■ソン・イルグクさんはなぜ泳いだのか?(>_<) | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

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韓国の人が皆、「独島(竹島)問題」に、論理を超えて感情的にならざるを得ない理由は、それが日本に編入された当時の時代と経緯にあります。私たちも最低限、それを知って対するべきでしょう。


●国内でも批判される「独島訪問」


現在、日韓の関係を悪化させるとても残念な事態が起こっていますが、事実、李明博(イ・ミョンバク)大統領の今回の言動に対しては、韓国内でも批判の声があります。


与党セヌリ党次期大統領候補である朴槿恵(パク・クネ)元代表の選対本部長であるチェ・ギョンファン議員は一昨日、「大統領府はポピュリズムに走っている」、「日本では反韓、韓国でも反日感情が高まることになる。これが果たして国政運営にプラスになるのか」と非難しています。


『朝鮮日報』も社説で、「李明博大統領の独島(トクト=竹島)訪問と天皇謝罪要求発言で表面化した韓日外交摩擦は、経済分野に広がる兆しを見せている」、「韓日間で経済報復措置が相次げば、どちらの国にとってもよいことはない」とし、別の記事で有識者らによる同論調の意見を載せています。


すなわち、具本学(ク・ボンハク)翰林大教授の「韓中日3ヵ国のうちどの国も単独では国際社会で生き残り得ない。互いに共通の利益を追求する中で、歴史問題や領土問題に対し、感情をあらわにせず低姿勢で対応していくことが上策だ」という意見、李元徳(イ・ウォンドク)国民大教授の「韓中日3ヵ国間には明らかな『対立の遠心力』が存在するが、『協力の求心力』はそれ以上に大きい。協力を重視し、対立の比率を引き下げるための戦略的な外交が切実に求められる」という主張、国立外交院の尹徳敏(ユン・ドクミン)教授の「欧州の歴史はそれこそ領土紛争の歴史だ。しかし、協力の重要性に焦点を当て、政治・経済的統合を推進して対立を解消した。その知恵に学ぶべきだ」と「EU」にならうべきとする声などです。


このような声を踏まえてみれば、大統領の今回の言動は、やはり大統領個人のレームダック解消アクションであるという側面が否めず、赴任当初、「過去の歴史は忘れて、未来志向の日韓関係を」といっていた、その発言から大きくずれてしまった、残念な事態だというしかないでしょう。


しかしそれと共に、多くの日本の韓流ファンにとってショックだったのが、10日の大統領の竹島訪問に対して、報道する韓国メディアの反応がそれに対する支持一色のようにみえたり、40人で竹島までリレーで泳ぐという「8・15記念独島水泳横断プロジェクト」が行われ、日本で人気のドラマ『朱蒙(チュモン)』の俳優ソン・イルグクさんが参加したりしたこと、ではないかと思います。


それで今回は、後者の問題、なぜ日本で愛を受けている韓流スターまでそのような行動を見せるのか、震災の時にはあれだけ日本に思いを寄せてくれた一般メディアまでが、そのような反応を見せるのか、大統領の政治的行動がきっかけだったにしろ、やっぱり彼らの心の中には、ふだんから日本を嫌う思いがあるのか、そのような疑問にお答えすべく、とても難しい問題ですが、特にこの「竹島問題」に対する韓国人の思いを、私が知るかぎり解説してみたいと思います。



●竹島日本領土編入の経緯


まず、重大な結論を先に述べておこうと思いますが、日本人ファンたちに愛を注いでくれる韓国のスターや、東日本大震災で温かい支援をくれた韓国国民の私たちを愛するその「愛」と、このような問題は直接的な関係がないということです。すなわち一部の無分別なネトウヨは別としても、一般の国民においては、決して、「彼らは、口では困難にあっている日本の国民を愛するようなことをといって、お腹の中では嫌っているんだ」ということではありません。


なぜなら韓国人なら皆、日本の人々や日本文化を愛することと、「独島は韓国のものだ」ということはまったく別の問題だからです。


韓国人にとって、この「独島問題」とはどのような意味を持ってきたのか。


まずは、今回のソン・イルグクさんが参加したイベントが8/15の「光復節」のイベントである、ということが重要です。「光復節」とは何かといえば、韓国の独立記念日であり、なぜこの時にあえてそれが行われるかというと、韓国人にとって、「独島問題」とは国家の独立の問題そのものだからです。


