■なぜ、韓国では父と娘の関係が近いのか?´▽`)/ | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

延世大日韓交流サークルの新入生たち。講義、討論、発表を経て最後に撮った集合写真です。

 

 

延世大で10/2に行ったセミナーの感想文が届きました。対象は日韓交流サークル「パレット」の新入生メンバーたちが中心ですが、講義の後、各班ごとに討論をして、それをまとめてくれた発表内容と共に、前回、感想を一部ご紹介した学生から、しっかりした文章でもう一度感想文が届いたので、それも一番下にご紹介します。

 

各班ごとの討論結果は、だいたいが「違いを知ることによって日本についてよりいっそう知ることになるよい機会だった」(1班ユ・*ヒョンさん)というようなものでしたが、具体的には「日本の『和』という価値の重要性を知るようになった。社会秩序の中心が『和』であり、私たちのように『善悪』ではないということを知った。文化交流の機会を通して互いについて学んでいくことが重要だと思った」(4班)というものもありました。

 

日本人留学生の感想もあって、「親の存在を不必要に感じるような時が多い私たち日本人に対して、父母の大切さが分かっている韓国人であるということを知った。韓国では母と息子が二人で仲良く話したり、父と娘が二人で外出したりということが普通だが、日本では珍しい。韓国の家庭文化、父母を中心とした文化に関しては、日本人としてうらやましく感じる」(3班)ということでした。

 

 

●恋愛ではない男女の情関係が深いわけ

 

ということで、ここではこの最後の感想に関連して、講義で話した内容を補足してご紹介してみたいと思います。これは、韓国では一般的に親子の関係が実に近いのですが、それに加えて、父親と娘の愛情関係が特別に近く、母親と息子の愛情関係が特別に近いということがあります。この異性間の家族の近さはまさに日本にないものです。

 

日本で娘が「お父さんの下着と別に洗濯して」といったり、息子が母親を「ババア」と呼んだり、基本的にその間が難しい関係になりがちであるのと好対照であり、韓国人は日本的にいうならば皆、まさに「ファザコン」や「マザコン」ばかりに見えるわけです。同じように姻戚関係では、舅と嫁の愛情関係が特別に深くなり、義母と婿の愛情関係が特別に深くなるので、「嫁は舅の愛で生き、婿は義母の愛で生きる」などともいいます。

 

これはすなわち、男女の「差」ゆえに情がより強く流れるという世界なわけです。それはもちろん性愛的な意味ではまったくありません。むしろ儒教の強い倫理観によって、性愛的関係の危険性がなくなるからこそ情関係が深く近くなるわけです。儒教の倫理観が徹底すれば、実は家族の情がより自由になって深まるのだということになります。

 

古来、儒教の「礼」とは、差別化の概念であり、すべての差別をなくして和合させる「楽(音楽)」の反対に来る概念でした。でも、格差があるから情が流れるわけで、世のおじいちゃんたちが、息子が自分を呼ぶ「お父さん」ではなく、孫が自分を呼ぶ「おじいちゃん!」の言葉に溶けてしまうのも、その「格差」の大きさゆえに、より多くのことをしてあげ、より多くの要求を聞いてあげる情の力が生まれているわけです。

 

 

●韓国での下宿時代における貴い思い出

 

韓国では、弟が呼ぶお兄さんと妹が呼ぶお兄さんが別の言葉になり、弟が呼ぶお姉さんと妹が呼ぶお姉さんが別の言葉になるわけですが、そのように呼び方を区別するのも、根本にその男女の「格差」による情関係の違いがあるためです。すなわち、韓国では、弟が呼ぶ「お姉さん」である「ヌナ」という言葉は、妹が呼ぶ「お姉さん」である「オンニ」よりも特別に愛情深く、妹が呼ぶ「お兄さん」である「オッパ」という言葉は、弟が呼ぶ「お兄さん」である「ヒョン」よりも特別に愛情深いわけです。

 

これは兄弟間における男女の違いがもたらす特別な情の世界だということになります。事実、韓国では「ヒョン」や「オンニ」に関する歌は一つもないのに、『オッパの思い出(오빠 생각)』や『オンマや、ヌナや(엄마야 누나야)』という情深い童謡が長い間、歌い継がれています。

 

