『書物の愉しみ 井波律子書評集』(岩波書店)だったか。「中国の古典・歴史書から,ロックンローラーの伝記まで.好奇心と素直な驚きにあふれる三十年間の書評を編む」というもの。同氏の本格的な仕事に関わる本は未読のありさまである。

 いつか、同氏の大きな仕事だった完訳版『三国志演義』(ちくま文庫、改訂版・講談社学術文庫)にトライしてみたい。 (05/10 02:17)

 

 ← 本日午前、十数年来破損したままだった台所の排水口の修理してもらった。工事を依頼して2週間以上経ってようやく。排水口から下水への繋ぎ目が破損してた。排水は下水口じゃなく、画面で観て右側へ、つまり雨水を流す流路に流れてた。…余談だが、我輩は下水はトイレ汚染水に限ると思ってた。生活排水…洗濯排水や台所の排水は、下水じゃなく雨水の水路に流れてると。完璧な勘違い。とにかく、台所の排水が下水へ流れる。ようやく人並みになったのだ! (05/09 17:29)

 

 カルロ・ロヴェッリ著の『カルロ・ロヴェッリの 科学とは何か』(河出書房新社)を読んでて…憍陳如なる人物…

「阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ、名前については後述)は、釈迦仏の弟子の一人である。単に憍陳如とも記される場合も多い。釈迦の最初の弟子。釈迦が成道して最初に教えを説いた五比丘の一人であり、またそのリーダー的人物である。」 (05/10 00:51)