← 山本博文著『江戸お留守居役の日記』(講談社学術文庫) 「根まわしに裏工作――現代社会の原像 藩の命運を賭けてたたかう外交官」

 

 吉本 ばなな作『TUGUMI―つぐみ』(中央公論社)を読み出した。

 昨年11月だったか、「とかげ」を書庫に見出だし読んだ(再読した)ばかり。本作も30年以上昔読んだのだが、まるで記憶にない。悔しいので再読する。

 リチャード・パワーズ作の『黄金虫変奏曲』(みすず書房)も相変わらず。七割まで読み進んだ。

 今日は晴れの休日だった。が、確定申告の作成でほぼ一日つぶれてしまった。書き上げることは案外簡単にできるのだが(パソコンで、次いでスマホで)、さて印刷とかの段階になると失敗続き。とうとう断念。 (03/05 02:42)


山本博文著『江戸お留守居役の日記』(講談社学術文庫)を2日(土)読了。父の蔵書から。仕事の車中の待機中に楽しんだ。

 読むほどに面白さに引き込まれていった。こんな本を読んでた父の慧眼を想う。

「時代は江戸初期。江戸藩邸に詰めて幕府・諸藩との折衝にあたった萩藩江戸留守居役、福間彦右衛門の日記『公儀所日乗』。そこには二千人の藩士が暮らす藩邸の生活の様子や留守居役の実像が細かく記されている。由井正雪の乱や支藩との対立など、迫りくる危機を彼らはどのように乗り越えたのか。第一級史料が描き出す、藩の命運を賭け奮闘する外交官の姿。」 幕閣にも敢えて異を唱える留守居役の福間彦右衛門に畏敬の念を抱いてしまう。決して唯々諾々ではないのだ。暗愚な藩主に命を賭して生涯を尽くした。

 著者によるはしがきにあるように、「江戸時代初期の環境の中で、幕藩間をむすぶ留守居役の活動は、藩にとって死活をとわれる緊張した重要任務であった。のちの留守居役のように、糸目をつけない交際費を使って、吉原でどんちゃん騒ぎをしていられる時代ではなかったのである。……当時の社会の雰囲気と江戸藩邸の実態を、留守居役とかれをとりまく人々をとおして感じとっていただきたい」ものである。

 読んでて面白く、劇的場面も多く、これはテレビドラマになるなと思いつつ読んでた。すると、「文庫版へのあとがき」にて、実際にテレビドラマ化されていたことを知った:

「「歴史スペシャル 江戸支社長奮戦記~荻藩・福間彦右衛門の日記~」NHK 1993年08月19日(木) 出演:イッセー尾形、角野卓造」 (03/05 02:17)

 

 ← ジェームズ・C・スコット著『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』(立木勝訳 みすず書房) 「ティグリス=ユーフラテス川の流域に国家が生まれたのが、作物栽培と定住が始まってから4000年以上もあとだったのはなぜだろうか?」


 ジェームズ・C・スコット著『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』(立木勝訳 みすず書房)を1日(金)読了。なかなか手強い本だった。

「ティグリス=ユーフラテス川の流域に国家が生まれたのが、作物栽培と定住が始まってから4000年以上もあとだったのはなぜだろうか?」…それは単に国家の成立が難産だったからに過ぎないのではないという。

「著者は「ホモ・サピエンスは待ちかねたように腰を落ち着けて永住し、数十万年におよぶ移動と周期的転居の生活を喜んで終わらせた」のではないと論じる」。

「キーワードは動植物、人間の〈飼い馴らし〉だ。それは「動植物の遺伝子構造と形態を変えてしまった。非常に人工的な環境が生まれ、そこにダーウィン的な選択圧が働いて、新しい適応が進んだ…人類もまた狭い空間への閉じこめによって、過密状態によって、身体活動や社会組織のパターンの変化によって、飼い馴らされてきた」」というのだ。砦や城壁、境界線で守られた国家の成立の一方、国家の側からすると野蛮人(遊牧民)の定住しない、移動を旨とする生活の優位性がずっと顕著だったからだ。

