Jinzhashi  「止まっちゃいけない

 

 ある秋口の早朝だった。いつもなら起こされるはずが、なぜか目覚めてしまった。それとも眠れない夜を明かしただけだったのか。
 行かなくちゃいけない。何処へ?
 逢わなくちゃいけない。誰に?
 晴れ渡った秋空だった。行先は分からない。足に任せるしかない。気の向くままってことじゃない。行方は決まっているのだ。

 人の姿はさすがに少ない。新聞配達もとっくに終わってる。
 我が町を遠ざかり、大きな川の土手にのぼった。対岸を眺めたかったのだろうか。いつものように遥かな…手の届かない先を想う?
 足は止まらない。もっと先へ先へ。川を渡った。古びた鉄橋の橋。さすがに車は行き交っている。人影はない。
 ふと今日は日曜日だと気づいた。

 あの人の町が段々と近づいていく。行方はそこしかないとは分かりきっていた。
 逢えるはずもない。約束など何もない。でも足は止まらない。
 行ってどうする?

 ついにあの人の家の前の道。猫一匹いない。閑散。日曜日の早朝。

 するとなんとあの人が現れた。まるで約束だったからその場に来ただけというふうに。
 顔は呆れたという表情なのか、逢えて嬉しいなのか、それともいつも通りに一緒になっただけと、穏やかな笑みを浮かべていた。
 来てくれたのね、とでも言いたげ。

 胸に大判の冊子を抱えていた。秋口とはいえ、朝は寒いのに膝丈のスカートで、サンダルは履いてるのだが、素足の印象があった。
 何処行くの? ピアノを弾きに大学へ。大学? 開いてる教室があるの。
 しばらく二人で歩いた。が、不意に彼女は気が変わった、今日は止めたと。え?

  ちょっとがっかりしながらも、二人して橋梁をてくてく歩く。
 彼女があの場に現れたのは偶然なのか、聞きたかったが口に出せなかった。逢えた嬉しさに胸が一杯だった。あり得ない夢が実現している、その事実に陶然としていた。無駄口さえ浮かばない。
 橋を越えて何処へ行く? 彼女は地元の町から離れたかった? とにかく橋を越えて川の向こうの見知らぬ町へ?
 彼女がピアノを弾く姿を観たかったなと、川を越えてから後悔し始めていた。どうして止めた?

 橋を渡って堤防の道へ逸れた。その先には護国神社がある。鎮守の森もある。境内を巡るか。とにかく歩き続けたかった。足が止まると彼女と向き合わないといけなくなる。それが怖いのだ。
 だけど、何が怖いのか自分でも分からなかった。が、ついに本堂の中で二人の足が止まった。
 止まっちゃいけないんだ、そう囁く声が胸の中で。

 

 

[冒頭の画像は、「神通大橋 - Wikipedia」]