■冬季五輪誘致の‘一等功臣’キム・ヨナ | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

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●彼女が「国宝少女」と呼ばれるわけ


ご存知のように、韓国は、7/6、南アフリカのダーバンで行われたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2018年冬季オリンピックを圧倒的な得票差(韓国63票、ドイツ・ミュンヘン25票、フランス・アヌシー7票)で平昌(ピョンチャン)に決定しました。


何より韓国は、この五輪誘致のため、大統領自身が出向いてスピーチしただけでなく、全国各地で市民が集まって応援戦まで繰り広げました。ライバルのドイツ・ミュンヘン、フランス・アヌシーの住民支持率が50%程度であるのに対し、平昌は常に90%を大きく上回っていましたし、まさに国が一丸となって「気」エネルギーを送ることで、2002年のワールドカップの時のように、「夢」を成したという感じです。


韓国は、2010年、2014年に続く3回目の挑戦でしたが、結果的に、1988年以来ちょうど30年後のオリンピック再開催となり、日本に続いて冬季オリンピックを誘致したアジアで2番目の国となりました。


これが各界各層の人々、そして国民の多くの力によって成し遂げられたことは間違いないでしょうが、さまざまな報道の中で、今回の‘一等功臣’が、若干満20歳のキム・ヨナ選手であったとして、今や彼女は「国宝少女」という異名までとっています。


●代表団より早く現地入りして奔走


すでに5月にスイスのローザンで開かれた候補都市テクニカルブリーフィングの時にも、ヨナ選手は平昌の代表として参加、流暢な英語でプレゼンテーションを行いましたが、今回も平昌代表団よりも一足早くダーバン入りし、誘致活動に奔走しました。


まず、現地日刊紙『ザ・デイリーニュース』(7/4付)に寄稿文を載せ、「これまで21回の冬季オリンピックが開かれる中で、アジアでは日本でだけ二度開かれた。平昌の冬季オリンピック誘致は冬季スポーツにおいて疏外された地域の新しい世代に、オリンピックの価値を伝えることで、冬季体育を拡散させることができる」と支持を訴えました。


さらに、忙しい日程の中で、現地ダーバンの冬季スポーツを志す子供たちのもとを訪れて、激励と共に特別指導も行うという、スポーツ外交大使としての多様な日程も消化しました。


また7/4の平昌公式記者会見が始まる前には、冬季スポーツにおいて疎外された地域であったアジアの辺境国家の少女が、バンクーバー冬季オリンピックのチャンピオンにまで成長できたという自らのストーリーをもとに、冬季五輪に対する平昌の夢が実現されるべき理由を説得力をもって伝えるなど、IOCの委員たちと外信記者たちに深い印象を残したということです。


さらに記者会見では、「平昌は競技場と宿所が近いため、選手たちがコンディションを調節するのに有利であり、すべての選手たちが最高のコンディションで競技に臨むことができる」と説明して、オリンピックの核心である競技力に焦点を合わせた広報を行いました。


●IOC委員の心動かした「個人的挨拶」


最後に、「一つのドラマだった」とまでいわれる、7/6の韓国平昌代表による最終プレゼンテーションにおいて、ヨナ選手は、実に落ち着いた微笑をたたえながら、「10年前、平昌が冬季五輪開催に名乗りを上げた当時、私はソウルのスケートリンクで五輪出場を夢見て練習に励む少女だった」と切り出し、「私は政府が、韓国の冬季スポーツの水準を高めるために注いだ努力の結果であり、生きた遺産です。このような成功と成就の可能性は、ぜひとも世界のすべての若者たちに必要であり、また与えられなければなりません」と訴えるとともに、最後にまさに韓国の女性らしい以下のような‘愛嬌’を振りまきました。


すなわち彼女は、「最後に私はここで個人的な挨拶も送りたいです」と述べ、集まった集まった95人のIOC(国際オリンピック委員会)委員に対して、「オリンピック選手が、すべてのIOCの委員たちに対して、一度に感謝の言葉を伝える機会が他にないので、私は今日、皆様方に申し上げたいのです。私のような者が夢をかなえ、また、他の人々に希望を与えることができるという機会を与えてくださったことに対して、真心からIOC委員の方々すべてに、感謝を申し上げます。ありがとうございます」。


そう語って満面の笑顔を浮かべた彼女の感動的発表が、何よりIOC委員たちの心を揺さぶった、とされ、海外メディアからも「幻想的なプレゼンテーションだった」との賛辞が寄せられるとともに、「選手委員の形でIOC委員として活動してはどうか」という現地メディアの質問まで飛び出しました。


実際、現役スポーツ選手が、競技ではないスポーツ外交に国家を代表して参加するということは、本人にとってたいへんな負担であっただろうと思います。6/28のAP通信とのインタビューで、彼女は「全国を肩に背負ったような感じだ。今は平昌だけのことを考えている」と、自らに与えられた心理的負担を吐露していました。


昨日、ダーバンに「PyeongChang(平昌)」の声が響いた瞬間、若干20歳のスポーツ外交大使の両目に熱い涙があふれ出していました。





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