ドラマ『Dr.JIN』、今回はイ・ボムスさん扮するイ・ハウンにスポットライトを当てます。(*´▽`)
というのは、これまで王族でありながら、酒色におぼれるゴロツキのようであったところから、先週末の7話、8話で、いよいよ政治的な動きを始めたということで、韓国のメディアがその話題でもちきりになっているからですよね。ドラマのジン先生が、皆がよく知っている実際の史実といよいよ関わりを持ち始めたと韓国の視聴者も多少興奮気味です。
昨日の8話のラストにイ・ハウンが敬拝を捧げた、「大王大妃陛下」とは、当時の前王・憲宗の母である豊壌趙氏「神貞王后(1808-1890年)」であるようですね。「神貞王后」の夫の孝明世子は王位についていませんが、憲宗が即位後に父の孝明世子に「翼宗」の廟号を追贈したので、「神貞王后」も王后となり、そのように呼ばれているようです。
当時、イ・ハウンの目的は、王の外戚として政権を掌握している「安東金氏」の「勢道政治」打倒なわけですが、この「安東金氏」と共に朝鮮後期の大きな勢道家門の一つだったのが、神貞王后の実家である「豊壌趙氏」だったわけです。それで、今後、この神貞王后が、イ・ハウンをしてその子・高宗(命福)を立てさせる陰の立役者となってくれるという流れなわけですよね。
当時の王であった「哲宗」は、本来、天主教(カトリック)を受け入れた「南人」たちを支持基盤としていたわけですが、安東金氏の「老論僻派」によって「南人」たちが弾圧、粛清されることで自らの基盤を失い、無力感で日々、酒におぼれるようになって、後継者もないまま33歳で亡くなります。
そこで、王族であっても血統上はきわめて遠い傍系の親戚であった「高宗」を、「神貞王后」が自らの養子に迎えるという方法で、強引に王位につけることになるわけです。
実際、高宗は麟坪大君の八世孫で、しかもイ・ハウンの父の南延君が、仁祖の七世孫から養子に入った立場だったので、実質的には仁祖から九世孫という血統的な遠さでした。まさに「神貞王后趙氏」が、イ・ハウンと結託して、「豊壌趙氏」による「安東金氏」の除去を策したわけですが、しかし、これによって、結果的にはイ・ハウンが、幼い高宗の父として摂政「大院君」となり、瞬く間にあらゆる権力を自分一人に集めることになります。
その後の「神貞王后」も、当然、高宗の母として影響力を持ちますが、しかし後に高宗の后を自らの豊壌趙氏から出そうとすると、興宣大院君の反対にあってあえなく失敗しています。
これこそがまさに、後に朝鮮末期の大きな改革の中心となる「興宣大院君」の誕生なわけですよね。ドラマの中では、この時にイ・ハウンと「神貞王后趙氏」を結んだのが、ジン先生の医術であったということになるわけです。
前話で、心をかけていた妓生「ケヒャン」が無念の死を遂げるや、しばし流浪の旅をして漢陽に戻ってきたイ・ハウンは、大きな決心を胸にジン先生のもとを訪ね、「一人の女性を治療してほしい」といいます。首に大きなコブを抱えたその女性は、まさに「神貞王后」から最も大きな寵愛を受けていた姪っ子でした。イ・ハウンは結局、時の「大王大妃陛下」に一目会うためのきっかけをつくるために、ジン先生に治療を頼んだわけです。
歴史的にも、「勢道政治」の権力の前にあって、どうしようもないゴロツキの王の親族を演じることで命を保持し、充分な計略のもとに、この「神貞王后趙氏」の勢道争いを利用して突然、最高権力者に上り詰めたとされる、カリスマ的人物「興宣大院君」の本領が発揮される瞬間をドラマはこれから描いていくこととなります。
ということで、イ・ボムスさん、いよいよその演技力とカリスマ性を発揮しそうですね。韓国のメディアでは、「役の大小にかかわらず、自らが担ったキャラクターを完璧に分析し消化してしまうことで、ドラマ無敗神話を成し遂げている俳優」とまで表現されている演技派俳優さんですからね!(*´▽`)
荘献世子━┳22代正祖━23代純祖━孝明世子(翼宗)━24代憲宗
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┣恩彦君━全渓大院君━25代哲宗
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┗恩信君━南延君(仁祖の七世孫から養子)━興宣大院君━26代高宗
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