■韓国芸能界揺るがすソ・テジとは誰か? | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

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10代のカリスマとしての韓国アイドルの先祖のようなソ・テジ。


●韓国芸能界パニック


チョン・ウソンと『アテナ』で共演して、その後、交際を公表していたイ・ジアが、実は、K-POPの神話的存在であるソ・テジと結婚&離婚していて、慰謝料と財産分与を求める訴訟を起こしている、と報道され、ウソンさんも韓国芸能界も大パニック状態ですね。韓国のネットには一昨日、昨日とたいへんな勢いで情報があふれていました。それは無理もなく、ソ・テジは、韓国アイドルが現在のような若者のカリスマとなる道を開いた、K-POPの先祖みたいな人物ですからね。


音楽的にも、自らの作詞作曲でヒップホップやニューメタルなどの新しい音楽を、センセーショナルに韓国の若者たちに紹介しましたが、何より社会的メッセージで若者の「教祖」となり、代表曲の一つ『教室イデア』にみられるような歌詞の内容と若者の反応だけをみると、日本だと尾崎豊さんのような位相にいるといえます。


実際、「文化大統領」の異名までとり、当時の金大中大統領も彼を「社会的な意味を持った音楽家」と評していましたが、それ以降の韓国の若者文化に多大な影響を与え、もはや動かし得ない一時代をつくった文化的リーダーでした。


私もソ・テジがまだグループで活動中だった頃、ある研修センターに講義をしにいって、その事務所で彼のCDを見つけて、日本男性である私が彼の歌を「知っている」といっただけで、事務員の女性から感嘆され、いかに彼がすごいかを説明されて、その場でCDをプレゼントされて帰った記憶があります。(^^;)


ただ、彼のそのカリスマをつくってきた要素の一つに、徹底的な秘密主義があったのも事実。グループ活動中だった当時から音楽活動と隠居を交互に繰り返して、徹底的にプライベートを隠してきた私生活のない存在でしたから、それが今回のような形で私生活の、それも問題部分だけが暴露されて、多くの若者に少なからぬショックと失望を与えています。


特に彼を「教祖」とあがめてきた熱狂的ファンにとっては、彼は結婚のような日常から完全に隔離された「永遠のカリスマ」であり、どんな女性をも個人的に愛することが許されないようなイメージでした。だから隠さざるを得なかったというよりも、むしろ秘密主義がそういうイメージをつくったわけです。それが今回完全に崩れることになりましたよね。


●ソ・テジ・ワ・アイドゥル


ソ・テジを中心にした3人グループ「ソ・テジ・ワ・アイドゥル(ソ・テジと子供たち)」は、ちょうど私が韓国で住み始めたのと同じ1992年に、衝撃的なラップ曲『僕は知っています(난 알아요)』でデビューし、最初のアルバムは17週連続1位の記録を樹立、2ndアルバムの『何如歌(하여가)』は韓国で初めて200万枚を超えるヒットを記録しました。


3rdアルバムでは、特に、それまで大衆文化に政治的な規制が多かった韓国社会で、アイドル歌手が誰も試みなかったような社会的メッセージ性の強い歌詞を書き、若者の思想的リーダーとなって、社会現象にまでなったわけです。


たとえば、『教室イデア』は、「たくさんだ、たくさんだ、たくさんだ、もうそんな教えはたくさんだ」で始まり、「毎朝7時30分まで僕らをちっぽけな教室に押し込んで/全国900万の子供たちの頭の中にみんな同じことだけ詰め込んでいる/四方からぎゅっと閉じ込められた/お前をガブリと、みんなを呑み込んだ、この真っ黒い教室でだけ/お前の若さを送るのはあまりにももったいない」と歌い、小中高大学と向かう学校制度を工場の製品製造過程にたとえて、「なぜ、変えることをせず、心締め付けられて若い日をさまようのか/変えることをせず、他人が変えてくれることを願ってだけいるのか」と若者たちに訴えかけました。


さらに南北統一への渇望を率直に歌った、彼の代表曲の一つである『渤海を夢見て(발해를 꿈꾸며)』は、私自身も大きな衝撃と感銘を受けた記憶があります。


「渤海」とは、韓国が高句麗、百済、新羅の三国だった時代の後、新羅によって三国が統一された時に、高句麗の遺民たちによってそのまた北につくられた国で、いわばもう一つの南北分断時代における北の国。すなわち、これは北朝鮮をたとえたものであり、当時、北朝鮮を直接名指して「夢見る」と歌うことが政治的に危険とみなされるという状況を揶揄した題名ではないかと思います。


