「うちの子は噛みません」――韓国で今日公開です。
●公開日に観てすぐ家族皆を動員
今日が公開日でさっそく観てきた感動コメディ映画『ゾンビ娘(좀비딸)』ですね。私と息子夫婦と、ちょうど夏休みで我が家に来ていた、我が妻の姪の息子(大学生)の4人で一緒に観たのですが、観終わったその場で私が妻に猛烈にプッシュの電話をして、今日のうちに妻と妻の姪と姪の娘(高校生)も観て来たというほどのお勧め作でした!ヾ(≧∇≦)〃♪
個人的にゾンビ映画が大好物で、観ていないゾンビ作品がほぼないのではないかと思うくらいですが、今回のこれは本当に期待の上を行く涙、涙の感動作でした。『パラサイト』のイ・ジョンウンさん、『EXIT イグジット』のチョ・ジョンソクさん、16歳のチェ・ユリちゃんが、祖母・父・娘役で出てくるのですが、その顔ぶれを見ても分かるように、決してホラーなどではなく心温まる家族コメディであり、ぜひたくさんの方々に観ていただきたくて久しぶりに韓国映画紹介をします。
そもそもなぜ私がゾンビ映画が好きなのかというと、ゾンビ自体が完全な架空の存在であって、実際には起こり得ないことなのだけれど、それによる「世界の終わり」を描くことで、そこから前向きに現実を生き抜く力が生まれるように感じるためです。架空ですから、いろいろな決まりごとや話のパターンなども、どんどん変更でき、常に新しいアイディアが次々と出てくるジャンルでもあります。
●娘がゾンビになった韓国の父の話
これまで本当にさまざまにバラエティに富んだゾンビ作品がつくられてきましたが、これはありそうでなかった、何よりも韓国ならではのストーリーでした。いつものようにウェブトゥーンが原作で、原作は2018年頃の発表のようですね。
ゾンビ作品の出発当初のようなオカルト怪奇現象などではない、一般的な感染症としてそれが世界に広がるというホラー展開はもはや定番ともなっていますが、そのうえで、愛する家族がゾンビになった場合に、それを現実的にどのように受け止めるのかというのが今回のテーマです。これまでも、2017年のイギリス映画『Cargo』で、自身がゾンビになっても娘を守るという、同じ父娘モノ感動ゾンビ映画は描かれていたし、日本の『鬼滅の刃』でも感染して「鬼」=ゾンビになった妹を守り通す主人公の姿が描かれていたので、すでにそれらで描かれたテーマでもあるでしょう。
でもそれが、文化的に家族愛が絶対的中心にある韓国社会で、その愛の中でも最も感動を呼ぶ関係性の一つである「父と娘」の間で、しかも、愛する娘がゾンビになったという場合の韓国の「娘バカ」父親はいったいどうなるのか。これこそまさに私が観たかった、夢に描いていた韓国ならではのテーマだったわけですね。映画は冒頭から、父親が家に帰ると、テレビを観ていた娘が振り向いて、父親に噛みつこうとするけれど、父親が「ダメでしょ」とそれを押さえるというシーンから始まります。ゾンビになった娘を父親が家にかくまって隠し通し、守り通しているわけです。
●法律よりも家族愛のほうがもっと善
ここで、もう一つの韓国的要素は、ゾンビ感染拡大を押さえるために国家が軍隊を動員して感染者の射殺を行い、もしも感染者をかくまっていれば国家的重罪になるという国家権力との関係性です。主人公たちがそれでも法律を破ってまで娘を愛し、その結果、国家権力と対立しながら闘うという部分が、さらに韓国人にとっては重要な感動ポイントとなっています。
私たち日本人が違和感を感じるのは、日本人なら、主人公が法律を守らなければ、それだけで多くの人々が感情移入したくてもできなくなり、感動も薄れてしまうという問題ですよね。日本でなら、どうみても国家が公共の利益のため、感染拡大を防ぐためにゾンビの射殺を決めてそれを法律にまでするならば、当然、「家族を愛する」という身勝手な私的感情でそれを破るなどということが「善」になることはなくなるでしょう。でも韓国では公共の「きまり」、国家の「法律」よりも、むしろ「天の道理」、「人之常情」を優先した家族愛のほうがより「善」になるということはふつうに、歴史的にも充分にあり得たことでした。
その理由は、日本が、歴史的に国家権力の主体が交代するようなことがなかったため、いつも国家の決めた法律が絶対であり続けられたからということにあり、それに対して、韓国では、最近だけをみても、日本植民地時代、独立後の軍事独裁時代、現在の北朝鮮の独裁統治など、現実に目の前で振るわれている国家権力が、いつも必ずしも正しいとはいえず、むしろ歴史的には何度もそれが「間違っていた」として本当の「正しさ」によって否定されてきた歴史があるわけです。
その時々において、国家権力は民主主義に反する「悪」の側に容易に立ってきたのであって、その時には決して、権力に盲目的に迎合して利益を貪るような破廉恥な生き方をせずに、抵抗によって独立と解放を勝ち取るための反権力的行為こそが、現在の韓国の「正しさ」を生み出してきたという歴史的自負ですよね。
●「父の娘愛」「娘の父愛」の奇跡
そういう背景を踏まえたうえで、この映画では、たとえゾンビの娘に噛まれて、たとえ自分や周りの誰かが死ぬ危険性があったとしても、たとえ娘が変わり果てたゾンビであり、昔の人間の姿を失っていたとしても、それでも自分は娘を殺すことだけはせずに、最後まで娘の味方となって共に生きて死ぬ、ということを貫くことによる、実に韓国的な感動の奇跡が描かれます。それは「父の娘愛」の奇跡であって、「娘の父愛」の奇跡でしょう。
そもそもが、愛する娘がゾンビになったという絶対的悲劇から話が始まっているのであって、それ以上いったいどうするのか。すでに娘ではないゾンビを娘だと思い続けて一緒に暮らすために起こる珍騒動を描いたコメディ以上のものに、果たしてなり得るのだろうか。そう思って見始めたのですが、話はとんでもない方向に貫いて飛んで行ってしまいます。まさに冒頭に書いたように、ゾンビが完全に架空の題材であるがゆえにあり得る、つくる人の設定の自由ですよね。これ以上は書きませんが。(^^;)
ちなみに鑑賞後、我が息子は「面白くて笑ったけれど、話が荒唐無稽で涙は出なかった」といっていましたが、息子の奥さんのほうは私とまったく一緒で、「涙が止まらなかった」ということでした。それは息子がまだ子供がいないからであり、娘の奥さんは父を持つ娘だからであり、私は娘を持つ父だからだろうと思いました。もちろんその後に観た、娘を持つ我が妻も、妻の姪も「たくさん泣いた」といっていました。
特に一番の悲劇が起こってしまう最後のクライマックスでは、父を持つ娘、娘を持つ父ならば、おとなしく座って見続けることも難しいのではないかと思いました。身を震わせて嗚咽しそうになるのを必死に我慢しながら、「泣かせるためにここまでするのはずる過ぎる!」と心で文句をいいましたよね!(((°`∇´°;)))
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