私がテレビに出る有名人だった時代の話 | 世界を旅する年収1億円ブロガー 川島塾代表 川島和正オフィシャルブログ Powered by Ameba

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昨日のコラムで
「かつて私はメジャーだった」
みたいな話を書きました。
 
しかしながら、もう大昔すぎて
その当時の私のことを知らなくて
「川島は何言ってんだ?」と
思う人が多そうなので
どれくらい有名だったかを
お伝えいたします。
 
 
私がどれくらい有名だったか
と言いますと
ピーク時は、ほとんど毎週
10週くらい連続で
テレビ番組のオファーが来ていました。
 
そして、同世代知名度は
だいたい10%くらいでした。
 
誰もが知る芸能人と
デートや飲み会する機会も多く
プチ芸能人気取りでした。
 
これが2011年の
東日本大震災のころの話です。
 
 
なぜ、こうなれたのかというと
当時はSNSがまだ人気ではなく
ブログとメルマガの時代で
私はメルマガで一番だったからです。
 
また、本を出したら
ビジネス書の本当の一番である
日販ランキング週間1位を
獲得するほど人気だったからです。
 
文化人というと言い過ぎですが
新しい生き方の
自由人枠みたいな感じで
最近でいうYouTuberが
取り上げられるように
メディアに取り上げられていました。
 
 
しかし、なぜ、もっとメジャーに
ならなかったのかというと
メディアに出るのをやめるという
選択をしたからです。
 
そして、私に来た出演オファーは
ほとんど全部、与沢くんに流しまして
与沢くんが超有名人になりました。
 
 
なぜ、メディアに出るのを
やめたのかというと
同棲していた彼女が
同世代知名度99%だったので
その状態で街を歩く面倒くささを
先に体感していたからです。
 
また、同時期にビジネス書分野で
活動していた人で
一番メジャーになった勝間和代さんが
理不尽に攻撃されまくってるのを
リアルタイムで見てきたからです。
 
さらに、ミュージシャンや
舞台役者を見ても
メディア依存ではなく
実力派でセルフマネジメントの方が
長続きしているので
私もそうしようと思ったのです。
 
 
そんなわけで、東日本大震災の頃に
オファーだらけだった私は
震災を機に沖縄香港へ
引っ越したのを機に
パタっとメディアに出なくなりました。
 
メディアの人には
「お誘いありがとうございます。
沖縄香港に引っ越したから
すぐに東京に行けません。」と
返事していました。
 
 
あの時
もっと有名になるべきだったか?
これで良かったのか?
今振り返りますと
有名にならず良かったと思います。
 
当時はまだ有名税みたいなのが
ありましたが
今はぜんぜんなくて
街歩いていても
じろじろ見られることや
話しかけられることや
写真撮られることがないからです。
 
それでいて、十分稼げていて
十分なフォロワーさんがいて
自分にとっては
程よいラインだからです。
 
人生人それぞれで
どこまでも目立ちたい人もいれば
隠れて暮らしたい人もいますが
私にとっては
これくらいがいいバランスだったと
いうことですね。





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