← 増淵宗一著『茶道と十字架 』(角川書店) 「茶道の様式に見られるキリスト教の影響については、これまでも断片的に指摘されてきた。本書は、キリシタン大名と茶の湯の関わりあいから、茶道の作法―茶器、茶室とその思想―とミサの儀式にいたるまでをつぶさに検証する。新しい観点から、茶道のもつキリスト教的な側面に光をあて、比較文化論・美学の立場から、その実体を解明する。」多分、未読。

 

 雪融け進んだ。小雨の中、柴作りに裏の内庭に面する縁側下の片付け、5ヶ月ぶりの髪カット。更にスーパーへの買い物ついでに一昨日届いたスラックスのウエスト出しなど。洗濯も2回。休日だったが、雑用多々。読書は夜半になってようやく。

 夕食後は本を片手に寝落ち。いつものパターンだ。目覚めたら夜半。本日はシャワータイムに薪(柴)ストーブ使った。暖かいのが嬉しい。

 柴作りには、ハンディチェーンソーやノコギリ、ナタ、ハンマー、バールなどを駆使。あ、斧も! (01/29 01:11)

 青木信光著の『女悦交悦』を寝入る前眺めているせいか、久々夢に全裸の女が。風呂場で寛いていたら突如、眼前を若い女が過ったのだ。追おうとしたら、前方にも別の女が。目移り!

 

 ベッピ・キュッパーニ 著の『救い』(中嶋浩郎訳 みすず書房)を自宅で読んでる。二週間近く読んできたが、今日にも読了かな。

 戦国時代において、「キリスト教の茶の湯への影響」は戦国大名への影響も含め、想像以上に大きい。我輩は、この物語のピークは、信長の死辺りに来るのかと思ってたが、違ってた。

 十年ほど前、ブログかホームページで関連する話題を採り上げたことがある。拙稿「利休忌・西行忌」や「「茶の湯とキリスト教のミサ」に寄せて

 ここでは、拙稿じゃなく「キリスト教の茶の湯への影響|キリスト教と茶道」を参照する。

 象徴は、茶杓は十字架の暗喩だとか、作法がキリスト教の要素が少なからずだとか、逆にキリスト教布教のために、茶道など戦国大名の好みや作法を積極的に取り入れたとか。

 大河ドラマに仕立てるには十分なスケール(俯瞰する視野)が見込まれる。何故に徹底した禁教政策を採ったのか。 (01/29 01:41)

 

    昼行燈65「結ぼれ」 今朝未明創作。例によってナンセンスな世界へ。

 

 ジェシカ・ワイン著の『数学者たちの黒板』(草思社)などを自宅で読んでる…眺めてる。

 数学者らが語ってることは百パーセント以上理解できない(そもそも理解しようなんて無謀なことはしてない)。ただひたすら箴言と板書の記号符号を眺めて茫然自失する。どんな抽象表現主義やアール・ブリュの作品に劣らず刺激的。昨夜半過ぎ…丑三つ時にも本書のある板書に突き動かされて「結ぼれ」なんてけったいでナンセンスな作品に至った。(01/29 11:46)