韓国の江原道鐵原に、韓国戦争以前に北朝鮮の朝鮮労働党舎屋だった建物が残っていますが、この曲のミュージックビデオが、廃墟となったそこでヒップホップを踊りながら歌うというもので、途中に韓国戦争当時の悲惨な映像も流れ、大きな話題となって当時の若者たちが南北統一に関心を向ける大きな契機となりました。


ちょっと訳してみます。


■渤海を夢見て
(作詞・作曲ソ・テジ)


本当に僕にはたった一つだけ 진정 나에겐 단 한가지
僕が望んでいることがある 내가 소망하는게 있어.
引き裂かれた地の友達たちに 갈려진 땅의 친구들을
いつ頃、会うことができるだろうか 언제쯤 볼 수가 있을까.
ためらっている時間に僕ら自身を失います 망설일 시간에 우리를 잃어요


一つの民族の兄弟である僕らが 한민족인 형제인 우리가
互いに銃で狙いを定め 서로를 겨누고 있고
僕たちがつくり上げた大きな欲望に 우리가 만든 큰 욕심에
自分が先に死んでしまうというのに 내가 먼저 죽는걸
本当にお前は知っているというのか 진정 너는 알고는 있나
全人類が生きて死んで 전 인류가 살고 죽고
凄絶なあの日を忘れてしまったのでは 처절한 그날을 잊었던건
ないのだろうか 아니었겠지.


僕たち、体を半分に引き裂かれたまま 우리 몸을 반을 가른 채
現実をなくして生きていくのだろうか 현실없이 살아갈건가
治癒することがかなわない痛みに 치유할 수 없는 아픔에
絶叫する僕らを守ってくれ 절규하는 우릴 지켜줘


気持ちよく心の扉を開いて 시원스레 맘의 문을 열고
僕たちが進んでいく道を探しましょう 우리가 나갈 길을 찾아요
もっと幸せな未来がある 더 행복한 미래가 있어
僕たちには 우리에겐


いつの日か僕の小さな大地に 언젠가 나의 작은 땅에
境界線が消えてしまう日には 경계선이 사라지는 날
多くの人々の心の中に 많은 사람이 마음 속에
希望をいっぱいに満たすことだろう 희망들을 가득 담겠지.
僕は今、平和と愛を願います 난 지금 평화와 사랑을 바래요


若い僕らの力が集まれば 젊은 우리 힘들이 모이면
世の中を揺り動かすことができ 세상을 흔들 수 있고
僕らが互いに手を取り合うことは 우리가 서로 손을 잡은
大きな力なのに 것으로 큰 힘인데


僕たち、体を半分に引き裂かれたまま 우리 몸을 반을 가른 채
現実をなくして生きていくのだろうか 현실없이 살아갈건가
治癒することがかなわない痛みに 치유할 수 없는 아픔에
絶叫する僕らを守ってくれ 절규하는 우릴 지켜줘
行くことができない道に振りまかれた 갈 수 없는 길에 뿌려진
千万人の涙がある 천만인의 눈물이 있어
おお、僕には 오 나에겐
行くことも見ることもできないのか  갈 수도 볼 수도 없는가


あの空に自由に 저 하늘로 자유롭게
あの鳥たちと共に飛びたい 저 새들과 함께 날고 싶어


僕らがいつも願うこと 우리들이 항상 바라는 건
互いが笑い合い助け合って生きること 서로가 웃고 돕고 사는 것
もう一緒に一つの目標を見ながら 이제 함께 하나를 보며
進んでいきましょう  나아가요.


その後は、ダンス曲とロック曲から、ほぼメタルミュージックに移行していき、1995年に4thアルバムを出して、ギャングスターラップ曲『Come Back Home』が大ヒット。ここでもまた、この歌が訴える「You Must Come Back Home.(お前は家に帰らなければならない)」という歌詞によって、多くの家出中の青少年たちが家に帰ったということで大きなニュースになりました。


ところが翌1996年、突然、ソ・テジはグループを解散させて引退。米国に移り、音楽から身を引くといっていましたが、1年のブランクを経てソロ活動で復活します。その間にイ・ジアとの結婚があったということですよね。



韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!


■『渤海を夢見て』MV→ http://www.youtube.com/watch?v=0Uf0xLbhyU4


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