なぜそのような認識になってしまうのかという理由は、歴史的経緯の中にあります。私たちは竹島問題を単なる領土問題と考えます。しかし、韓国人は決してそうすることはできません。まず大きな違いは、韓国人が己の国の歴史を学ぶと、そこには一度だけ自国が地上から消えてしまったという時代があります。私たちが自国の歴史を学ぶ時に日本だけの独立した歴史を学ぶのとは大きな違いなわけです。


私たち日本が「竹島は日本固有の領土だ」としている根拠は、ご存知のように、1905年に島根県知事が同年1905年2/22付島根県告示40号をもって「自今本県所属隠岐島司の所管」と公示する形で、日本領土に編入された、しかもその時に韓国から抗議がなかったからというものです。


しかし、この1905年という年が韓国の国民にとってどういう年かというと、すでに前年1904年に第一次日韓協約が結ばれ、日本政府が韓国政府内に顧問官を送って内政を牛耳っており、さらにこの1905年の11月には第二次日韓協約、いわゆる「日韓保護条約」が結ばれて、韓国の外交権を剥奪し、事実上の「保護国」とした年、日本支配の象徴である朝鮮総督府の前身、韓国統監府が置かれた年です。


韓国からすれば、まさに国が日本の「保護国体制下」(=支配下)に入り、国権が奪われていくその第一歩として、竹島が日本領に編入されたのであり、しかもその編入の理由は、まさにその当時、1904年2月から1905年9月にかけて、朝鮮半島の利権を巡って行われていた日露戦争を有利に導くためでした。


日本側の記録に残っているその経緯はこうです。それは、島根県の漁民であり企業家であった中井養三郎氏による、竹島における漁業権申請がきっかけでした。


中井氏は竹島での漁業を計画し、日本政府が韓国政府から竹島を「賃貸」してくれるように要請しに行きます。すなわち、当時は韓国領であることを前提としているわけです。彼が直接書いた「事業計画書概要」には、「本島(竹島)が鬱陵島に属し、韓国領であることを考慮し、将来、(韓国)統監府に行って話し合うこともあるのではないかと思って上京し、いろいろ努力した」とあります。


結果、内務省からは「大海の一滴のような岩礁一つで、諸外国から日本が韓国に対して領土の野心を持つと疑われては何の得にもならない」といわれて拒まれますが、外務省の政務局長に会ったところ、日露戦争のために、「監視所を設置し、無線及び海底電信を通せば、敵艦の動きを監視するのになおさらよいではないか」と大賛成をもらい、「こういう具合に結局、本島は本邦の領土に編入されたのです」と、結ばれています。


その結果、日本の閣議が、「この無人島は他国がこれを占有したと認定する形跡がない」ために、日本編入は「無理のないこと」であるとして、1905年1/28、「竹島」と名づけ、「本邦所属」とすることを閣議決定。その指示に従って、島根県知事が2/22付島根県告示40号をもって公示、日本領に編入されたのです。


それが戦後すぐにはどうなるのか。1946年1/29、GHQは日本政府に命令「SCAPIN-667」を発して、竹島を日本領から切り離し、同年6/29の「SCAPIN-1033」で、「日本人の漁業及び捕鯨業の許可区域」(通称「マッカーサー・ライン」)を設定して、「日本の船舶及び乗務員は今後、北緯37度15分、東経131度53分にあるリアンクル岩(竹島の英語名)の12カイリ以内に接近してはならない」と命じます。


すなわち、韓国人としては、この「マッカーサー・ライン」をもって「独島返還」がなされ、1905年に始まった日本の植民地時代が終わって国土が元に戻った、と捉えているわけです。



●韓国独立の象徴である「独島」


ところが、ここで重要な事態が起こります。すなわち、朝鮮半島の分断です。ソ連と米国の冷戦が朝鮮半島の38度線を一線としてぶつかり合い、1948年に南に韓国政府が、北に北朝鮮政府が成立することで、今度は米国が冷戦を理由に考えを変えるわけです。


