こんにちは爆  笑

 

「あなたの心に火をつける」

コーチ&コンサルの片野です炎

 

明日(12月19日)は、宇都宮市で関東ラージボール

卓球連盟の会議が開催されます。

 

関東ラージボール卓球大会は、

来年度(2020年)、栃木県で開催されます。

 

開催県で会議を開き、関東1都7県の

ラージボール責任者が来年度の

大会をどうしていくか、また、今年開催

 

れた全日本選手権大会や全国大会の

課題点などを話し合い、

 

また、日本卓球協会ラージボール

委員会で決まったことや、来年度から

 

実施される内容等についての報告が

行れます。

 

ここで、関東ラージボール大会までの経緯を

まとめてみたいと思います。

 

あななのビジネスアップに

役立つのではないでしょうか?

 

来年度の大会は、第13回大会になります。

 

振り返ると、それまでは関東大会という大会は

ありませんでした。

 

というか、実施されていませんでした。

 

私は、仕事がら、各地のラージボール大会を

取材することが多かったのですが、

 

なぜ、東北大会、東海大会、四国大会、

九州大会などがあって、関東大会がないのか、

ということに対し、ずっと疑問に思っていました。

 

そこでわかったことは、大会を実施しようという

言い出しっぺがいなかったということがわかりました。

 

私は、卓球メーカーに勤務し、

ラージボール卓球の普及活動を北海道から

 

九州まで行っていたことで、各地の事情は

ほとんど把握していました。

 

そして、埼玉県のラージボール卓球の

責任者をしていましたので、それなら、

私が言い出しっぺになろうということで、

 

当時の東京のIさん、神奈川のHさんに

相談し、理解していただき、協力するよ、

ということになりました。

 

今から15、6年程前のことです。

 

東京体育館で全日本選手権大会が

開催されている時でした。

 

翌年の夏に関東の国体ブロック大会が

埼玉県の上尾で開催されました。

 

関東の理事長や副理事長が挨拶を兼ねて、

会場に来ていました。

 

ほとんど知っている人たちだったので、

来年から関東ラージボール大会を

開催したいと思っています。

 

宜しくお願いします。

 

という挨拶をして回りました。

 

みなさん快く理解してくれ、

 

その後、埼玉県の会長名で各県に

大会を開催したい旨の手紙を送付しました。

 

そこで了承され、よく年の1月に開催された

関東会長・理事長会議で正式に認められました。

 

という経緯になります。

 

第1回大会は、埼玉県で開催しました。

 

ここで、ビジネスに役立つポイントを

いくつかお話させていただきます。

 

まず、関東になぜ、大会がなかったのか。

 

ということですが、答えは簡単で、やろうという

旗振り役の人がいなかったからです。

 

それなら、私がやろうと旗振りをしました。

当時は、50歳ぐらいだったことで、やる気

と情熱がありました。

 

フットワークが良かったと思います。

それから、

みなさんがおっしゃるように熱い気持ちが

大事になります。

 

そうすると、賛同してくれる人が出てきます。

 

なんとなくやりたいでは、協力してくれる人が

現れませんが、絶対大会を立ち上げるという

強い気持ちがありました。

 

当時の新年の目標は、今年、関東大会を

立ち上げるというものでした。

 

続いては、

誰に相談するか、ということです。

ラージボール卓球に理解のある方、

知っている人に相談しました。

 

それも1人ではなく、どこの県は誰々、

どこの県はあの人、というふうにリサーチし、

相談しました。

 

そして、関東国体のブロック大会で、

各県の卓球の責任者に相談し、

その後、会長名で手紙を送付しました。

 

外堀をしっかり埋めてしまえば、

最後の会議はすんなりいきます。

 

また、第1回大会は埼玉で開催します。

 

ということで、各県の負担をなくしました。

 

途中、面白かったのは、関東大会の

打ち合わせをグアムや韓国でした

ことです。

 

当時、グアム島で毎年、ラージボール大会を

開催していました。

 

その大会に関東のラージボール責任者が

参加していましたので、現地で会議を開きました。

 

また、韓国でも大会を開催していました。

 

同じく、関東の責任者が参加していましたので、

韓国でも打ち合わせを行いました。

 

もし、最後の関東会長・理事長会議で

秘訣されたら、埼玉県、栃木県、茨城県の

3県で大会を開催しよう。

 

ということまで決めていました。

 

そういうこにはなりませんでしたが。

 

まとめ

 

1 熱い気持ち

2 リサーチ

3 相談者・仲間

4 段取り(外堀)

5 最悪のケースも考慮

 

などなど。

 

ラージボール卓球も次の世代につなげて

いくことと、更なる普及活動をしていかな

ければいけない時代になりました。

 

 

本題に入ります。

 

18年前に卓球雑誌に掲載した文章に

なります。

 

『鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥』

 

 

千葉のkさん(会社員)から「致知」12月号を

送っていただきました。

 

 

特集は、「鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥」と

いうものでした。

 

その中に、昭和40年代の前半、卓球実業団の主力選手と

して活躍していたある女性が掲載してありました。

(当時は実名で掲載してありました)

 

4歳のときに父を亡くし、母が兄妹3人を育てました。

 

母は、父がいなくとも、後ろ指を指されないように

プライドを持ちなさい、

 

人さまに喜んでいただける人間になりなさい、と

いうのが口癖で、

 

また、よその人たちの前で子供さんたちのことを

よく褒めていたそうです。

                

母の信頼を裏切ってはいけない、という気持ちが芽生え、

これが人を裏切ってはいけない、という教えになりました、

と言っていました。

 

松江商業高校を卒業後、東京の会社に入社しました。

 

実業団で活躍したあと、結婚されました。

 

辞表を提出しましたが、上司のはからいでご主人が勤務する

大阪に転勤することになりました。

 

広報を振り出しに秘書、営業をこなし、

現在(当時)は関西支社の総務課長に就任しました。

 

社員1万人という大企業の中で、

関西支社では唯一の女性管理職になりました。

 

学歴と女性というハンディを克服できたのは、

母の存在、そして卓球のおかげと言っています。

 

卓球は恋人で、人生のお師匠さん、とも言っていました。

 

大事なことは、球を見ること。

 

球はいろいろな角度で360度回転して動きますが、

そういう球が正しく見えるような人間になりたい、

それが卓球から得た結論だと言います。

 

「今回の特集のように、鳥に選ばれる枝になりたい、

枝が待っていてくれるような鳥になりたい。

 

そのためには、使命感が軸にならなくてはいけないと思います。

 

そのときに私という人間の存在がでてくるのではないでしょうか」

 

「鳥が選んだ枝、・・・・・・」は、

陶芸家の河井寛次郎さんの言葉です。

 

 

この縁でしばらくは、{致知}を読んでいました。

 

その後、グアムで卓球をしている濱本さんと知り合い、

グアムで10年間、国際ラージボール大会を開催しました。

 

その時に、濱本さんが「致知」に取り上げていただいたことで、

しばらく読んでいました。

 

その後、休んでいましたが、

2年ほど前から読み出し、現在に至っています。

 

しかし、最近は送っていただきますが、

目を通すことがなくなってしまいました。

                              

心の勉強をしたい人にお勧め書籍になります。

 

ぜひ、読んで見てください。

 

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