■映画『ピンポン』に思い出すこと | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。



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●私=前陣ドライブ速攻


最近の我が事務所でも卓球が流行っているが、忘れもしない、小学5年の時、学校で卓球が流行った。火をつけたのは、我がクラスのガキ大将なやつ


いつもいい加減で、やることなすこと乱暴だった彼が、その時からガチで努力する真摯な姿勢を見せ始めた、この卓球というスポーツに、私も魅力を感じた。


仲間の中で彼が初めて、球に回転をかけることを始め、いわゆる前陣ドライブ速攻のカッコよさを見せてくれた。


彼が使っていたのは両面にラバーを貼ったシェイクハンド。しかも黒ラバー。それをくるくる回しながら、早いドライブを全身の力で繰り出した。


その時から、私にとって、卓球とはシェイクハンドの前陣ドライブ速攻のスポーツでしかなかった。


私は「シェイクハンドの前陣ドライブマン」であり、それ以外の、後ろに下がって台の下から玉拾いをするようなカットマンや、みみっちいシュートマンは、私の存在を引き立てる脇役たちに過ぎなかった。


他の人がどう感じるかは知らないが、私がスポーツを始める動機はいつもそんなものだ。


中学に入るや否や、まっすぐ卓球部に入部。両面真っ黒ラバー、板まで黒のシェイクハンドラケットを引っさげた。


この映画の主人公が、私とまったく同じようなヤツであることは一目で分かった。違いといえば彼がペンフォルダーラケットの両面にラバーを貼っているということくらいだ。


それで個人的に私の人生を生きる精神構造というものを再認識させてくれた映画だった。


そして、主人公が陥った状態も、今の私とおんなじ。その乗り越え方も、恐らくはおんなじ。それで、私に本当の私を取り戻させてくれる映画だったともいえる。


その「本当の私」とは、何のことはない、映画の彼と同じように、私はいつまでも昔テレビで観た、カッコいい特撮「ヒーロー」だということ。


それを現実の中で見失うと、結局は自分自身を見失うことになってしまうということ。



●「ヒーロー見参!」


小学校で私に卓球の魅力を教えてくれた彼は、もちろん同じ卓球部に入り、たちまちエース選手になった。


だが、そのために彼は、シェイク使いにとって、より有利なカットマンになってしまった。私はガッカリだった。


彼はバリバリ強くて、いろいろな大会にも出ていたけれど、その背中が私には悲しく見えた。勝つために現実に支配されていく、ただのうまい卓球選手になっていたからだ。


私はというと、正統派のヒーローとして、最後まで、前陣ドライブ速攻を変えることはなく、試合では、後ろに下がって台の下から玉拾いをするようなカットマンや、みみっちいシュートマンと出会っては、いつも負けてばかりだった。


同じ学校の連中も、練習ではいつも私が勝つのに、試合ではみんなとても卑怯だった。それで、私はいつも内心、「こんな試合、勝ってやるもんか」と思っていた。


それでも彼らは最後まで私の存在を引き立てる脇役たちに過ぎなかった。当時の私にとっては、試合の勝ち負けよりも、私自身の姿勢のカッコよさだけが重要だったからだ。


試合前、いつも私の胸にはこの映画の主人公と同じ、次の言葉がこだましていた。


「ヒーロー見参!」


この「見参」という言葉。何気なく使っているけれど、「自分は高貴な人であり、目下の者に会ってあげているんだぞ」という意味の、すんごいキメゼリフのである。オ、イェイ!