1949年11/14、米国の駐日政治顧問であったウイリアム・シーボルトは、本国に以下のような文書を送ります。「朝鮮方面で日本がかつて領有していた諸島の処分に関し、リアンクル岩(竹島)が、我々の提案にかかる第3条において日本に属するものとして明記されることを提案する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、かつ、それを朝鮮沖合の島というのは困難である。また、米国の利害に関係のある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象及びレーダー局を設置することが考えられる」


1950年1月の「アチソン声明」に示されたように、米国の防衛ラインは日本までであって、韓国はその外でした。米国は、1951年8/10、「ラスク書簡」を通して、「リアンクル岩(竹島)は日本の領土」という米国政府の意向を、韓国政府に伝達し、さらにサンフランシスコ講和条約(1951年9/8署名)において、日本が権利を放棄する地域を明示した羅列から、「リアンクル岩(竹島)」の言葉が外されます。


すなわち、1905年の竹島編入とこのサンフランシスコ講和条約の権利放棄地域に竹島が外されたことが、私たちが「竹島は日本固有の領土」という根拠なわけですが、韓国は「それはわざわざ書かれていないというだけ」と主張します(実際、色丹島、歯舞群島も書かれておらず、判断の保留とも捉えられるため)。そして韓国としては、戦争当事者同士の取り決め以前に、「植民地時代の領土獲得はすべて元に戻らなければならない」という立場を取っているわけです。


1952年1/28には、実力行使として竹島を韓国領に入れた「隣接海洋の主権に対する大統領宣言」、いわゆる「李承晩ライン」を発布。警察を常駐させて「実効的占有」を始めることで、その後、日本漁船の拿捕や銃撃による死亡事件など、さまざまな悲劇も生まれます。


いずれにせよ、韓国人にとって、歴史的に日本の韓国進出は、1905年に日本が「独島(竹島)」を日本領に編入したことに始まり、その年に韓国の外交権が剥奪され、その5年後に国がなくなってしまったため、そここそが国家独立の生命線だと考えているわけです。実際、そのような思いがあまりにも強いため、一般の韓国国民にとっては、そもそも日本が韓国の思惑だといっている海洋資源のようなものは眼中になく、いわばそれは、国をまた奪われるかどうか、という問題になっているのです。


それゆえ、韓国人にとってはこの“祖国独立の象徴”を、「領土問題」として国際司法裁判所に提出して、「実際はどうなのか?」を解決しようという考えもなければ、ただひたすら「韓国は独立国家だ」と天下に宣言するように、「独島は韓国のものだ」と宣言しているわけです。


ちなみに、俳優ソン・イルグクさんは、母方の曽祖父が韓国では有名な独立運動家・金佐鎭(キム・ジャジン)将軍であり、母方の祖父・金斗漢(キム・ドゥハン)氏は、その生き様が大ヒット映画『将軍の息子』(1990)やドラマ『ワンチョ』(1999)、『野人時代』(2002)にもなっている「独立闘士の息子政治家」です。その長女であるお母さんも有名な現役与党政治家で、女優でもあります。ソン・イルグクさんが、初めて俳優として成功を収めた『朱蒙(チュモン)』の出演料2億ウォンをそのままお母さんに捧げると、お母さんはそのお金をそっくり使って中国の遺跡地に祖父・金佐鎭将軍の記念館を建てた、という話も有名です。


だから私には、彼がそのような背景を持っているという事実こそ、彼がこれまで日本のファンに注いできた「愛」がむしろ真実であらざるを得ないことの証拠ではないかと思えるのです。曽祖父、祖父、母親と続く関係と彼の孝行心を考えれば、そこには当然、複雑な思いがあり、その思いを越えて日本を愛するという「決心」をしないかぎり、これまでのような行動は決してできないことだったはずだからです。


ということで、あくまでも韓国人の「なぜ」を理解するため、韓国の視点から書きましたが、私個人の意見は、何より日韓両国の一日も早い友情の確立を心から願うばかりです。(>_<)



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