 定住生活の齎す優位性の一方、環境破壊や搾取、奴隷制(自由の喪失)、感染症の蔓延頻発も避けられない。

 国家をなす優位性はそれにしても歴然としているようだが、それは遺跡や文書などによる記録が残っているので、歴史を綴りやすいからだ。

「今やこの穀物を中心とした家畜化 domesticationのモジュール、ホミニド(ヒト科)から進化したホモ・サピエンスが造った人工的な「富と人口蓄積装置」=リヴァイアサン、国家システムが、地球環境に耐えられない負荷を与え、逆説的に、人類を存亡の危機に追いやっているのだと見なせば、人新世Anthropocene とは全く言い得て妙だとの感慨が脳裏に浮かんでくる。なぜなら、国家は最初期から強制によって形づくられた「暴力装置」だということが明らかにされているから」だという論評が鋭い(「暴力装置としての国家の誕生と、人間の家畜化」)。

「反穀物の人類史」 「定住」は「農耕」に直結しなかった 朝日新聞書評から|好書好日」なども参照。 (03/05 02:00)

 

 ← 富山県郷土史会編『復刻版 越中安政大地震見聞録』(ケイエヌビィ・イー) 「安政飛越地震から149年を経て、中越地震、能登半島地震、中越沖地震と富山県周辺では立て続けに大地震が発生している今日、 本書は、なおも安全神話にすがりつきたくなる北陸の人々の心情を厳粛に諫めるものであろう。 富山大学大学院教授 竹内 章」

 

 富山県郷土史会編『復刻版 越中安政大地震見聞録』(ケイエヌビィ・イー)を4日(月)に読了。再読である。父の蔵書か。

 初読の時は、帰郷して間もなく、富山のことを知りたい学びたいの一心で読んだ:「飛越地震から150年

 今回は、本年元旦に発生した「能登半島地震」 (2024年)を経てのことで、読む気持ちも違う。帰郷して16年になった。初読の際は富山県内の地名なのに知らないものが多かったが、今回はさすがに馴染みの地名が多くなっていて、あそこもそうだったのかという思いに駆られてばかり。本書に載る少なからぬ図版も想像を逞しくさせる。

 富山は決して地震も含む自然災害から安全圏にあるわけではないのだ。

 関連することは本書を読みつつ随時メモって来た。今日も多少のことは書いた(以下の記述など)。 (03/05 02:32)

 

 富山県郷土史会編『復刻版 越中安政大地震見聞録』を読んでいる。今日にも読了か。関連するサイトを物色しつつ:

「世にいう「安政の大地震」は、特に1855年(安政2年)に発生した安政江戸地震を指すことが多いが、この前年にあたる1854年(安政元年)に発生した南海トラフ巨大地震である安政東海地震および、安政南海地震も含める場合もあり、さらに飛越地震、安政八戸沖地震、その他伊賀上野地震に始まる安政年間に発生した顕著な被害地震も含めて「安政の大地震」と総称される。」 (03/04 18:28)

 

 ← 「富山県の地震活動の特徴 | 地震本部」 (03/04 18:33)

 

 ← 「西大森の大転石。高さ7.2m、周り約32.4mあると言われる。かつては、真川・湯川合流点にあり、1回目の洪水で横江地先まで転がり下り、さらに2回目の洪水で現在地まで移動したそうです。この石によって水勢が変わって西に走り、西大森から下流の右岸側の被害を少なくしたと言われ、村民はこの石の恵みに感謝し、碑を建て、護岸の神として祭るようになったそう」(情報は、「西大森、西番、大場の大転石(立山町、富山市) – GOOD LUCK TOYAMA」より)。拙稿「富山の象徴:大転石」参照。 (03/04 18:36)