●バイオリンは生涯の趣味という我が息子
我が息子は、友達と一緒に高校生になってからバイオリンを習い始めて、受験生である今も親の心配をよそに熱心に通っています。趣味としてではあるけれど、今からもう「バイオリンは生涯続けていきたい」というほどの熱の入れようです。
友達とオンラインゲームをやること以外に取り立てて趣味などなかった息子が、ひょんなことから友達に誘われて習い始め、その後、そんな「生涯の趣味」などというほどに好きになった理由が、実は私と一緒に何回かソウルで行われた梁邦彦(りょう・くにひこ/ヤン・バンオン)さんの公演を聞きに行ったためなのでした。
日本が誇る世界的クロスオーバーアーティストでプロデューサーでもある梁邦彦さんは、お父さんが韓国の南の外れの済州島出身、お母さんが北朝鮮の北の外れの新義州出身の在日として東京で誕生されています。医者の家系であったため医大を出て一度医師になりますが、その後、どうしても音楽に対する夢を捨てられずに医師を辞め、そこから日本、韓国、中国、モンゴル、ヨーロッパなどを舞台に、世界的な音楽活動を繰り広げるようになります。
韓国では、何よりも2002年アジアンゲームの主題曲『Frontier』で有名であり、あとは梁邦彦さんが、お父さんの故郷である済州島を訪ねた感動をもとに作った『Prince of Jeju』が、韓国の国楽を志す人たちの間で名曲として最高の人気を誇っています。
●境界を越えるには「言葉は少ないほうが」
『Frontier』や『Prince of Jeju』などの曲は、それ自体が境界線を越えた、太平簫やサムルノリの打楽器たちが西洋楽器と美しい調和を成す、とても胸打たれる曲ですが、私の知り合いの日本人女性は、韓国での生活が苦しくて日本に帰ろうと思った時に、たまたまテレビから流れるこの『Prince of Jeju』に励まされて、生きる希望を得たのだといって、今や梁邦彦さんの大ファンになっています。
梁邦彦さんの曲にはそういう力があります。我が息子も、やはり父親が日本人で母親が韓国人であり、韓国で韓国の学校に通いながら自我を確立していく上で、いろいろな境界線を越えるべき、難しさがあったのだろうと思います。そのような息子に梁邦彦さんの曲が影響を与え、ある意味で生きる希望になったかもしれないということは、決して想像に難くないものがあります。
今日は、その梁邦彦さんの講演会があって、徳寿宮に行ってきました。文化交流の関係の縁があって、韓国でその梁邦彦さんをバックアップしている方と共に、開始前の控え室でのミーティングにも参加でき、2回目ですけど、紹介もしていただき、さらには講演の後の打ち上げでも食事を一緒にすることができました。
今回の梁さんの講演の題名は「境界を越えて」。まさに私が考えていた内容の答えを聞けたと思います。日本と韓国、韓国と北朝鮮、日本の中の民団と朝総連、あるいは医学界と芸術界、あらゆる違いや境界の狭間で生きてこられた彼が語る、「境界を越える」秘訣とは何か。それは、今目の前にいる人に、今の自分の気分を率直に表現して伝え、共感を巻き起こしていくこと。難しく「境界を越えよう」ではなくて、楽しい気持ちを伝播して、「こんなふうに越えられるじゃない?」と見せていくことなのだそうです。そのためには「言葉は多くないほうがいい」ということでした。音楽で共感を広げるほうがいいのだそうです。
我が息子が、彼の音楽に接した時から、同じように音楽を生涯の趣味としていこうと考えるようになった理由が、これで分かった気がしました。その父親のほうはというと、まったく反対に、言葉で「違いを超えよう」と叫ぶ活動ばかりしているんですけどね。とほほほほ。ということで、梁邦彦さん、ありがとうございました!一緒に食べたふぐちり鍋もとっても美味しかったです!ヾ(≧∇≦)〃♪
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