以上、これらは私たち日本人がよく知らない世界です。繰り返しますが、韓国文化が分かってみると、実は儒教的倫理観が徹底されて、性愛関係に陥る危険性から自由に解放されるほど、各々の家族の情関係はどこまでも近く深いものとなり得るのであり、また逆に家族の情関係が近くて深いほど、実は性愛関係の危険性からも自由になる、という相互関係があることが分かります。それによって、韓国文化では各々の家族関係のごくごく近い情が可能になります。まさに韓国の家族の情深さは実はそのような背景のゆえであるわけです。

 

さらに韓国では、他人の関係まで家族関係の拡大として、同じ呼び名を使って展開するため、私たちも社会の友人関係の場面で、「ヒョン」、「オッパ」と呼ばれたり、「ヌナ」、「オンニ」と呼ばれながら、よく似たごくごく近い情世界を経験できるということになります。最初はその情があまりにも近いため、私たち日本人にはめまいが伴ったり、容易に恋愛感情と勘違いしてしまったりする状況なのですが、その二つの間には明確な区別があります。

 

すなわち、恋人に対する「オッパ」とその「オッパ」とは明確に違うのですが、やがてそのような情の中実までよく分かってみると、これもまた、韓国でしか経験できない、実に貴い情世界――「兄妹」「姉弟」の世界の発見であるということが分かります。私にとってはこれは、韓国に住み始めたばかりの下宿時代における実に大切な思い出なのですが、それを経験できたことに今も心から感謝しています!ヾ(≧∇≦)〃♪

 

 

●「いつも日本と比べて韓国を馬鹿にしていた」

 

行政学科1年 イ・ジフン

 

  日本は常に憧れの対象でした。「日本人は市民意識も高く、思いやりの心も深い。反面、韓国人には望みがない」と、いつも日本と比べて韓国を馬鹿にしていました。それが私の祖国であったとしてもです。ところが、今回の講演がこのような認識を切り替える機会となりました。韓国と日本文化の違いが、何によって始まるのかが分かるようになったからです。
  韓国と日本は、社会を認識する方式が違います。韓国では家族が中心にあって、家庭から社会が構成されます。親から兄弟へ、兄弟から親戚へと。韓国は社会を家族が拡張された共同体として見ます。これは、学校でも当たり前のこととして、そのように教えている内容でした。ところが、日本は違います。日本では社会が中心であって、家庭は社会に属しています。したがって、各家庭は社会から役割を受けた一員として認識されるのです。
  韓国と日本が持っているそれらの社会観の違いは、構成員の価値観にも影響を及ぼしました。韓国は皆を家族として認識して、礼節を重要視するようになったし、日本は皆を他人として認識して、規則を重要視するようになりました。このような価値観は挨拶の言葉にも隠れているということでした。「ありがとう」は「あることが難しいことである」という意味を持っていて、「すみません」は、「これで終わらせることはできません」という意味を持っています。誰でも他人として認識し、気を付けている姿がよく表れています。
  これらの内容を聞きながら私は考えました。「決して韓国人が日本人より未開であるのではなかった。韓国人と日本人に見える考え方と行動の違いは、文化の違いによるものであった。まさに根が深い内的文化の違いによるものであった」
 その上で、多様な事例を通して、むしろ韓国人だからこそ持ち得る長所もあるということを悟りました。たとえば、日本では、親子や家族の間で日々の「安否電話」をする習慣がないということを聞いて驚愕しました。初めは誇張だろうと思って疑いましたが、日本ではそれゆえに、韓国ではあり得ない「オレオレ詐欺」に騙されるお年寄りが多いという話を聞いて、やっと納得することができました。家族の情を重要視する韓国ではとても理解が難しい内容でした。今私が家族で分かち合っている情の世界は、私が日本人だったならば知り得なかったものでもあるのかもしれません。
  私は将来、日本における留学と就業を夢見ています。韓国で持つことができない大事な経験もすることでしょうが、いっぽうで異邦人として幾多の悲しみを経験するかも知れないです。しかし、そうするたびごとに、韓国と日本の違いを振り返りながら、韓国人であるから持っている私だけの長所は何だろうかということを考えてみることにします。韓国人として生まれて暮らしてきた以上、完全なる日本人になることもできないし、またそうなる理由もないからです。

 

 

学内の日本語雑誌に出た紹介記事だそうです。

こちらは同じく学内の英語雑誌への紹介だということ。

 

 

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