← 昨夜は未明までの氷雨。仕事の最中、車中から夜桜見物暫し。 富山市…夜の市街地は(雨のせいもあろうが)閑散。大企業の若手社員中心の賃上げはあるが、物価高に苦しむ大多数の庶民は蚊帳の外。春の雨なのに氷雨に感じる。(04/04 11:38)

 

 自宅では相変わらずデヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ共著の『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』(光文社)と、新たに中沢新一著の『精神の考古学』を読み始めた。「人類の心の「普遍的構造」を求めて。中沢人類学の集大成となる、決定版!」だって。中沢氏の本は久しぶり。何処かいま読んでる「万物の黎明」に通底してる気がする。 (04/03 16:01)

 

 ← 庭先の小花も咲き始めてきた。画像は、アセビ(馬酔木) (04/04 23:12)

 

 富山市の松川…桜並木の名所。なのに、夜…ライトアップしてない。暗い。元旦の地震で一部の土手が工事中だから? (04/04 23:12)

 

 読書メーターで、星新一の名を目にした。
 東京在住時代の最後の十年ほど通っていた会社は荏原中延駅近くにあった。中原街道は西五反田辺りから会社周辺を日々。ある日、街道沿いに「星製薬」の存在に気付いた。…というか、ラジオの中で星製薬とかの星新一との深い関わりを聴いたんだった。改めて星作品を読み返す切っ掛けになったっけ。 (04/05 13:13)

 

 ← 村山 修一 著『本地垂迹』(解説 末木文美士 ちくま学芸文庫) 「日本古来の神と大陸伝来の仏、両方の信仰を融合する神仏習合理論。前近代の宗教史的中核にして日本文化の基盤をなす世界観を読む。」

 

 村山 修一 著の『本地垂迹』(ちくま学芸文庫)を3日(水)に読了。一週間以上を費やした。

 非学な吾輩、字面だけなぞったよう。庶民の一人として神棚と仏壇の同居する家にある。神も仏も分からずじまい。ま、いっか。神仏習合本地垂迹説がなんとなくでも分かればいい…のか。

 この本の内容については以下に明確:「日本古来の神々は仏が姿をとったものであるとする神仏習合の思想、本地垂迹説。しかしそれは、仏教と神道が融合したのみならず、道教・陰陽道・儒教など中国思想が流入し、さらに歴史的人物をも取り込んで、複雑な多神教的様相を呈するまでに発展したものである。この日本独自の世界観は、朝廷や貴族の政治理念に影響する一方で、庶民の日常生活にも浸透し、数々の文芸・美術作品を残した。前近代の宗教史的中核に位置し、日本文化の基盤へと広く深く根を張る世界観を総合的に読み解いた名著。」

「村山 修一(むらやま・しゅういち):1914-2010年。大阪生まれ。京都大学文学部史学科卒業、博士課程修了。大阪女子大学名誉教授。専攻、中世史、民間信仰史。著書に、『神仏習合思潮』(平楽寺書店)、『古代仏教の中世的展開』(法藏館)、『日本陰陽道史話』(平凡社ライブラリー)、『日本陰陽道史総説』(塙書房)、『修験の世界』(人文書院)など多数がある。」

 決して新しい本ではないのだが、今もって「前近代の宗教史的中核に位置し、日本文化の基盤へと広く深く根を張る世界観を総合的に読み解いた名著」たる位置は盤石のようだ。

 仏教伝来当初から庶民は勿論支配者層にしても、旧来の神に新たな神が襲来したくらいの認識。仏教としての純粋化理論化が極められる一方、対抗しての神も神道としての理論化権威付けが進められた。同時にそれぞれの中での分派活動も盛んだったり政治などに利用されたり、仏教と伝来の神とは何処までも深く複雑に絡み合ってきた。明治維新前後の排仏など机上の空論を無理やりやってしまったのだ。そのツケが無謀な戦争につながったのではなかろうか。一つの宗教が絶対権威化されると、国論が一つの極端な方向に無理やり流されてしまう。その実態はイスラエルの蛮行に見られるのではなかろうか。 (04/07 13:48)

 

 

 ← 我が家は明治以来のれっきとした農家…だった:「富山と田圃と私: 壺中山紫庵」 少なからぬ田んぼは売り払われ、あるいは寄付などの形で消え去っていった。最後に残った茶の間の窓外に広がる二枚の田も十数年前売却。以来野原のまま手付かず。 (04/05 13:47)

 

 その空き地が、近所の方の田二枚(我が町最後の田だった)と併せ四枚ほどが不動産業者の手に渡り、いよいよ今日から宅地造成が。大型機械が野原に。目の前の野原(旧田圃)が変貌していく。十数件の建て売り住宅になる…らしい。嘗ては農村であり、やがて田圃に囲まれた町になり、数々の田圃が宅地やアパートに、公園に駐車場に変貌していく。画像の光景は幻に。

 我が家も消滅する? 父母等が丹精した庭や畑はどうする?

 昼間の工事。世間には日中でも、夜中仕事の我輩には深夜(睡眠時間帯)。当分、工事の騒音に悩まされる。 (04/05 13:59)

 

 ← 嘗ては田圃だった…放棄されて十数年。ついに宅地に。 (04/05 17:33) (頂いたコメントに)この度の宅地化で、昔は農業用水の機能があったのが、今は生活排水の水路です。近所の方や我が家の必需側溝? 掃除や整備は我が家の責任! 去年(こぞ)の田は夢かとばかりに舞うトンボ (04/07 13:15)

 

 梅原 猛著の『古代幻視』 (文春文庫 )を読み始めた。四半世紀ぶりの再読となる。梅原史観なので史実は多少度外視して読む必要がありそうか。仕事の車中の楽しみに再読する。 (04/06 22:29)

 本書の刊行当時は、今日の日本人の土台は、縄文人に弥生人が、という常識(?)だったが、近年の研究では:

日本人の「完成」は古墳時代だった? DNAを分析、ルーツに新説:朝日新聞デジタル」によると:

「金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、さらに大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって古墳人が登場したことで、現代につながる祖先集団が初めて誕生したことを示唆している。」

「(中略)その結果、弥生人は、中国東北部の遼河流域など北東アジアで多く見られる遺伝的な特徴を持ち、縄文人と混血していることも確認できた。一方、古墳人は、弥生人が持っていない東アジア人に多く見られる特徴を持っていた。さらに、現代日本人と遺伝的な特徴がほぼ一致することも判明した。」

 過日、テレビでも特集されてた。関連する本を読みたい。 (04/06 22:48)