**いつもおなかが痛い子だった。 | うまくいかない自分のゆるし方 * こころとからだを整えるカウンセリング

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誰かに頼ることができない甘えられない
まじめで不器用でかわいくなれない
昔の私のようなあなたへ


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心屋流カウンセラー & ティーセラピストの

皆 みなみです

宝石緑はじめましての方へ
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私は小学生の頃、いつもおなかが痛くなる子でした。


正露丸ばかり飲んでいて、効かなくなるから数を増やして。


家は母子家庭で、母は朝から夜中まで仕事。


一緒にごはんを食べた記憶がないほど。




母の顔色を伺って


話しかけるのも一瞬ためらって


何かを自分に言い聞かせていました。




「お母さん、いつも仕事しているから。」


「お母さん、いつも忙しいから。」


「お母さん、いつも家にいないから。」




でも本当は


いっぱいおしゃべりしたくて


いっぱい甘えたかった。




だから、


きっと無意識に少しでもお母さんの気を引こうとして


おなかが痛くなっていたんでしょうね。




おなかが痛いと、お母さんに「おなか痛い」って


話しかけることができるから。


具合が悪ければこっちを見てもらえるから。


学校を休まなければならないほど痛いと


お母さんも仕事を休まなければならなくて、


一緒にいることができるから。




具合が悪いとお母さんに怒られてしまうんだけれど、


きっとそれさえもうれしくて、


何度も何度も、毎日のように


おなかが痛くなっていたのだと思います。




いつしか


私の具合が悪くてもお母さんは仕事を休めなくなり


肺炎になったときも家でひとりで寝ていることもありました。


痛くても苦しくてもさみしくても、


どうにもならないんだということがわかったんだと思います。




痛いものはガマンする。


苦しくても気づかれないようにする。


さみしくても平気なフリをする。




感じないことが得意な子になっていました。


顔に出さないことがいいことなんだと信じていました。


イヤなことはすぐ忘れるのが自分のいいところだと思っていました。




大人になってからもそのままで、


ぢんさんのところに通うようになってやっと、


感情にフタをしていたこと


傷を守るためのカサブタばかり作っていたこと


そんなことばかりしていたのだということに気づきました。


自分で自分を癒してあげることなんて初めて知りました。




大人の私が小さな私に


「私が傍にいてあげる。」


「私が守ってあげる。」


「ずっと一緒にいてあげる。」


こんなふうに話しかけて、


ぎゅーって、ぎゅーって抱きしめてあげる。


その子が安心した顔になるまで抱きしめてあげる。




これができるようになってやっと


本当の私に近づいてきたような気がします。


昔のことは、まあいいやって思えるようになりました。










そして、今でも私は…


坂の途中でおなかが痛くなって泣いていた


小学生の頃のだんなさんのことも


毎日抱きしめている。










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