Senchu_20240123032301  「線 虫」

 

 夢の中だったろうか、奴がベッドでセンチュウ、センチュウって吐いてる。
 センチュウ? 戦争中ってこと? 

 だけど奴はどう見たって戦中派って歳じゃない。ガキじゃないけどそれなりに大人のはずだ。
 熱に浮かれたようにセンチュウを繰り返して止まない。魘されてる。

 熱いのか脂汗がてかってる。熱に魘されてるのか浮かされてるのか。もうどっちがどっちか分からない。
 鬱陶しいのかパジャマの襟を剥がすように手で掻いてる。

 奴は夕べだったか滅多に口にしないものを食べたとか。それも生で。原虫か蠕虫(ぜんちゅう)か知らないが、何かの寄生虫に苦しんでる? センチュウって線虫のことか? 何だって線虫なんて奴に分かるんだ?
 見たわけじゃなかろうに。ちゅうか、観たって分からないだろう。透明だって話だし、細かい虫だし。

 手が空中に。薄闇の空間に何かが浮かんでる? 何かが見える? 誰かの顔が映ってるのか?
 奴は歩きながら不意に手を前に差し出す癖がある。中空に漂う何かを掴もうとしている。空虚な時空から虚妄な夢を抉り出そうとしてる。俺にはそう見えるのだ。

 だけど偏屈すぎる奴に何を訊いても無駄だ。奴は何も答えない。そもそも自分でも分からないでいる。とにかく<そこ>には何かがあるらしいのだ。
 長年追い求めてきた何かが奴の目の前で、それこそ奴を焦らすように、おいでおいでをしてるという。
 誘ってる? この世なんか棄て去ってあの世へと招いてる? 吐きたいほどの孤独。我儘な願望。

 そうか、昨年だったか、とうとう生きた線虫が脳味噌の中で発見されたってニュースが流れた。鉗子で取り出されたそれは、長さ8センチの薄い赤色の生きた線虫だったという。奴はそれを観てしまったのだ! 脳味噌を悠々浮遊する線虫!

 思い返せば、奴が妙な振る舞いをするようになったのも、あの頃からだ。手を差し伸べて何かを掴もうとする仕草も、それまでは誰にも見咎められないようにこっそりだったのが、もう隠そうって気遣いも忘れちまったんだ。他人の目線を気にする、そんな悠長なわけにはいかなくなったのか。

 ああ、もしかして奴は今や取り憑かれてしまったのか。己の異変を線虫の感染のせいにしている。俺にはそう思える。違うぞ、お前は臆して逃げ回ってるだけだぞ、そう俺は云いたかった。奴に聞く耳なんか持ってないだろうが。

 
 
(01/23 03:32 作。画像は、「人間の脳で生きた線虫が見つかる、世界初の症例 オーストラリア - BBCニュース」より)