こんにちは。
今回の担当は行政書士の植松です。
お盆が近づいてくると、やたら墓地のチラシが目につきます(気がするだけ?)。
お墓も人の死に関わることですから、相続の話題と全く無関係ではありません。
故郷の田舎に帰り親戚が集まると、本家が墓を守って…、などとお年寄りが話しているのを聞くこともあります。
長男だから墓を守らなきゃならないのか、とか、二男だから大丈夫、とか、いろいろな思案が浮かびつつも、直近の問題ではないから後回しにしてしまう…、それを繰り返すうちに問題に直面することになるかもしれませんね。
子供世帯は都会で仕事をして、家庭を持って、不便な故郷に帰るつもりはないのに、先祖代々の墓が故郷にあるということは珍しいことではありません。こうした場合、その墓守のために毎年交通費をかけてお参りにいかなくてはならないのでしょうか。
もちろん、それも大切なことだと思いますが、子供世代、孫世代になってくると、このお墓は誰のお墓? どうして会ったこともないのにわざわざ行くの?ってことにもなりかねません。長男だから当然の務め、というひとことで納得しなくてはならないのでしょうか。
そこで今回は、祭祀継承について述べていきます。
まず、祭祀継承に関する規定は民法にあります。
民法896条
相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない。
民法897条
系譜、祭具及び墳墓の所有権は、前条の規定にかかわらず、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が承継する。ただし、被相続人の指定に従って祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者が承継する。
2 前項本文の場合において慣習が明らかでないときは、同項の権利を承継すべき者は、家庭裁判所が定める。
これによれば、相続が発生すれば一切の権利義務を引き継ぐことになるわけですね。
一方、「祭祀を承継する」とは、仏像や仏壇、位牌、系図、お墓等々を継ぐことをいいますが、この条文では「前条の規定にかかわらず、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が承継する」としていますので、遺産の相続と祭祀承継は分離しているのです。
したがって、資産を受ける者と「家」を継ぐ者は必ずしも一致しなくてもよいのです。祭祠継承権を相続することを前提として、特定の相続人に有利になるような遺産分割というのも誤りです。
家督を継ぐ家長を大切にしていた戦前の民法では、祭祀承継と相続が連動していました。旧民法では、「家」を中心として祖先のお墓を守っていくことや、子孫の繁栄を祈ることが相続の中核とされていました。当然、祭祀を営むための祭具やお墓は、家督を相続する家長が受け継ぐものと定められていたのです。
しかし、現在の民法では祭祀承継と相続は別の問題として切り離しています。合理的になったというべきか、ドライになったというべきか、個人によって感覚が違うと思いますが、個を大切にしている現民法の考え方が現れた規定だと思います。
先祖を敬う気持ちを持つことは大切です。
しかし、祭祀の承継はとても責任ある大変な仕事です。継承する者はその「家」や宗派のしきたりなどを覚える必要があり、さらに寺院との付き合い、墓地の維持管理、法事の主宰、親類縁者への連絡などにかなりの労力を割くことになってしまいます。傍から見ていても、相当大変なことですね。祭祀継承と相続が切り離されたことで、こうした負担を避けることができるというのは、良いことのようにも感じます。
ところが、戦前の家長制を廃止するために、相続と祭祀継承を分離させたことによって、現代の相続は遺産の分け方だけが相続人の関心事となってしまいました。それによって、お墓を守り祖先を祭る責任があいまいとなってしまいました。すると、先祖代々の墓やその「家」の伝統のようなものは廃れていってしまうのでしょうか。
民法の規定を再度読むと、「相続事項とは別にして被相続人が祭祀継承者を指定」することができます。つまり、民法では亡くなった方の最後の意思表示である遺言書で、祭祀継承者に対して相続分を増やす等の配慮をすることは可能なのです。
遺言書を活用することで、家の歴史や伝統・風習などを子孫に残していくこともできます。遺言書を活用することで、相続人が自分のルーツを考える機会を作ることもできます。
遺言書にはいろいろな可能性がありますので、書いて損をするものではありません。
それどころか、やはり「争族」になるのを防ぐ手段が詰まっているわけです。
お盆休みでお墓参りの機会などに、考えてみるのもよいかもしれませんね。
先週のコラムは都合によりお休みになってしまいました。
告知もなく休刊になってしまい失礼しました。
ではまた次回!